操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「人間橋本敬三を語る」と「女弟子友の会」

サイトに掲載されている操体関連書籍を整理していたら

昨年10月に出した電子書籍を紹介するのを忘れていたので追加した。

 

人間橋本敬三を語る 操体の極意(1)

人間橋本敬三を語る 操体の極意(1)

 

これは、東京操体フォーラム開催時、特別ゲストとして
温古堂で受付兼橋本敬三先生のお世話係として5年間過ごした「ミヨちゃん」を呼び、
師匠と対談した時のものである。

弟子とお世話係はやはり対応が違う、というかやっぱり橋本先生は男女に対応差をつけていたのではと(笑)思うところがある。

私が師匠に聞くのは「人のことを悪く言っているのを聞いたことがない」という、
非常に立派な先生の話であったりする。

一方、男性の患者さんにはいささか厳しく?女性の患者さんには非常に優しく??という話も聞いたりする。特に女性の患者さんはよく褒めていたそうだ。

更に「温古堂」というのは仙台の定禅寺通り(けやき並木や年末のライトアップで有名。橋本先生は町内会長をしていたらしい)にある。

定禅寺通りというのは、東北一の歓楽街、国分町のすぐ近くである。
患者さんの玄人のお姐さんが多かったとも聞く。
また、割と近くに「西公園」というのがあり、仙台市民会館があるが、ここは遊郭があったところだ。

それはいいとして、

ミヨちゃんの話を聞くと、
橋本先生をカミサマだと思っている人は腰を抜かすかもしれない。

ミヨちゃんが入ってから数ヶ月の間、敬三先生は不機嫌だったらしい。
とにかく機嫌が悪くて「辞めようと思ったこともある」とミヨちゃんが言っていた。
★その後、三浦先生の紹介で今先生が入って来てから温古堂の雰囲気は変わってきたらしい。

橋本敬三先生は、機嫌が悪いとミヨちゃんにあたった。

★どんな風にあたったかは上記書籍をお読み下さい・・

★ハナをかんだハンカチをすぐ洗えとか、出がらしのお茶でもっと濃いお茶を淹れろとか、トイレに一緒に入れとか(笑)。

「こりゃ単なるワガママじゃん!!!」とか

「これ、今だったら完璧にセクハラじゃん!!!」

という事実が、明るく楽しく書かれている。勿論、それを差し引いても魅力ある爺様だったのである。

また、ミヨちゃんに気を許していたのだろう。

さらに「操体法治療室」には、橋本先生がすぐ声を大きくして怒鳴るとも書いてある。
「なんでそんなにドナるの?」とミヨちゃんが先生に聞くシーンもある。
これは、怒鳴ってるのではなく、熱中するとつい声が大きくなってしまうらしいのだが、従業員が「怒鳴ってる」ように聞こえるということは、そうだったのである(笑)

 

 私も結構師匠にはあたられますけどね。弟子だから(笑)
男の弟子には余りあたらない気もしないではない(笑)

意身伝心: コトバとカラダのお作法

意身伝心: コトバとカラダのお作法

 

作者は松岡さんと田中さんであるが、実はこの本の企画は、この二人の弟子、太田香保さんと石原淋さんが企画している。どちらも一番弟子であり、女性である。イベントで、女子が弟子であることの大変さを聞いた。まあ、色々な苦労があるわけです。

 

往々にして男弟子は独り立ちする。それが普通だ。
ケンカして出ていったりするのも大抵は男弟子だ。
自分で新しい流派を作っちゃうのも男弟子が圧倒的に多い。

ところが女弟子は独り立ちはせずに、師匠にずっとついている場合が多い。

野口三千三先生の高弟、羽鳥操さんもそうだ。

この辺りは「女弟子友の会」でも作りたいところである(笑)。

 

「橋本先生がタバコを吸っていたのは、実は患者さんの中には喫煙者もいたので、気を遣って吸う振りをしてふかしていた」と私に言ったのは某中部地方操体の会の方だったが、この方は自分が嫌煙者なので、尊敬する橋本敬三先生が喫煙者では困るのだ。

