操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体の効果と安全性(編集・訂正版)

ある時、受講生の方に、「操体はひどい肩こりに効くのでしょうか」と、聞かれくすりと笑う。症状疾患に囚われないのが操体の考え方だ。なので、「ナントカに効果がある」という表現は、『便宜上』のものだと思っていただけばいいだろう。

書籍でも、橋本先生の著書を見れば、「こういうときにこういう操法をやった」という記載か「操体A」とか「B」と書いてある。再度書くが、「ナントカに聞く操体法」というのは、存在

しないのだ。書籍の中には、『この症状にはこの操法』という図表が載っているものもあるが、あれは温古堂の何万とあるカルテを分析したある先生が、図表化したものと聞いている。まあ、大抵の人は自分の愁訴を解消したいと思っているから、参考にするだろうが。



また、『万病を治せる妙療法』については、別の機会に『ああいうタイトルにはしたくなかったが、編集部の決定で決まってしまった。出版というのは思い通りにはならないのだということを知った』と、書かれている。

私が6年前に出した本「ふわ、くにゃ」にせよ、やはり売るという商業的なベースのためには「腰痛」「肩こり」など、注釈をつけながら、書く必要があった(もし、持っている方がいらっしゃたら、私のサイトのトップに『自著を斬る!』というのがあり、

間違いや訂正箇所を書いてありますので、そちらを参照いただきたいと思う。



話は戻るが、仰向けに寝て左右の足の開きを見た時に左の足が開いているから左の股関節が悪い、操体ではそのような見方はしない。形態観察(視診)はあくまで視診であり、事実を見ているのみである。股関節だけが悪くて、こうなっているわけではない。(極端な事故や特殊な例は除くが)痛みは「現象」であり、施療施術する者は、それにとらわれてはいけない。そこで、「見立て」が大切になってくる。「診立て」と言ってもいいだろう。



見立て、と言う言葉を真剣に考える機会を私が得たのは、松岡正剛氏が校長を勤める、編集学校だ。

この学校のお陰で、業界以外の方と交流を持つことができたし、

最初から「異業種交流」という目的で集まるようなイベントではなく、『編集を学ぶ』というスタンスで集った方々なので、新たなビジネスチャンスを掴む、というような集まりではない(結果的に、『橋本敬三の世界』(VIDEO、DVD 農文協)が発売されたのは、ここからのご縁だ)。



情報を集め、分け、並べ替え、時にはエビデンスを集め、仮説を立てる。その過程が編集にも当て嵌まるし、聞いた話だが論文を書く場合もそうらしい。



勧められて鹿島茂氏の「セーラー服とエッフェル塔」を読んでみた。氏は女子大の教授をされているが、これも見立てと編集が、論文を書く際には必要不可欠なのだということがわかる。



再度書こう。操体においても見立てが大切だ。技法、テクニックより、見立てが大切なのである。受講生のクライアントで右膝の内側が痛くて、そこを揉んで欲しいという方が来たそうだ。彼の職場はリラクゼーションサロン的なところなので、痛いところを押したり揉んだりするのだが、操体的な見立て方が身につくと、その原因をつかむことがある程度可能になる。私もまだまだ勉強中だが(一生の勉強なのだ)、情報(視診触診動診)を集め分析し、仮説を立てる。そして、感覚分析(感覚の聞きわけ)を本人にさせ(診断)、味わってみたい感覚、快適感覚があれば納得するまで味わって、その感覚が消えるか、落ち着くまでからだに委ねる(治療)。この場合、見たわけではないが、私だったら、こことあそこを診る、と言ったところ、なるほど、操体的な見立てですね、と言う。
原因が分かればクライアントも納得するのだ。本当に見立ては大切だ。勿論問診もするが、それを鵜呑みすると、痛みとのおいかけっこになる。



以前、ある療法の先生に、『操体の極意について教えて欲しい』と、聞かれたことがあった。操体は、感覚とか聞き分けとか,

理論家にとっては、観念的なところがあるので、筋肉理論的な質問をされたが(勿論、筋肉的な理解は操体のプロだったら知っているべきであると思う)、結局最後に『仙腸関節の痛みをとる操法を教えて欲しい』と言ってきた。

今まで、筋肉理論などで、散々私に説明を求めてきたのは、どうやら私を試していたらしい。

仙腸関節の痛みをとる』操法」というのは、ないが『こうすればよい(こともある)』ことは、経験上知っている。

この方は、本来ならミドル級の講習での内容を、一日の講習で

「極意を教えて欲しい」といってきたので、冗談で「普通だったら、ミドルの講習で教授する内容なのですが」と、いいつつ、

その方が『仙腸関節の痛みがとれる操法』ではなく、結果として

痛みが解消する、というように勘違いしないように、指導を行った。(続く)