操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

講習の記録

先日は臨床講座の代講を担当した。



モデルは、操体は初めて、操体を受けたことがなく、腰が慢性的に痛いというAさん。その他受講生数名。



問診、視診(形態観察)、触診を本来は短時間でこなすが、今日はいつもより時間をかけて、じっくりやることにした。



まずは口頭での問診。既往症、スポーツ歴、怪我歴などを聞いてゆく。

立位でも片方の足に体重がかかり、アンバランスだという。ぎっくり腰もやったことがあるらしい。



背中側と前面、両方から形態観察をする。後ろから見ると、明らかに左の肩胛骨が張り出ていて、両方の肘の高さが違う。



次に、からだにききわけていただき、仰向けのポジションを決める(極診)。肘を支えにして腰を軽く浮かしていただき、両足の長さを測ると、拇趾一本分だろうか、約3.5センチ違う。本人にも見てもらう。



胸郭の高さが左右違う。また、仰臥でも顔を上にむけると辛いので、少し横を向いているといいらしい。ここらは私が口頭で指導している。



ここで、足趾の操法を行う。ここからは、Mさんに頼む。



挟む、揉む、落とす、揺らすなどを通していきながら、感覚のききわけをとってもらう。今まで、整体や針、マッサージなど、結構強揉みの刺激を受けていたそうだ。



気持ちいい、という感覚もちょっと分かりづらい。

本人は『きもちいい』ということにちょっと罪悪感があるという。

日本人は確かにそういうところがある。



でも、『きもちよさ』という感覚をききわける、ということができるようになると(きもちよさの回路が開いた、と言ってもいいだろう)からだは変わる。



『きもちいいですか?』と、ぶしつけに聞くのではなく『不快な感じはないですか?それではもう少し、からだの中心、腰を使って表現して』

『きもちよさ、ここちよさがききわけられたら、教えて下さい』『なければ、やめて結構です』



ここらは駆け引きである。以前にも書いた(かどうか忘れたが)、

『気持ちいいですか』と、きもちよさもないのに聞かれるのは結構苦痛なものだ。

これを以前『下手な愛撫を受けて、きもちいいかと繰り返し聞かれるのと同じだ』と言ったところ、男性からは驚愕の目で見られたことがあるが、そんなものである。

いや、むしろそのような心持ちで臨んだほうがいいかもしれない。



また、『自分は気持ちよさを味わえないから、操体を受ける資格がない』と落ち込んでしまう人もいるので、快適感覚のききわけさせ方には、細心の注意を払うべきなのだ。



それはさておき、Aさんは足趾の操法では「?」という顔をしていた。

『不快ではないけれど、きもちいいって??』



不快ではなく、このまま続けてもいい、というからだの要求に従う。



足趾の操法は、初診の方には大抵行う。比較的きもちよさが通りやすいし、リラックスしてもらうためだ。これだけをゆっくり施術として通す場合もある。



一連の足趾の操法が終わり、Mさんに足の長さを診てもらう。



そろっている。差が顕著だった胸郭の高さもほぼ同じになってきた。



引き続き動診を続ける。



ポジションはというと、仰臥がいいらしい。仰臥の場合も、頭をどちらにしたらいいのか、試してもらう。

更に、施術者のポジションもききわけてもらう。



腰を軽く左右に捻って、感覚をききわけてもらう。

仰臥で左の腰が浮いてくるほうがいいらしい。これで動診を行ったが、

あっさりと「あ、きもちいいです」という答えを得た。



先程、操者のポジション的にあまり良くなかった足方に位置しても大丈夫になったので、足関節の内転、外転を試みる。途中「きもちいい」という言葉がAさんから洩れた。Mさんと私は『にやり』と目くばせする。きもちよさが通るということは、歪みがとれ、良くなる可能性が多いにあるということだ。



そこからいくつか下肢からのアプローチをして、最後に渦状波、つまり、皮膚へのアプローチを行った。



Mさんが胸郭に軽く触れ、ほんの小さな圧痛、硬結を見つける。そこに指を軽く触れて「しばらくくつろいでいて下さい」と告げる。



しばらくするとAさんの左拇趾が小刻みに動いているのに気づく。

無意識の動きだ。「何でも構いませんから、何か感覚がついてきたら、教えて下さい」



「白いものが見えます」「からだがまわっている感じ」



『おお!』と声なき声をあげ、『にやり』とするMさんと私。



その感覚は不快ではなかったらしい。



落ち着いてから立ってもらい、足踏み、膝屈伸、歩行を試してもらう。

最初に比べてだいぶバランスが取れている。



ここまでで約3時間。勿論この他にも動診と操法を行ったが、数はさほど多くない。



色々な動診と操法にトライしたが、プロセスはあれど、パターンはない

ということだ。また、どうしてその動診を選択したのか、その実証も

同時にやっていった。



また、受講生からの質問に答え、『アタリはつけても、決めつけないこと』と答える。「これこれこうだから、こうに違いない」というふうに

考えると、ハズレを喰らうこともあるからだ。



どのような動診を選べばいいのか、というのはなかなか最初は難しい。

最初にあれ、二番目にあれ、三番目はあれ、と決まっていればラクチンなのだろうが、そうではないところが面白いのかもしれない。



逆に、パターン化するのは、大量に人に指導をする場合などは簡単かもしれないが。