操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「現象」を見ないということ。

昨日の講習で「どうしても現象を追いかけてしまう」というお悩みの告白?がありました。

 

これは、操体をちゃんと勉強して実践している証です。
ちゃんと勉強しているから、そういうお悩みが出るのです。

 

おめでとう!

 

そもそも、操体を勉強していて、途中で「卒業」とか「中退」とか「出奔」とか「退学除名」とか色々ありますが、

 

★中退とか退学除名という人に限って「渦状波®」や「足趾の操法®」をきちんとおさめていないのに、類似名称(あしゆびのそうたいほうとか、あしゆびセラピーとか、皮膚の歪みをとるとか云々)を使ったりしているので困ったものです。

 

というか、業界のことをあまり知らない素人さんばかりなので、やはり全然知らないんだな、と思ったりします。

 

そして何故か旅行客相手のリラクゼーションとかに落ちついているようです(関西に何件か、東京にも何件かあります)。旅行客相手なら、そんなにひどいヒト(ぎっくり腰とかの人はリラクゼーションサロンには行かないですしね)は来ないし、のちの結果にもそんなに責任を持つ必要はありませんから。

 

★私も旅行に行くとフットマッサージとかのお世話になりますので、リラクゼーションを否定しているわけではありません。しかし、操体はリラクゼーションではなく、診断と治療(動診と操法)が伴う、臨床であると言っているだけです。

 

操体をリラクゼーションに使う、ということは「自分には臨床能力がありませんから、リラクゼーションに逃げています」と言っているのと同じことなんです。

これは、一般の人が見ても分かりませんが、操体の臨床家やプロからみると「なるほどね」と、わかることです。 

 

 

さて、話を戻しますと、操体で上記のように「中退」「退学」しちゃう方というのは、まず、操体の「症状疾患にとらわれない」というところでぶつかります。

何故なら「○○に効くやり方」が知りたいからです。

 

 

「腰痛に効く操法」「膝の痛みに効く操法」「頚の痛みに効く操法」を知りたいのに、先生は「操体には症状疾患別という考えはない」と話し、実際にやるのは武術の訓練のような介助法補助法や連動の勉強、言葉の誘導などです。

 

これは、伝統芸能の稽古のようです。まあ、実際に伝統芸能を修業中の、実行委員のT君に聞いてみると、伝統芸能はここまで細かい指導はしないようです。

 

 

また、最近では「波動」とか「重心の不正を正す」という理論についていけず、中退とか退学したかたもいらっしゃいます。

 

丹田はからだの中心、下腹にある」ということを長年信じてきて、ここに来て「そこにはない」という理論を聞かされても、多分受け入れることができなかったのでしょう。それはそれで仕方ないし、いいんです。

 

「へえ、面白い。そうかも(100パーセント信じてなくても乗ってみる)」ということが出来る人と出来ない人がいるんです。

 

この辺りは「いかに自分が信じていたことを捨てて、新しいコトを吸収できるか」ということなんです。

 

この場合「信じていたこと」を捨てても、今までの苦労が水の泡ということはありません。それは、あとで数倍になって戻ってくるからです。

 

私の場合ですが、操体の中でも最初に習ったのが「連動系」というか「癒動系」というか、ある時長野のS先生からテキストを送っていただきましたが、私が20数年前にならったのと似た操法が書いてありました。

 

一言で言えば「症状疾患別の狙い撃ち」の操体法です。ポジションで言えば、高等な第一分析です。結果は出せます。しかし「快」は関係ありません。圧痛点などはあっという間に除去できます。

 

私はこれをめちゃくちゃ勉強したので、上手くなり、結果もバンバン出せましたが、あるとき「楽と快ってちがう」と気づいたのと、テキストには「快方向に行う」という記述があるのですが、比較対照しているので「快じゃなくて、楽じゃん」と気がついてしまったわけです。

★比較対照するのは『楽と不快』。快を問いかける場合には、比較対照ではなく、その動き自体に快適感覚があるかないかを問いかける。

 

それまでのやり方をやめて、三浦寛先生に入門した私に「いままでのをやっていればいいじゃん」と「楽でいいじゃん」という人もいましたし、離れていった人も別れた人もいましたが、私は「見てみない振り」をして、楽と快を混同しているのはイヤだったのです。

 

操体を勉強するなら、僕のところに来なさい」という三浦先生の言葉にやられた(笑)のも事実です。

 

