操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

ビジネス禅

著者はまだお若いです。

修業を終えて、埼玉から京都まで歩いて戻る旅のくだりは、なんとも言えません。
托鉢をして歩くお坊さんにツバを吐きかける人とか、本当にいるんですね。。。

 

最近「マインドフルネス」という言葉をよく聞きます。

「呼吸」や「今」に集中することや、GoogleなどのIT企業でも従業員の心身のコントロールのために使われているものです。

禅がそのベースになっていると言われています。

ビジネスZEN入門 (講談社+α新書)

ビジネスZEN入門 (講談社+α新書)

 

 さて、ワタシの家のお墓、父が入っているところは近所にあり、ここは日蓮宗ですが、宮城の気仙沼の両親のお寺は、両方とも曹洞宗です。禅寺ですね。東北は禅寺が多いような気がします。東京のお寺は結構「宗派問わず」のところが最近多いみたいです。

 

また、母方のお寺に、ワタシの曾祖父が寄付したという巨大な木魚を観に行ったこともありますし、瑞巌寺臨済宗のお寺です。というわけで、禅というのは結構親しみがあったりします。

 

更に、最近よく行っている赤坂の豊川稲荷。稲荷という名称ですが、実は曹洞宗のお寺です。お墓などはありませんし、檀家もありませんが、般若身経の会員(というらしい)の寄付や、ご祈祷によって運営されています。

行ってみるとわかりますが、場所柄芸能事務所とか噺家さんの幟が立っていたりします。ワタシは茶店で御神酒を買ったり、お供えを買ったりします。茶店のおでんも茶飯も美味しいですね。

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というわけで、禅は勝手に身近に感じているのですが、スティーブ・ジョブズが禅に傾倒していたという話も有名ですよね。

 

Appleユーザのワタシはその辺りをカウントしても、禅には親しみを感じるわけなんです。

 

この本では「マインドフルネス」と「禅」の違いが書いてあります。

マインドフルネスは、やはり西洋思考というか「ゲイン」なんですね。

瞑想すればこんないいことがある、こんなお得なことがある、というのが、それです。

 

対して禅は「ルーズ」であると書かれています。

つまり、瞑想すればこんないいことがある、と、期待してやらないのです。

また、面白かったのは、西洋的には「いいことをしたら人に知らせる」とか「人前でいいことをする」、つまりアピールです。

日本人が「人が観ていない時に善行を積む」というのは、西洋的な考え方にはないみたいなのです。

そして、日本の禅僧は肉食妻帯も許されていますが、それと、もっと厳しい戒律のある、他の国のお坊さんの話なども、お国柄というか、興味深い話が書かれています。

 

そして、何度か出て来ますが、Appleのシンプルで美しいデザイン、あれは間違いなく禅の影響を受けているのでしょう。

 

ワタシがApple好きなのも、禅と関係あるんだろうな、と思ったりします。

 

読書日記10月〜11月

 英語の勉強をはじめて長いですが、発音ってなかなか勉強が大変です。

今年の前半に買った教材は発音に特化しているのですが、日本語と口の筋肉の使い方が違うので、練習すると結構疲れたりします(笑)。

さて、この本は池谷さんがアメリカに行った際に気がついたという法則をまとめたものです。

 

ちなみに、年配の方が「デズニーランド」とか「ビルジング」というのは、決して言語能力が劣っているわけではなく、幼少時に「ディ」という音を聞いてこなかったからなんです。

ワタシの場合、小学生の頃からFEN(相撲中継も聞いてたけど、メインは音楽)を聞き、社会人になってからも毎朝英語でニュースを聞く(聞いてるだけでよくわからない)ということをやってきたので、耳は慣れているのかもしれませんが、発音はねぇ、という感じです。

例えば Animal  は「アニモゥ」と発音すれば通じるのに、日本人は「アニマル」と言ってしまうワケです。この辺りはとっても不思議です。

 What time is it now?  が「掘ったイモいじるな」で通じるというのは有名な話ですね。

  