カミサマ扱いしているので、喫煙していては困るのだ。

橋本先生が90歳の時転倒して大腿骨頭を骨折なさったのは、落ちたタバコを拾おうとして、と、聞いている。90歳になるまでタバコを美味そうに吸っていた人が「吸う振り」「ふかしていた」なんてまったくおかしかったりする。

 

おとひめカード。

大河ドラマで「軍師官兵衛」をやっています。

官兵衛が何に長けていたかというと、易占(えきせん)・天文学地理学だったのだそうです。
勿論官兵衛が占筮(せんぜい)しているシーンが放映されるわけでもないよな~、と思って
見ております。

さて、どこかで書いたかもしれませんが、
占いには「命」「卜」「相」という3種類があります。

命というのは、占星術数秘術四柱推命など、誕生日でその方の運気をみるものです。
統計学と言ってもいいでしょう。
数千年の知恵の積み重ねによって得られたものです。

卜、というのは、タロット、易など、その時の運気や、決断などを占うもの。

相、というのは文字通り、手相、人相、家相など、かたちから生じるエネルギーから
吉凶を判断するもの

です。

私達は大抵「相」で、クライアントのからだを診ています。
つまり、「かたち」やエネルギーを診ているのです。

しかし、それだけでは足りないのが事実です。
「卜」の、その時の運気なども実は重要な診断分析の材料になります。

「息診」(そくしん)は、「卜」に通じるものがあると思っています。

話はちょっと逸れますが、

易の先生(大学の先生もなさっている)のお話で「易をやっている」と、
学生に言うと、手を出してくる(つまり、手相を見てくれということ)学生が多くて
苦笑いしている、とのことでした。

これを聞いて、
操体やってます」と言うと、よく、
マッサージの真似とか、浪越先生の真似(指圧の真似)をされることを思い出して
笑ってしまいました。

本題。

おとひめカード、という美しいカードを手に入れました。
普通のトランプの4倍位の大きさ、一枚一枚に美しい色がついています。

これも一種の「オラクル・カード」ですが、はせくらみゆき氏が原案で、
神田昌典氏が監修しているものです。

オラクル・カードというのは、いわゆるタロットとか、チャネリング・カードとかを指します。

面白いのは、問題解決からエネルギー召喚法はもとより、企業内の研修、アイディア出しなどにも
使えるそうです。
私もオラクル・カードをやりますが、勿論「占術」にも使えそうです。

f:id:lovecats:20140813104009j:plain

日本語とは、森羅万象の働きの中で、ものごとをあるがままに捉え、素直に明るく「マコト」(誠、真事、真言)の心で生きてきた、祖先達の精神性が、そのまま言動の表現であり、魂のほとばしりとして、想いが外に顕れたものでした。

 

こちらをモチーフに、カタカムナなども交えて作られたカードです。
「あ」からはじまり、日本語の一つ一つが持っている「意味」が書かれています。

縄文言葉とも言われる、「やまとことば」が大きなヒントです。

今現在、相似象とかカタカムナマイブームなフォーラム実行委員の皆さんも
多分興味深いとおもいます。

エッセンス訳(量子場) 音が持つ量子の振る舞いの様子を言語化したもの
ワンワード訳(象徴語) 音が持つ代表的な量子の波を一音でシンボル化したもの
チャイルド訳      子供にもわかる言葉で表したもの

例えば「ひ」
根源からの出入り。日・陽・火・エネルギー・spirit おひさま
「ろ」
空間 回転の極み・変化・囲い・大物 space かわる

「そ」
外れる 寄り添う・上向き Upward そりあがる
「う」
生まれ出る 統合 根源 火 内側の充実 Oneness うれしい うまれる
「た」
分かれる 高くたくさん現れる 明るく積極的 Action たくさん
「い」
伝わるもの 陰 光 風 生命 活動 Light いきいき

「ほ」
引き離れる ふくらみ ゆるやかに出る Rise たちのぼる
「う」
生まれ出る 統合 根源 火 内側の充実 Oneness うれしい うまれる

そうたい
Upward Oneness Action Light
という言葉の中には「外れる」つまり、今までとは全く違うこと(西洋医学でも東洋医学でもない)
「統合」と「たくさん現れる」そして「伝わるもの」という意味があるようです。

