操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

食について(2)

操体操体法



食をコントロールする











前者は「不食」(この人、以前は同じ本でハダカで前を葉っぱ一枚で隠していた気がするが、新刷して着衣になったのか?)

食べないで生きている人である。

後者は西式健康法をベースにした甲田先生の本。断食と玄米、野菜食である。



この数日間、食に関する本を色々読み、ネットで調べたが、共通しているのが「朝食は抜く」ということだ。

朝は排泄の時間、というように書かれていたり、五行では肝臓が働くので食事はしないほうがいい、とか、胃を休めるとか。

どうやら朝は抜いた方がいいらしい。



世の中には「朝ご飯こそ一日の活力」と言われているが、日本で朝食を摂るようになったのは江戸時代からだという。



その前に、あるサイト(果食菜食を実践している人の掲示板)を見て、気がついたことがあった。



小学生の子供にもナチュルラル・ハイジーンの食事をさせているのだが、子供が午前中の授業の時、お腹がすいて気持ちが悪い、と担任の先生に訴え、親は「ちゃんと朝ご飯を食べさせているんですか」と言われたらしい。



これについて考えるに、育ち盛りの小学生なら、朝、果物を食べさせただけでは絶対お腹が空くであろうということだ。親がやっているからといってそれをそのまま子供にさせるのは「?」ではないだろうか。

大人の食養と子供の食養は違うのではないか。これは考えるべきことだと思う。



子供というと、息食動想のうち、「食」ばかりは自分でコントロールできない。親が与えたもの、作るもの、任せたものを食べるしかない。



その話で思い出すのが、先の「不食」の山田鷹夫氏の文章の中に、お母さんと同居しているのだが、食事をしない、ということで、お母さんに反抗したというようなことが書かれていた。

つまり、「せっかく作ったのに何で食べないのか」という心配というか怒りを母親に持たせたということだ。



自分が作ったものを家族なり近しい人間が、目の前にいながら食べないというのは確かに一種の反抗である。



食事を他人にコントロールされるということ(食事を家族なり会社なり病院なり)は、そのままその人を根本的なところから縛ってしまうのかもしれない。



大人であり、自分の意思があれば、ある程度は自己責任で「食」の営みをすべきだと思うが、例えば仕事、病気、環境などで時間、回数、内容まで決められ、束縛されてしまうのは、一種の苦行にも思える。

自分も病気をして入院した時に痛感したのだが、自分の食べたいものが選べない。



入院患者が一層病人になるのはコントロールされた病院の食事のせいではないかと思うこともある。



色々なことをまとめてみると、これらの食養法(健康法)にはいくつか共通点がある。



・精白されたものを食べない(これは結構有名)

・朝食は抜いたほうがいい

・野菜と果物をとる(火を通さないほうがいい)

・肉類は控える

・ファストフードはやめる

・牛乳は飲まない

・発酵食(生きている食品)を食べる

・きれいな水を飲む(水道水は飲まない)



などだろうか。

以上の項目は橋本敬三先生の「万病を治せる妙療法」にもいくつか書かれている。