藝術部活動

10月は小倉、門司、福岡の旅。その次は仙台と、色々多忙な10月でした。

10月最後の日曜は、第五日曜ということで「塾・SOTAI」でしたが、終わった後、数人と、ラフォーレ原宿で開催していた「KISS EXPO」に行ってきました。

私は既に一度行っており、Tシャツとか湯飲みとか豪華なパンフとか買いこんでいたのですが、今度は引率?ということで。

 

一番面白かったのは、KISSのステージでギターやベースを持ったり、ドラムセットに座って写真が撮れるコーナーでした。

(写真を悪用する人@犯罪ですよそれって@がいるので、写真は載せませんが、四人で行ったので、丁度ぴったりでした)

前回、一人にもかかわらず写真を撮った私ですが、四人のほうが面白いことがわかりました。

 

ちなみに、同行したメンバーは

 

KISSジーン・シモンズのミー・インク

KISSジーン・シモンズのミー・インク

 

 こちらを読み、ハタケヤマが長年リスペクトというかアドマイヤしているKISSというバンド、師匠も3回観に行って面白かったというバンドとは一体??という興味があったようです。

 

ちなみに、私が英語を曲がりなりにも使えるのはKISSの皆さんのお陰といっても過言ではありません・・。

 

自分の信じる道を行け!というのも、ここから習ったような気がします。

 

 そして、彼らが何故、40年以上も(途中色々ありましたが)、やっていられるのか。
それは、観ているとよく分かります。
(ミー・インクを読むともっと分かります)

 

そしてそれは「やり抜く力」にも関係しているのではないかと思っています。

 

やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

そして、その後は、

www.ntv.co.jp

こちらに行ってきました。
そして、以前観ようと思って見損ねた、ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」が、TOHOシネマズ六本木ヒルズでやっていたので、見てきました。

この映画、カンヌではブーイングが起こったそうですが、個人的には「史実を描いたものではない」という事で言えば、いい映画でした。サントラがとっても私好み( The Cure がたくさん)で、カラフルできれいで、革命の処刑シーンなどは出て来ないのです。こういうのがあってもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

藝術部活動

10月は小倉、門司、福岡の旅。その次は仙台と、色々多忙な10月でした。

10月最後の日曜は、第五日曜ということで「塾・SOTAI」でしたが、終わった後、数人と、ラフォーレ原宿で開催していた「KISS EXPO」に行ってきました。

私は既に一度行っており、Tシャツとか湯飲みとか豪華なパンフとか買いこんでいたのですが、今度は引率?ということで。

 

一番面白かったのは、KISSのステージでギターやベースを持ったり、ドラムセットに座って写真が撮れるコーナーでした。

(写真を悪用する人@犯罪ですよそれって@がいるので、写真は載せませんが、四人で行ったので、丁度ぴったりでした)

前回、一人にもかかわらず写真を撮った私ですが、四人のほうが面白いことがわかりました。

 

ちなみに、同行したメンバーは

 

KISSジーン・シモンズのミー・インク

KISSジーン・シモンズのミー・インク

 

 こちらを読み、ハタケヤマが長年リスペクトというかアドマイヤしているKISSというバンド、師匠も3回観に行って面白かったというバンドとは一体??という興味があったようです。

 

ちなみに、私が英語を曲がりなりにも使えるのはKISSの皆さんのお陰といっても過言ではありません・・。

 

自分の信じる道を行け!というのも、ここから習ったような気がします。

 

 そして、彼らが何故、40年以上も(途中色々ありましたが)、やっていられるのか。
それは、観ているとよく分かります。
(ミー・インクを読むともっと分かります)

 

そしてそれは「やり抜く力」にも関係しているのではないかと思っています。

 

やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

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そして、その後は、

www.ntv.co.jp

こちらに行ってきました。
そして、以前観ようと思って見損ねた、ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」が、TOHOシネマズ六本木ヒルズでやっていたので、見てきました。