こうやってみると、操体、という言葉に「法」がついたことで、
もともとのことから、引き離れ、ある箇所だけ立ち上っているのだなあ、
という感じがします。
まあ、私の解釈です。

予約販売もあっという間に枠が埋まってしまったようですが、直感で
「欲しい」という方は「おとひめカード」をご覧下さい。

 

操体でからだが、変わるということ。

謎。

操体の講習を続けていると体型があきらかに変化する人と、そうでない人がいる。

 

例えば「ジャミラ」のように肩がパンパンに張っていた某I氏などは、肩の張りがすっかり落ちている。

S嬢はやはり鎖骨のあたりがすっきりしたので、顔が小さく見えるようになった(師匠が「オマエ、顔小さくならない??」と指摘していた)。

両腕が内旋しすぎて(上肢が内旋していると、連動の関係で肩が上に上がり、日常的に緊張するので肩が非常に張る)ロボット君のようだった某K君は、肩と腕の張りがすっかりとれた挙げ句「顔つきが凛々しくなった」と言われている(笑)。

だいたい、操体の修業というのはコアマッスルを使うし、半分以上は武術の修業みたいなものなので、しっかりやっていれば体型が変わるのは不思議なことではない。
動きにキレが出てくるのも当然だ。

私の受講生でも半年で10キロ自然に減ったという人がいたし、一番は実行委員のT松さんだろう。30キロも自然に減ったのだから。

そういえば私のクライアントでも、体重は変わらないのに近所のコンビニのおばちゃんから「痩せた?」と言われたという人がいたっけ。

一方、何年やっていても体型が変わらないという人もいる。
「そろそろ変わってもいいんじゃない?」と思う事もある。
同じ事をやっているのに、何故なのだろう。

不思議なことに、皆男性だ。

これもまた不思議なのだが、劇的な変化を遂げる人も、全然変わらない人も大抵男性なのだ。女子は「劇的」というよりも、ナチュラルに変化するようである。

 

★なお、経験が長くても「動き」をやらずに「渦状波®(かじょうは)」だけしかやっていなかったりすると、動きの「キレ」が悪くなるのですぐわかるというのは師匠である。私もわかる。

★質の高い、敢えていうならば、至上体験のような「快」を味わってしまうと、からだが変わるのは間違いない。中にはヨーガの行者が長年の瞑想の後に観るようなヴィジョンを観てしまったという人もいたりする。

★このような質の高い快は、第一分析では得られない。第三分析(刺激にならない皮膚へのアプローチ)以上の動診によるだろう。つまり、対になった動きを比較対照し、楽な方へ動かし、瞬間急速脱力させるという分析法(第一分析)では得られないということだ。第二分析(一つ一つの動きに快適感覚の有無をききわけさせるもの。動きは比較対照しない)でも「慣れていれば」「快の回路が開いていれば」という感じで、やはり第三分析(皮膚へのアプローチ)以上の分析法であろう。

 

不思議だ。聞けば食事にも気を遣っているようだし。

これについては何と言うか「何かを手放していない」ということではないかと思っている。。

何だかわからないけど「何か」。

上手く表現できないけれど、彼らには何か共通点がある。
それは「想」の部分だ。

よく「体癖」という言葉を聞くけれど、「体癖」の前に「想」があるのではないだろうか??

または「極上の快」を味わったことがないのかも?

たまに「極上の快」を味わうことを、無意識下で拒否する人がいるのは事実だと思う。

多分、今までの自分が消えてしまうとか「変わる」ことに対する潜在的な恐怖があるのかもしれない。

何を「手放していない」のか、何となくわかるのだが、ここでは文字にしないでおく。

 

骨盤と子宮後屈。

同じ身長で、同じような体格で、同じ位の年月操体をやっているのに、
どうしてこんなにスキルに差が生まれるのか?

