操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

なんとなくヘンな感じの理由。

 

 昨日に引き続き。

私は以前から

「一日でヒーリングができるようになる」とか、その手のものに対して、何だか妙な感じを抱いていた(すいません)。

気功の修業を積んだ私にとって、たった一日でヒーラーとしての能力(?)が身につくのか??というのは謎だった。

 

要は「そんな美味い話があるのか??」というちょっとしたやっかみ(笑)だ。

 

以下は内藤先生が、瞑想で潜在能力を開発する
イメージ・トレーニングの本を出版した時のことだ。

Qは問い。Aは答え

Q ありありとイメージをみれば、夢は実現しますか?
A (大脳で)イメージをみるだけでなく、階段を昇るように、そこへいたる(小脳的)行動も必要ですが
Q ・・・・
A なにか、夢をお持ちですか?
Q ダンスの先生になりたいのです
A 先生からダンスを学び練習してます?
Q ・・・・いいえ。習っていません
A ダンスを練習せず、先生になりたい?
Q ・・・ええ
A 実際に体で(小脳的にくり返し)ダンスを練習しないで(大脳の夢のような)イメージが実現するのは、むずかしいのではないですか?
Q なぁんだ。当たり前じゃないですか
A 当たり前が基本ですよ
Q (大脳で)イメージするだけで夢がかなう 潜在能力開発法だと思い、きたのに!
(小脳で)体を動かさなければダメなんて!

・・・あ然として、こちらも驚きましたが、読者のかたとのお話から、学びました。

 

 

要するにこの読者は、イメージすれば練習しなくてもダンスの先生になれると思っているのである。

勿論そんなことは不可能に近い。

やはり、当たり前は当たり前なのである。

                                       

 

 

 

大脳・小脳・脳幹。

 お暑うございます。皆さんお元気にお過ごしでしょうか。

 久しぶりにこの本を読み返してみた。

 

大脳は、情動、感覚、知覚、意志、感情、理性、知性、創造力、判断力、コミュニケーション能力など「人間的はたらき」の、中枢。

小脳は、運動だけでなく、楽器演奏や習い覚えた反応の記憶をたくわえる、手続き記憶、という「体で覚えた記憶」の、中枢。

脳幹は、秒速約500mで1日1回転する地球にあわせ、睡眠、呼吸、代謝、循環、体温調節など「生きる」ことを調整する中枢。

 

 

例えば講習の際、何十人かいると、必ず反復練習をしない参加者がいる。
大脳は「反復練習なんてつまらない」と思うかららしいのだ。

大脳は、「くり返し」をバカらしいと思う。
「それ知ってる」と、くり返しの練習をきらう。
同じ事をくり返すのは「意味がない」、と大脳は思うからです。

けれども、車の運転、語学やダンス、スポーツや楽器演奏、書道など
習い事を身につけるには、
くり返しの反復練習が必要です。

大脳が知っているだけでは、
思うように、体が動いてくれない。

「体で覚える」といわれているのは、
小脳が、手順や手続きを記憶しているのです。

くり返しの反復練習によって、
習い覚えた反応の記憶は、小脳にあります

 

 

しかし、反復練習をしないと、手続き記憶にはならない。

大脳に「反復練習もいいもんだよ」と、納得させて練習するとモノになる。

「50の手習い」ということが書いてあった。
確かに50歳を越えてから、ピアノの練習を始めたとか、楽器の練習を始め、弾けるようになったという話はよく聞く。
ブラインド・タッチを習得した人もいる。

大脳に「反復練習もいいもんだよ」と、納得させたのだ。

 

さて、操体も同じである。

考えてみると、50歳を越しても、単にがむしゃらにやるのではなく、
丁寧な反復練習をこなしていると、上達するのである。

さらに「模範を見る」ということで、大脳がヴィジュアル的に学習する。
★手足を動かさずに、見るだけ、というのがポイント。

 

ちなみに、脳幹は「快」が好きで「不快」がきらいな、イノチの根源である。

ほめられたい、という欲求。

ほめるのと、人にほめてくれと強要するのは全くベツモノだ。

 ほめるはいいことだ。

しかし、他者に「ほめてくれ」と要求する姿勢はへんな気がする。ほめられればそれを素直に受け取るのは大切だが、それとは違う。

ほめるのはいいことなのだが、ほめてほしいという要求をモロに出すというのはガキっぽいというのだ。

そして「ほめられ」に慣れているので、ちょっと何か言われると切れるし、
辞めたりする。

日本のみではないが、伝統的師弟関係では、師匠は弟子を滅多にほめない。

逆ではあるが、カメラマンはモデルの乗せ方が上手い。
私も何度か撮って貰ったことがあるが、モデルをどう乗せるか、ほめまくるかというのがキモな気がする。あれだったら、女優さんが脱ぐのもわからないではない(笑)

そして、私もクライアントはほめる。

いいオトコはほめる。私は結構ほめるのである。

 

