操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法と快氣法(2) 同手同足

河野先生が男性二名を投げた後、場内の参加者から

「河野先生は右で構えて右足を出していましたが、左足を出したらどうなんですか?」という質問があった。

この質問には、河野先生は実技で答えた。右手を男性二人につかませて、左足を出したポジションである。そこから先程のように、河野先生は軽やかに身をかわし、男性二人は先程同様床に転がった。



この質問の意味であるが、質問者は操体を勉強している者だった。操体では右手でものを拾う場合には左足に体重をかけるし、被験者に介助を与える場合、操者が右手を使うなら左足を半歩前にだすというポジションをとるのが基本である。



そういうことからそのような質問が出たのだと思うが、武術では同手同足の場合で構えることが結構ある。

また、日本刀の場合、左に差しているが、右手で抜いて、相手をばっさり袈裟懸けにでも斬った時、左足を前に出していたら、自分の足を斬ってしまう。日本人は古来腰を使ってあるいていたので、そのように見えるのだが、同手同足と言っても、緊張して行進しているような人のような訳ではない(よく、緊張して同側の手足を一緒に出している人がいる)。



「なんば」歩きには色々な説があるが、日本人は手を振って推進力にして進むという習慣は明治になるまでなかった。大抵、両手に何かもっていたか、抱えていたせいもあるのだろう。同じ側の手と足を動かすというよりは、脇をしめて、腰で歩いていたのではないか。時代劇を見てもわかるように、袖から手を出して手をぶらぶらさせているのはチンピラか逃亡している人間位のものだ。



つまり、歩くときに手を振るのは「お下品」だったのでは、という予測が立てられる。



その他に考えられるのは、日本人は屈筋を使う民族であるということだ。日本舞踊とバレエを比較すれば明確だろう。武器にせよ、日本刀とフェンシングの剣のように袈裟がけのように内側に向かって斬るのと、剣のように刺す違い。喧嘩をするにせよ、西洋人はパンチを繰り出すが、日本人は相手の襟首をもって引き寄せる。

屈筋を使う場合は明らかに同手同足では具合が悪いような気がする。パンチを繰り出す場合(伸筋を使う場合)には同手同足のほうが距離も伸びるのではないだろうか。



考えるに、屈筋系の民族である日本人は、日本刀を構える場合、てんびん棒で荷物を持つ場合、着物を着て、下駄や草履を履いていた時代の中、その生活空間から「ナンバ歩き」が派生してきたのかもしれない。

しかし、同手同足で動いてはいたものの、落ちているものを拾うとか、

包丁でものを切る、あるいは寿司を握るなどの手と腰を使う行為を行う場合においては、使う方と反対側の足を半歩前にだしていたのではなかろうか。足の動きが伴う場合(斬るとか、歩くとか、モノを担いで歩くとか)は同手同足の傾向にあったのではないか。



こうやって考えるとなかなか奥深い。



私がここで言いたいのは『操体が同手同足を使わない』というからと言って、武術やからだの使い方、歴史などに目を向けずに『おかしい』とか『間違ってるんじゃないか』という近視眼的な見方はすべきではないということだろう。



私はヨガもやるが、ヨガをやる時は先生の指導に従って、動きを左右比較対照した場合、やりにくいほうに、息を吐きながらやるし、息を吐くときは、指導に従って口を開けて吐く。



上肢伸展