10年程前、受講生をみていてそんな疑問を抱いた。
そして、気がついたのは「腰が反っているか反っていないか」という事だった。

気がついてからよく観察してみると、腰を反らしている場合、動きが「大雑把」になり、本来中心に集約すべき動きが、広がってしまうことがわかった。

まさか上手い下手に骨盤が反っているかいないかが関係するとは思わなかったのだが、伝統芸能や武術をみると、基本的に腰は反らせないのである。

*****

操体は「ボディの歪みを整えることによって二次的に症状疾患を解消する」という手段をとっている。

投薬や症状疾患がある部分を触ったりするのは、即効性はあるが、副作用が起こる可能性が高い。操体は「遠回り」のルートをとる。症状疾患のある箇所には触れず、遠方からアプローチする。

「途中過程で介入する要素のほうが多いので、少しずつ力を合わせて、最終的には大きな効果へとつながっていく」ということだ。

これは時と場合にもよるが、この使い分けも大切だと思う。応急処置には前者のほうが向いているし、慢性疾患や根本的な治療には操体は向いている。

な~んていうことを考えていた。

と、FBのリンクからで「骨盤と子宮後屈」というのを読んだ。

あまり普段パーツパーツで考えないので、なるほど、と思ったのだが、骨盤が反る(操体で言うと「骨盤の前弯曲」、普通に言えば「骨盤の後傾」)と、子宮が後屈する。子宮の後屈というのは、そもそも骨盤が反っているから起こるのだろう。

何故反るのか?内臓の緊張もあるだろうし、大腰筋も関係している。ファッションのせいもあるだろうが、一言で言えば環境の問題が大きいのだろう。

 

f:id:lovecats:20140821131732j:plain

これは私が講習でよく使う図。

なお、武術系は殆どそうだが、腰を反らせるということはしない。

操体の「自然体立位」でも腰は反らせない。

また、再三書くが「般若身経」をやる際、腰が反っているとあまりよろしくない。
何故なら腰が反っていると「膝をゆるめる」ことができないからだ。

★私は20数年前、太極拳の日本チャンプの先生(女性)に太極拳の手ほどきを受けた。その時「含胸抜背(がんきょうばっぱい)」をめちゃくちゃ特訓した。

壁にかかと、ふくらはぎ、臀部、肩、後頭部を付けて立つと、大抵は腰の弯曲で腰椎と胸椎が壁から離れる。

それを、骨盤を前弯曲(恥骨を前方に巻き上げる感じ)させ、腰椎も胸椎も壁につけるのである。骨盤を前弯曲(後傾)させたまま、なおかつ背筋は伸ばすのだ。

これが中国武術や日本の伝統芸能などの基礎となる姿勢なのだ。

操体の練習ってどんなものかというと、大抵は操法を習うと思うだろうが、最初の練習は「操体的なからだ」をつくることだ。ほとんど武術の稽古に近い。太極拳の先生の特訓のお陰で、操体の修業にどれだけ役に立ったかということだ。

なお、日本では昔から「月見は上品(じょうぼん)、潮干狩りは下品(げぼん)」と言う、と橋本敬三先生は著書に書いておられる。

これは、いわゆる女性器について書いてあるのだが、俗に言う「上付き」「下付き」のことだ。上品(じょうぼん)であるということは、骨盤が前弯曲(後傾)しているということだ。

また、江戸時代の吉原のお女郎衆は、後背位を下品だとしていたという話も聞いたことがある。というか、吉原の女の誇りとして応じなかったという話もあるようだ。

書くまでもない?が、骨盤が反っている(後弯曲・前傾)していると、お尻が反るわけだから、後背位のほうがやりやすい(笑)のは当然であろう。

いずれにせよ江戸時代に、骨盤の前弯曲・後弯曲で「上品・下品」と明確に分けられているのは面白いことだ。

こういうことを考えると、日本人はやはり「反り腰」ではなかったのである。

 

そしてこういう話をすると「それじゃ、いつも腰を反らさないようにして過ごさなきゃいけないんですか」という過激?な意見が出る。

いつも着物を着ているわけじゃないし、洋服を着てハイヒールを履いたらやはり腰は反る。

日本人のすごいところは、洋装にも和装にもフレキシブルに対応できるというところなのだ。

洋服を着ればそれに合わせて骨盤を変え、和装の場合もそれに合わせて骨盤を変える。それができるのが日本人なのだ。

何だかまとまりがつかなくなってきたが(笑)今日はこんな感じ。

 