 

 

 

操体と整体は違う。

操体というとほぼ100パーセントの割合で「整体とはちがうんですか」と聞かれる。

整体とは違う。

もともと整体は、それまで名前が統一されていなかった日本の民間療法を、野口晴哉先生が「整体」と命名した。

「整体」というのは、一種の業界をあらわすような言葉であり、その種類と内容は多種多様にわたる。

最近町中で見かける「整体」というのは、野口整体とは違う。
最近はわざわざ「野口整体」と言わないとわからなくなっているのだ。

日本ではマッサージをやるのは国家資格を持ったマッサージ師であるが、
リラクゼーションとか整体という名称を使って、マッサージ類似行為をしていることがある。「ほぐし」とかもそういうことだ。

中には勿論臨床をしているところもある。

整体をひとことで言うと「他力」である。

先生が診断し、治療し、結果を出す。

操体はひとこと言えば「自力」だ。

患者自身が診断し、治療する(操者はそのお手伝いをする)。

私の経験だが、整体で開業していた人が操体を学び、そのセオリーの深さ、操体の面白さに目ざめ、違いがわかると大抵屋号から「整体院」とか「整体」という文字をはずす。

操体法東京研究会で勉強している受講生をみると、本当にそうなのである。

私は、その人の成長の度合いとして、整体と操体の違いが分かっているかいないかで計ることがある。

 

 

 

 

ホーメイ。南シベリアからの風

 

 

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7月24日、トッパンホールにトゥバからやってきたホーメイのグループ、

の来日公演に行ってきた。私は師匠を途中で拾い、江戸川橋から現地に向かった。会場で、フォーラム実行委員若手の瀧澤、寺本両氏と落ち合う。

トッパンホールへは初めて行ったのだが、立派なコンサートホールである。普段はアコースティックな音を響かせているのだが、今回は六角形のスピーカーで音を増幅していた。

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★エスカレータ上から

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★開演前。ステージをのぞむ。白いのが六角形のスピーカー。

ホーメイとは、ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる歌唱法のことだ。

そして「日本トゥバ ホーメイ協会」の会長は、東京操体フォーラムの相談役であり、操体法東京研究会の先輩であり、ヴォイス・パフォーマーにして、36年の活動履歴をもつベテランバンド、ヒカシューのリーダーである巻上公一さんである。

また、東京操体フォーラム実行委員の若手、寺本君は巻上さんのホーメイの生徒でもある。というわけで、私も何度か聞きに行っているのだが、その波動にはまる人が多いというのは、よくわかる。

http://youtu.be/cUFl6aUJXoc

上記はリンクだが、どんなものかよくわかる。私は低音(うなりダミ声)は結構好きなので(メタルなんかは多いですね。ジーン・シモンズとか、トム・キーファーはうなりダミ声だし)堪能してきたのだった。


フーンフールトゥ来日しました - YouTube

彼らはソ連崩壊後に結成されたそうで、ソロが多いホーメイのアーティストの中で、ロックバンド編成?というのは珍しいそうですが、最も愛され、最も影響があるホーメイのグループなのである。

四人のメンバーは、コーカサス系っぽいとか、朝青龍顔とか、中国系っぽいとか、孔子っぽい(どういう分け方だ)、非常に個性的。

ステージの最中、歌い手は手を耳に当て、電話をしているようなアクションをとるが、あれは自分が出している倍音を確認している、つまりモニタリングしているのだと、ホーメイに詳しい寺本君が教えてくれた。

チャクラに響くというのはこういうことなのだ。

なお、今回の来日はフジロックに出演のためで、ライブは今回1回限りとのこと。

貴重な体験だったのである。

 

2014操体マンダラ

7月21日、三度目の「操体マンダラ」が無事終了した。「操体マンダラ」とは、我らが師匠、三浦寛先生の「操体ワンマンショー」あるいは「操体ディナーショウ」みたいなものである。

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ちなみに、第1回目にお願いし、今回もお願いしたのが会場の花。当フォーラム実行委員の香(こう)嬢のお母様。龍生派の生け花をやっていらっしゃったそうである。ちなみに、これは家の裏の山に生えていた竹である。竹の根っこってすごい。

先年ハワイで解剖実習してきた岡村先生が「足の神経とかってこんな感じですよ」と、話してくれた。

 

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全景。

前半は、足趾の操法アドバイザー、感覚分析診断操法士の認定書授与と、毎回お約束の「色紙授与」。師匠とツーショットで写真を撮るという楽しい?チャンスあり。

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色紙を頂いてるところ。

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お昼は机をテーブル風に並べ替え。

私は事務局なので事務局席で一人で速攻でお昼。

 

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こちらは実行委員チーム。

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午後になり、実技。

瀧澤(たきさわ)実行委員をモデルに、「般若身経」。

(般若心経ではなく、身体運動の法則を世界で一番短いお経になぞらえたもの)