それから10年近く、これらの操法は封印し?快適感覚をききわけ味わうという、第二分析、第三分析をやっていたのですが、封印したものが「醸され」「発酵し」、とっても凄いものになっていたわけです(自分で言うのもアレですが)。

 

つまり、第二分析、第三分析、第四分析のすごいところを、第一分析に応用したらどうなるか、ということです。

 

こちらは、三浦先生の講習とは別に「視診触診講座」として、講義をやっています。
三浦先生の講義内容とは被っていません。私が20年やってきたノウハウなのです。しかし、三浦先生の講義を受けているか、足趾の操法を受けているか、そして操体の基礎が分かっている人でないと、伝えることはできません(ということがよくわかった)。

 

なので、一般の方向けの「ミドル講習」はやめたというわけです。

 

この辺りは、定例講習が終わってからも、個人レッスンを受けているとか、准指導者のお勉強をしているとか、5年とか3年とか操体を継続して勉強している方々です。

 

 

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★観ちゃいました・・

恋愛障害(2)

 

恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? (光文社新書)

恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? (光文社新書)

 

「恋愛障害的なお悩み」に効くのはこれもあり↓

 

特に、「恋愛障害(1)」で書いたような、「ほめられすぎ君」が、「インチキ自己肯定」にはしる(社会や仲間内が許してくれることで「自分自身に深い疑問を持たないでいられる状態」)や、母親が娘にかけている「呪い」について詳しく書かれれている。 

 いわゆる「恋愛障害」的なものは、根底をつきつめると「自尊心」「自己肯定力」「自己受容」にかかってくるのではないだろうか。

 

「恋愛障害」だけではない。最近は「人にどう思われるか」が気になるという人がとても多い。

例えば以下は「自分の意志を優先できる人の思考パターン」である

  • 自分が「辛いな」と思った時は、熱がなくとも休みを取る
  • 言いたくない質問には答えない。笑ってごまかしたり、強引にでも話題を変える
  • ご飯は気持ちよく奢られる
  • 誰かと過ごす時「私と一緒に過ごせて幸せでしょ」と思う
  • 自分が行きたくない飲み会は当日でもキャンセルする

このリストを「恋愛障害」に悩む人に見せたところ、そのリアクションは「こんなの絶対無理!」というものだったそうだ。

 

そして、そういう場合「そんなに気にすることないよ」と言っても、本人は、それができないから困っているのである。

 

それに対応するエクササイズも載っている。

 

恋愛障害(1)

 

恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? (光文社新書)

恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? (光文社新書)

 

 トイアンナさんの「恋愛障害」を読んでみた。


「恋愛において、対等なパートナーシップを作ることができず、長期的に苦しむことを『恋愛障害』と名づけました」とある。

 

私は占筮家つまり占い師とても活動しているが、感じるのは「自尊心や、自己肯定力が低くて悩んでいる人が多いなぁ」ということだ。


★逆に、親がほめすぎて「ほめられないと、注目を浴びないと落ち着かない」モンスターみたいなのが育つというケースもみている。

この場合「ほめられる、注目を浴びる」ことに自分の価値があるとインプリントされているので、ほめられないとか、否定されると、逆恨みして暴走したり、犯罪行為に走ったりすることもある(実話)。

橋本敬三先生が「子どもはほめて育てる」と書いているが、「ほめる」ということを、エサにしてはいけないということだ。テストの点がいいからほめるとか、○○が出来たからほめる、というような「条件付きのホメ」に慣れすぎると、上記のようなモンスターが育つのだ。

 

これは、「救い」と「報い」を混同している。
その子の存在自体(救い、つまり絶対)は素晴らしいものであることは、事実であり、それを褒め称えるのは間違っていない。しかし、その子がやったこと(報い、つまり相対)は、きちんと評価することだ。

この「報い(相対)」の部分で「条件つきのホメ」が過度になるとよくない。

 

続く

 

めまいと操体。

橋本敬三先生の本にも「メマイの患者」さん向けのやり方が書いてあるものがあります。今なら私も「なるほど、こうなってるわけね」と、分かりますが、やはり25年前くらいはよくわからなかったものです。。。

 

「めまいを治そうとしなきゃいいんだよ」

 

6月17日の話。私はこの日昼と夜は易の学校と、途中の時間に上野の東京都美術館に行ったりと、ばたばたしていました。


丁度「めまいでどうしても今日観て欲しい」という方から連絡があったのですが、いかんせん外にいたため、師匠、三浦寛先生に連絡して、その方を師匠に紹介しました。その方はその日のうちに、師匠の治療を受けに行かれたそうです。