 

 

ウリ科アレルギー。

食べ物の好き嫌いってどうでしょう。

「焼いたトウモロコシは好きだけど茹でたのは嫌いだ」
「焼き魚は好きだけど煮魚は嫌いだ」

こういうのは単なるワガママです。食べ物の好き嫌いとはちょっと違いますからね。
こういうことをいうヤツには作ってあげる必要はありません。

あんまり関係ないですが、中谷彰宏さんが「お悩み相談」で、中学生の息子が食事にダメ出しをします、どうしたらいいでしょう、という相談に答えていました。

中谷さんの答えは「ご飯にダメ出しをしたら、一生童貞だと教えてあげよう」でした。

「嫌なら食べるな、と、片付けてしまえばいいのです」

「ご飯は作って貰って当たり前ではないことを教えるのです。そうするとどうなるか、を知らないまま社会に出ると、もっと悲惨なことが待っています。

親が甘やかすことによって「甘えたことを言っても通用する」と、思い込ませることがもっとも冷たい親になります。

ご飯にダメ出しするとどうなるか。

その子は女の子にもてなくなって、一生童貞であることを教えてあげることです」

★これ、わかります。

本題。

私と親しい人は知っていると思いますが、
子供の頃からキュウリがダメです。

前世河童に殺されたのかもしれません。

昔の給食には「塩もみ」といって、キャベツとキュウリを塩でもみ、大抵ペアになっているのが鯨の竜田揚げというヤツですが、「塩もみ」は私の憂鬱の種でした。

 

親しい人は、分かっているので、キュウリが入っていると食べてくれます(笑)

 

そんなに嫌いなモノはないのですが「キュウリがダメ」というと、
「好き嫌いが多い」とか言われ、イラつくこともあります(笑)

昔から「好き嫌いの一つなのだろうか」と思っていましたが、
ピクルスとか火をとおしたものは平気です。

とにかく「青臭いにおい」で気持ちが悪くなるし、中学高校では、教室で誰かの
お弁当にキュウリが入っていても具合が悪くなりました。

とにかくあの「青臭いにおい」をかぐと気分が悪くなる。
吐き気とかもしちゃう。

高校の時、友人の家に遊びに行ったら、キュウリのサンドイッチが出て、目眩がしたこともあります(ごめんなさい)。ふつ〜の人はふつ〜に食べますからね。

 

調べてみると、これは「好き嫌いのワガママ」ではなく、れっきとしたアレルギーであることがわかりました。

世の中には私同様ウリ科アレルギーの人がいるのです。万歳同志よ!

 

キュウリが一番ひどいのですが、西瓜も苦手です。

最近のメロンは極甘で、スイートな香りで青臭さがないのでイケますが、自分から買ったりはしません。マスクメロンなどは(あれは「ムスク」からきたそうですね)青臭くないので平気です(というと、ますますワガママだと思われそうですが、仕方ありません)。


トルコでもよくキュウリが出ますが、日本の程青臭くない(でも食べられない)。

スペインでもスーパーで売ってるガスパチョにはキュウリが入っているので飲めない(笑)。

 

アレルギー系統で思い出すのは、私の父です。

父は透析をしていました。透析をしていると、カリウムの摂取制限があります。
なので、私と違って?果物が大好きだった父は果物を食べることができませんでした。

そんな時、ある家に父と母と私とでお邪魔した際、そこの奥様は(知らなかったとは思うのですが)父に果物をすすめました。父は「僕はちょっとダメなんですよ」と言いました。私も「透析してるから、果物はダメなんですよ」と言いました。

ところがその奥方は「美味しいから食べなさい」というのです。父は「すいません、ダメなんですよ」と言えば「美味しいんだけどねぇ」と言います。

この辺りはまるで吉本喜劇なみだったと思います・・

私はついに、あまりにもその奥方のしつこい勧めように「お気持ちは有難いですが、透析をしているので果物は食べられないんです。食べたくても食べられないので、勘弁してやってください」と大きな声で言いました。

 