この映画、カンヌではブーイングが起こったそうですが、個人的には「史実を描いたものではない」という事で言えば、いい映画でした。サントラがとっても私好み( The Cure がたくさん)で、カラフルできれいで、革命の処刑シーンなどは出て来ないのです。こういうのがあってもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

快を越えて。東京操体フォーラムへ

そして、操体の現在ですが、「快不快」を越えようとしています。

 

もっと言えば「こうすれば、こうなる」という、感覚の世界ではなかなか消化しきれない問題も解決しつつあります。

 

また、動診と操法も絞られてきました。

 

この変化があったのは、今年の3月のことです。

 

3月4月5月辺り、我々東京操体フォーラム実行委員は、最初「そんなんアリですか???」という状況でした。息診・息法もすっ飛ばす状態なんですから。

 

が、進化・変化に追いつけるものが生き残れるもの。
(生物の世界もそうですよね)

 

我々は無事にシフトチェンジを終えました。

 

勿論、今まで学んだことは、十分な糧になっています。

 

操体も、やっと21世紀バージョンに入って来たのかな?という感じです。

これは単に机上の理論ではなく、実際に結果を出しているものでもあります。

 

 

それが、ちらっと覗けるのが、11月23日の「2016年秋季東京操体フォーラム」です。

 

 

操体って、楽な方に動かして、瞬間脱力させるヤツでしょ」と思っているアナタ(って、このブログの読者にはいないと思いますが)、それはちょっと古すぎます。

 

恐ろしいことに第二分析でさえ、私達の中では結構過去のものになっていたりします。

 

それって、歌舞伎って、河原でオンナが男装して踊って芝居して、風俗の乱れから、禁止された(出雲阿国時代の話)ヤツでしょという認識を、21世紀の今でもしているのと、対して変わりありません(大袈裟か)。

歌舞伎だって、スカイツリーで天望歌舞伎をやるくらいですから、操体も、根本的なことは変わりませんが、時代とニーズに合わせて進化していくのです。

 

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快不快の定義。

先日、全国操体バランス運動研究会の発表で、ある先生がPowerPointを使って

「快以外は全て不快」
「不快以外は全て快」という発言をなさっていました。

 

私は「そうかいな?」と思いました。

 

それって、あまりにも白黒はっきりさせすぎでは?

人間、感覚で言えばグレイゾーンもあるのでは??

 

例えば、イタ気持ちいいとか、楽でなんともないとか。

操体の臨床にもっていく場合は、このあと「からだの要求」にもっていきます。

 

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上は、私が「ベーシック講習」などで使っている図です。

 

不快の反対語は確かに快です。

楽の反対語は確かに不快です。

 

しかし、快と楽は違うのです。

楽というのは、なんともない、バランスがとれている無の状態です。
なので、動かしてみても痛みも快感もなにもないのです。

快、というのはある程度歪みや変調があるから、動かすと快感を生じたりします。

 

楽と快の違いを「歪みがあるかどうか」で識別するのも一つの方法です。

「快」の定義

先日の「操体の全国大会」ですが、ある先生が、橋本敬三先生の本をスキャンして、OCRで認識し、辞書のように使っている、と発表なさっていましたが、私は10年前からやっています(別に張り合うわけじゃないんですが(笑)。
原稿を書く場合など、どの本のどこから引用したか、などを明確にするためです。

なお、もっと凄いのは、東京操体フォーラム実行委員の皆さんです。

なんと、橋本敬三先生の本を「写本」しています。
読んだ、ではなく写本です。写本するくらい熱心に、橋本敬三先生の本を読んでいる方が、この世にどれくらいいるか知りませんが、多分そんなにいないでしょう。

 

さて、

快と楽の違い、定義については私も色々書いていますが、

注意しなければならないのは「一般的概念の楽と快」と、「操体における楽と快」の違いです。これを混同すると、おかしなことになります。

 

我々操体実践者が注視すべきは、当然のことながら「操体における楽と快のちがい」です。

 

