操体法大辞典

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言葉の指向性

言葉の誘導について、先日講習の席で話をした。



その前にも、外部の人から『言葉の誘導について、うるさい』とか、

『耳が聞こえないとか、認知障害や知的障害のある場合はどうするのだ』ということを聞いていたからだ。



その方はご自身も障害のある家族を抱えている治療家だそうだが、そのせいなのだろうか、

言葉の誘導とか動きの操法に対して否定的に見えた。



まあ、ご家族にそういう方がいるとか、施設での介護治療をしているのならば、分からないことも

ない。



しかし、そのような現場ではない場所にいるものにとっては、言葉の誘導、動きの指導は必須科目なのである。勿論、皮膚へのアプローチも必須だと思っている。



ところで、



何故、言葉の誘導が大切なのだと思いますか?



「息」

「食」

「動」

「想」



プラス  



「環境」



というのは操体の考えの中核を成すものだが、「想」という考えにおいて、「コトバ」は、重要な役割を果たす。



「想」というのは、単に『明るく朗らかに生きましょう』とか簡単に言えるものではない。それができないから、皆悩んだりするのだ。

その時に、心の調和を図るには『言葉を統制する』ということが大切なのだという。



また、被験者は操者の言葉の影響を受けるものだ。



『ぎゅ〜っと動いて』とか

『ぐ〜っと動いて』という誘導をすれば、被験者の動きはその通りになってしまう。



被験者(患者)は操者の言葉の指向性をうけてしまうのだ。



私は昨日、あるライブで、川上たけし氏の催眠術を生で見るチャンスに恵まれた。

隣席に座っていたK氏は川上氏の集団(というか、会場で挙手した人のみにかけた)催眠に

かかっていた。



その様子を見ながら、言葉の発し方とタイミングにポイントがあるのではないかと思った。

言葉と呼吸によって、相手の無意識に入り込むものがそうなのではなかろうか。



話が少し飛んだが、とにかく人間は人の言葉に強烈に反応するのは確かだと思う。

知り合いの母上は認知症で、入院しており、言葉も発せずに寝ているだけで、耳も聞こえないはずだったというが、病室で家族が聞こえないと思って話している言葉はちゃんと聞いていたという。



『聞こえてないと思っても、聞こえてるんですよ』



という一言が残っている。

聞こえていなくても、言葉が通じなくても、その人の発する波動は伝わるものなのではないだろうか。



『言葉の誘導』に戻るが、



言葉の誘導によって、操者が手を触れずに動診を指導し、被験者(受け手)が、動き、あるいは呼吸とおさせ、快適感覚をききわけさせ、味わわせるというのは、操体指導の中でも(指導者にとって)、最も難易度が高いものだ。



もっと言えば、指導者が被験者のからだに触れて、介助を与えながら言葉の誘導をかけるほうが

まだ難易度は低いのである。



私が考えた結論だが、



言葉の誘導ができる指導者は



無言でも指導ができる



ということだ。



これは本当のことだ。



しかし、言葉の誘導ができない指導者は、

それだけだということ。



動きの操法だけしかできない人はそれしかやらないし、

皮膚へのアプローチしかできない人はそれしかやらない。



しかし、両方取得していれば、如何なる状態にも対応できる。





☆このように書くと『自分はカラダが悪いので、動きの操体は指導できない。だから皮膚しかやらない』という方がいらっしゃるが、その場合はできることを工夫してやれば良いのだ。