後で師匠に聞いてみたところ、その方は、すぐ眠りにはいり、終わった後はきもちよく、すっきりしたとおっしゃっていたとのことでした。めまいも「いいみたいです」とおっしゃっていたとのこと。


私も翌日ご本人にもメールを書きましたが「とてもきもちよかった」とのことで、「何をされているかわからなかった」(そうなんです。きもちいいとそうなんです)というお返事をいただきました。
経過がいいので引き続き加療を続けるそうです。

 

「めまいを治そうとしなきゃいいんだよ」

 

これは、師匠が私に言った言葉です。

めまい、という症状が起こると、どうしてもそれをどうにかしようとしますが、そうではなく、遠回りだけれども、確実にバランスを整えること。


「めまいを治そうとするんじゃなくて、○○を○○することですよね?」

と、師匠に聞くと「そう」という答えが返ってきました。

 

そうです。○○なんです(笑)。

 

最近の操体の臨床はこの「○○」なんです。

 

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うにゃ? 

 

 

ほほえみの御仏と伊東マンショ

日韓国交正常化50周年記念「ほほえみの御仏」二つの半跏思惟像、に行ってきました。
本日6月21日から展示開始です。

hankashiyui2016.jp

なお、公式サイトには、なんと「聖★お兄さん」のイエスとブッダが登場!

 

hohoemi023.com

わたくし「聖★お兄さん」が大好きなので非常にウレシイです。

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★雨のトーハク本館。本館は久しぶり。

 

今回は、「韓国国宝78号」と、こちらも国宝の奈良・中宮寺門跡の半跏思惟像のお二方?がいらっしゃっています。韓国の半跏思惟78号様は6世紀、日本の半跏思惟像様は7世紀、日本のほうが後になります。当時の日本の仏像は、韓国の影響を多大に受けていたそうです。

 

トーハクは、一年ぶりくらいでしたが、今回入館時には手荷物検査と、金属探知機による検査がありました。そういえばスペインのプラド美術館では同じように手荷物検査があったし、イスタンブールアヤソフィアやトプカピ宮殿でも確か手荷物検査がありました。だんだんこんな感じになってくるんでしょうか。

 

今回の展示は、この二つだけです。それも三週間のみです。

 

78号さんは、思ったよりも小さかったです。私は後ろに回り、後ろ姿もじっくり拝観しましたが、後ろ姿も細かく作り込んでありました。ヒゲとかありますが、女性的なお顔立ちです。膝の上に挙げている足が、からだの割には大きいな、足の指が長いな、と思いました。金属の仏様です。


そして、奈良・中宮寺門跡の半跏思惟像様は、つるんとした中性的でスリムな感じです。優しいお顔立ちです。

八頭身といってもよく、また、7世紀当時はもっとカラフルだったようです。こちらは木製で、言い伝えによると、聖徳太子厩戸皇子)が、母君、穴穂部間人皇后のお姿を刻

 

このお二人が会えるのは、多分今回だけです。滅多にないチャンスです。

 

このお二方だけ?と言っても、トーハクの他の展示物も見ることができます(ギリシャ展などの特別展をのぞく)。

 

今回は、特別展示で、天正遣欧使節の伊東マンショ肖像画が初公開されています。
ベネチアで書かれたもののようですが、肖像画を得意としたベネチアらしく、今まで私が見てきた、あるいは歴史の教科書に載っている、どの伊東マンショよりも、イタリアンなイケメンに描かれています。

 

二重でアヒル口です・・・。ちょっとヒゲだし(笑)
現代にも通じますね。

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ちなみに、展示物にラテン語の資料があったのですが、私の後ろにいた、多分スペインかイタリアの色男達の一団の一人が、そのラテン語の資料を読んで、仲間に伝えていました。彼らにとっても、サムライ時代の日本人が、スペインやイタリアに来ていた、ということ自体、不思議なことなのかもしれません。

 

その他、浮世絵や、高円宮様の根付コレクションなども展示されています。根付はとても可愛らしいものもありました。

 

今回はいかんせん、後の予定が詰まっていたもので、ゆっくり見学することができなかったのですが、今度はギリシャ展と、上野の森美術館でやっている「ブータン展」も見たいと思っています。

「すべての疲労は脳が原因」

先日、「ためして○○」というテレビ番組で、「幸せホルモン」としてのオキシトシンが紹介されていた。これは、皮膚の触れあいによって分泌されるもので、ハグとか親密な接触によって盛んに分泌される。