尺取り虫から爬虫類、鳥類、腹這い歩行、四つん這い、立位と進化してゆく般若身経を披露。写真は、瀧澤さんが正しいもの、三浦先生が法則に背反した動きを行っているところ。

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発声と波動と動き。

師匠のところには、声楽関係や音楽関係の方がよく治療にいらっしゃる。レコーディング前のシンガーとか。確かに、ボディは楽器なので、ボディが歪んでいると声が響かない。

東京操体フォーラム相談役、巻上公一氏のホーメイのお弟子であり、狂言もやっている「うなり系」が得意な?若手実行委員、寺本君がモデルとなり、最快適音とそうでないものをからだに響かせて発声する。発声の音と波動によってからだの動きが違って来る。

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集合写真。

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そして、夜は昼間仕事で出席できなかった香嬢のため?ではなく、真面目な打合せのため、場所を変えて秋のフォーラムに向けての打合せを行いました。

秋は11月23日、24日の二日間開催予定。

 

皆さんお疲れ様でした。

 

 

 

 

操体は医師が臨床で用いていたものである

仙台の温古堂には、医者から見放された患者がやってきた。

橋本敬三医師は「ここは病気の墓場だ」とおっしゃった。

 

先日大阪に行った話は書いた。

その時、大阪エリアでは、操体は「自分でできる健康体操・養生法」「自分でできるから安くて簡単」ということがよく分かった。

これが悪いとは言っていないのだが、この認識をしている人が多いため、未だに操体は、本来医師が臨床で使っており、橋本敬三先生のもとには、医者から見放された患者が集まったということは、余り知られていないように思う。

操体実践者の中には、健康体操・養生法として生活に活かす派の方々がおり、関西では操体道普及友の会(故中川重雄先生)の活動範囲が広い。一般の方に操体を広めるということで、広まっているのである。

橋本先生は、ファンとか患者さんとか愛好家には「操体は簡単だ」とおっしゃった。
操体は簡単だから生活に活かそうという考え方だ。

私達は、操体は医師が行っていた臨床という認識である。というのは、橋本敬三先生の、臨床家としての流れを受け継ぐ直系の弟子、三浦寛先生の弟子だからである。

橋本敬三先生は、弟子には、操体について「よくもこんな難しいことに足を突っ込んだな。でも操体は面白いぞ。一生楽しめるからな」とおっしゃった。

橋本敬三先生ご自身が「患者やファン」と「弟子(臨床家)」には、違う伝え方をしていたのである。

ここから、健康体操養生法派の方達は、いわば「自分でできるラジオ体操みたいなもんにお金を払うのは勿体ない」と思うらしい。

私達臨床家は、例えば鍼灸や柔道整復なスポーツトレーナーなどの専門的な勉強をしてから、さらに操体臨床の操体の勉強をする。操体専門のプロになるのだったら、やはり3年以上の修業が必要だ。つまり、専門的な勉強に時間もお金も投資しているのである。

ここで、互いに解釈の違いが出てくるのは当然である。

健康体操派は、何故臨床家は時間と自己投資をして勉強するのかわからない。
何故なら操体は「自分でできるから安い」と思っているからだ。

しかし、自分でできない人もいる。健康の度合いが低く、自分ではどうにもならない人がいるのだ。

そのために、プロが存在するのである。

「治療費が高い」とか「受講料が高い」(実際は期間が長く、じっくりと養成しているので時間がかかるのは当然であるし、やり方だけではなく、診断分析法、操体独自の視診触診法などをやるのだからそれも当然である)とか言う話を聞くことがあるが、

自力自療が可能な健康度合いの方に健康体操を指導するのと、自力自動が可能ではない方に、自力自動が可能なレベルになるまでお手伝いするのと、どちらが労力がかかるかと言えば、勿論後者である。

私は何も健康体操・養生法としての操体が悪いと言っているわけではないのだが、
操体の中にも、自力自動可能な人向けと、自力自動が適わない人向けのものがあり、元々は「医者が自力自療が適わない人のためにやっていた」本来のルーツをもうすこし大切にしたらどうかということなのである。

操体臨床を否定することは、創始者、橋本敬三先生を否定することだ。

また、橋本保雄氏(橋本敬三先生のご子息)は、自分達が学んできたことを安売りするな。見合ったものをいただきなさい、と、師匠に伝えているし、私もご本人からその言葉をいただいたことがある。

勿論日々のケアには操体は欠かせない。

しかし、間に合っていない人にはプロのヘルプが必要なのだ。

この違いを「健康体操・養生法派」の方にはちょっとでもいいので分かって欲しいと思うし、

操体の本当の底力を知って欲しい、体験していただきたいと思う。

 一度「きもちよさでからだが劇的に変化する」という体験である。
これを知ってしまうと、以前には戻れない。これを「知る悲しみ」という。

知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者

知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者