私は「快」と「不快」を定義するとしたら「好きか嫌いか」でもいいと思っています。
シチュエーションはいくらでもありますから。

 

これを一般概論的に定義しようとすると、大変です。

 

なにせ「一人一人違う感覚」なわけですから。
ある人にとっては快でも、ある人にとっては「不快」な場合もあり得ます。

 

先日、ある方からちらっと聞いたのですが、操体実践者で「快」と「楽」の定義をなさっている方がいて、ということでした。

 

私は話の内容だけで、大体どなたが書いたか分かりました(笑)

少なくとも、東京操体フォーラムや、操体法東京研究会の方ではありません。

 

それがどうというわけではないのですが、快を「不快なことを我慢して、その後の爽快感を快」みたいな説明だったのだそうです。

 

なるほどね。

 

確かに「爽快」。

しかし、これはこの方の定義ですよね。

 

快の質が全て「爽快的な快」とは限りませんよね。

そして「快」というと、以前私が知っていた人は「快楽殺人はどうなんだ」と言いました。例えば「オレは人を殺すのが快感だ」という場合です。

 

これは、あきらかに人様に迷惑がかかります(汗)。

 

橋本敬三先生の本には「きもちよければ何でもいい」というのがありますが、その後に「後味がいい」「人に迷惑をかけない」という注意事項があります。

 

「広い意味での快」という捉え方をすると、わからなくなってきます。

例えば性的な快感とか、SMとか、先の快楽殺人とか、そういうことを含めると、わからなくなってくる、ということです。

 

また、性の世界は非常にパーソナルなものなので、一概に他人が踏み込むことはできませんので、やはり、我々は「操体の臨床」という中での「快」「不快」というように考えるのが妥当ではないでしょうか。

 

操体における快のプロセスを書いてみましょう。

(注:第一分析では「楽か辛いか」という二者択一の動診を行いますが、きもちよさの有無をききわける、第二分析とは、動診の方法が全く違います。以下は、第二分析以降を示しています)

操体は、リラクゼーションや慰安ではありませんから、必ず「診断分析」が伴います。

まず「動かしてみて」「皮膚に接触してみて」「その他諸々」という診断分析を行ってから、快適感覚の有無をききわけます。

この場合の快は、文字通り「きもちのよさ」です。動かす、触れるという「診断分析に対してどうなの?」という問いかけです。

 

なのでここでは、快楽殺人とかSMプレイとか性的な好みとか、暑いところから冷房が効いたところに入った、というような「いろんな快」とは違うことを認識してください。

 

★こうやってプロセスを考えると「きもちよさを探して色々動いて」という指示は、診断分析をすっ飛ばしており、操体の臨床プロセスから外れていることが分かります。
さらに、きもちよさは探しても見つかりません。せいぜい痛みがないとか、楽なところが見つかるだけです。

★といっても、なかなか理解してくれない方も多いので、加えますと「きもちいいかどうかは、動いてみなきゃわかんないでしょ」ということです。

 

そして、その快適感覚が「味わってみたいというからだの要求を満たしているものか」、からだにききわけます。中には、きもちいいけど味わってみたいという要求はないものもありますし、逆に痛みや不快感があるけれど、からだの要求で「味わってみたい」という時もあるのです。

 

からだの要求を確認したら、そのきもちよさを十分に味わいます。
味わっている時間が、そのまま操体の「治療であり、操法」です。

 

「楽か辛いか」の問いかけの場合は、瞬間脱力になりますが、「きもちのよさ」を味わっている場合、瞬間脱力にはなりません。これは実際にやってみるとわかります。
「脱力の方法もからだに委ねた」場合は、静かに抜けてきます。
よく「ふわっと脱力して」というのをききますが、「快」を味わっていれば、「ふわっと」などという言葉をかけなくとも、からだは静かに脱力してくるのです。

 

その動き、そのアクションに「快適感覚があるかどうか」の有無をききわけます。

(その、というのは、一つの動き、一つのアクションに、ということです。二つの対になった動きやアクションを比較対照するのではありません)