 

オキシトシンは、我々にとってはそんなに目新しいものではないが(皮膚に関する情報だから)、この番組でやったことで、また知名度が高まるんだろうなと思った次第。

 

さて、興味深い本を見つけた。

 

すべての疲労は脳が原因 (集英社新書 829I)

すべての疲労は脳が原因 (集英社新書 829I)

 

オビには「疲れているのは体じゃない。脳だった!」と書いてある。

からだが疲れているように感じても、実はからだはそんなに疲れていない。では、なぜ「体が疲れた」と感じるのか。

本書は「脳の自律神経の中枢」を中心に、脳が疲れるしくみを解き明かしている。また、最近は、疲労の度合いを科学的に割り出すこともできるようになったらしい。

 

疲労回復には、いわゆるタウリンが含まれた「D」とか、「R」とか「Y」とかあるが、実は疲労回復に効くという根拠はない、ない、という話や、森林浴や温泉の本当の効能などについても言及している。私達が「疲労回復」にいいと思っているものは、実はあまり良くなかったりするのである。

 

そして、日焼けというのは疲労に繋がるらしい。

今はそうでもないが、子どもの頃、太陽に当たっただけで疲れた記憶がある。

そしてそして、紫外線が目から入るだけでも、影響するのだそうだ。
私はかれこれ30年近く、UVカット効果のある、二週間使い捨てのコンタクトレンズを使っているが、意外と疲労防止に役立っているのかもしれない。
日焼け止めも通年塗ったほうがいいとある。勿論塗っている。

 

面白いのは「疲労回復にいい食材」。それはなんと鶏の胸肉なのだそうだ。それからクエン酸

クエン酸は、スポーツ系の資格のテストには必ず出る問題だ。

 

2016年 操体マンダラ。

毎年「海の日」は、「操体マンダラ」を開催しています。

 

そもそも「操体マンダラ」って何だ?というアナタに説明いたしますと、操体法東京研究会主宰、東京操体フォーラム理事長であり、操体臨床50年の私達の師匠、三浦寛先生が「一日好きなことをする日」であり、弟子が「師匠孝行」する日でもあります。

 

「塾SOTAI」がライブなら、「フォーラム」はリサイタル、「マンダラ」は「ディナーショウ」というのが位置づけです。

よく「ディナーショウ」って、三浦先生が歌うんですか?と聞かれることもありますが、本人は歌いません(笑)。

ゲストに音楽家の方がいらっしゃる時は歌ってとか演奏していただくこともあります(三浦先生の患者様は、音楽家とか美術家とか多いのです)。

 

また、東京操体フォーラム実行委員のT本君がイギル(大陸の弦楽器)を弾いてホーメイなどを歌ってくれることもあります。T本君は、東京操体フォーラム相談役である、巻上公一さんのホーメイの生徒さんでもあります。

 

 

操体は常に進化しています。

温故知新は当然ですが、温故ばかり追いかけて、まったく進歩がないのは文字通り進歩していないということです。

 

環境の変化(操体の教えの中には「環境」という言葉も含まれています)に伴って、人のからだや生活習慣も変わってきている、ましてや体形やアレルギーの度合いなども変わってきているのに「施術」や「治療法」が変わらないわけがありません。

 

これは何度も言っていますが、カイロプラクティックロルフィング、指圧なども変わってきています。傾向からいうと、柔らかく、優しくなっています。

 

操体の世界の中で、一番先端にいて「道開き」をしているのは、間違いなく、三浦寛先生です。

 

その「道開き」の成果発表の場でもあるのが「操体マンダラ」なのです。

 

これ、弟子も驚くわけですよ。

「ええっ?こんなの初めて・・・」みたいな。

 

操体に「快適感覚」を導入し「皮膚へのアプローチ」を導入しました。当初、コンサバティブな操体関係者はそっぽを向きましたが、今ではそのコンサバな方々が「快」とか「皮膚」と言い出しているのです。

 

なので、これから三浦先生が発する情報に対して、コンサバティブ派の操体の皆さんは「そんなことないだろう」と言うのは、予想できます。

 

そして、5年とか10年とかすると、さも最初からそうだったように、新しい意見を肯定するのです。

これは、繰り返してきたパターンですから、予想はつくのです。

 

私は5年前に「あと10年もしたら、コンサバ操体関係者が『操体は皮膚だ』と言うでしょう」と予言(笑)していますがその通りになっています。

 

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★これは昨年の模様。
島地勝彦先生が講演して下さいました。