世の中には、食べたくても食べられないものがあるヒトもいるんだよ、というお話でした。

周囲に透析している人がいたら、覚えておいてくださいね。

 

「からだは操者を選ぶ」

先日

「誰かが『からだも操者を選ぶ』と言った」ということを書いた。

誰が言ったのかさっぱり思い出せず、たまたま師匠に話したところ
「それはオレが言ったんだ」とのことだった(汗)。

あ、師匠でしたか(汗)

例えば「渦状波®」(カジョウハ)。
たまに真似をして「こうでしょ」と見せてくれる人がいるが、大抵は見事に間違っている。どういうふうに間違っているかはここでは書かない。

また、「センセイの真似してやってみたけど、全然効かない」という話も聞く。
これがまた見事に効かない(笑)

以前から、何となく心の中では知っていたのだが、それがやっと言葉になった。

先日のように、私が足趾の操法をやると被験者に激しい無意識の動きが起こり、受講生がやっても何も起こらない。

やはりこれは「からだも操者を選ぶ」ということなのだろう。

勿論私のほうが経験もキャリアも積んでいるので「からだ」が、よりスキルの高い操者を選ぶのは当然と言えば当然(経験20年)なのだが、

「からだに選ばれる操者」で、在り続けたいものである。

 

f:id:lovecats:20140817124959j:plain

無意識の動き。活元と操体の違い。

昨日の午前中の「足趾の操法」の集中講座でのこと。

今回、第一回目として参加のAさん(女性。整体をやっているそうだ)をモデルにし、これからどのような操法をやるのか、というデモンストレーションをやった。

最初に「ゆらし」、次に「落とし」をやっていると、Aさんの口から

「ああ、とってもきもちいいです」という声がもれた。

次の瞬間、彼女の右手が動き出した。

私は「あ、無意識の動きだな」と思った。
無意識の動きが起こるのは、主に第三分析(皮膚へのアプローチ)以降であるが、
たまに足趾の操法でも無意識の動きが起こることもある。

よく「活元と同じですか?」と聞かれることがある。

私は野口整体にはそれほど詳しくないのだが、詳しいグレゴリー君に聞いてみると、
観察力があるというか、よく分かっている先生は、被験者の腰椎とか脊柱をみると、

それが本当の無意識の動きで起こっている「活元」なのか、実は意識的に動いているものなのか、わかるのだそうである。

私の乏しい知識では、活元は呼吸をしながら首を後ろに反らしたりして、脳幹や小脳から動きを誘導しているように見える。おそらく、呼吸を止めたり激しく吐いたりして、脳幹を刺激しているのだ。

足趾の操法や第三分析は「快」をからだに提供する。

脳幹は、内藤景代先生曰く「のうかん かいかん」(前の日参照)で、快が好きで不快が嫌いだ。

★これって、まさに操体

足趾も第三分析も強烈な「快」をからだに及ぼすが、これが「きもちいいこと大好き」な、脳幹にストレートに伝わり、無意識の動きが起きるのではないだろうか。

活元→脳幹への呼吸的な刺激?
足趾および第三分析→ 脳幹へ「快」でアプローチ

こんな感じか。刺激か快かの違いである。

 

なお、続けて行くうちにAさんは電気にしびれたような動きや、上半身が起き上がってくるとか、普通ではおそらく起こらない動きを表現していた。

私は足の指に触れているのだが、本人は足を触られているとか、どこに触れられているのかというのは全くわからず、ただからだが電気を流されたように、はたからみると不思議な動きを続けている。

そして、自分の意志とは全く別に、からだが動いている時は「快」なのである。

確かに「のうかん・かいかん」の脳幹ならば、納得がいく。

 

師匠はこれを「生命感覚」と言う。

脳幹は「イノチ」の根源。脳幹が停止すると、イノチも終わる。

ちなみに、講習の後半で受講生の一人にAさんをまかせた。

その後Aさんには何も起こらなかった。

私がやった時に既に「出し切ってしまった」のだろうか?

「Aさん、もう動きは出ないんですか?」と聞いてみた。

Aさんが答える代わりに、誰かが「からだも操者を選ぶんですよ」と言った。