操体法大辞典

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皮膚へ

講習記録

1/26日

土曜の臨床講座もあと1ヶ月となった。今回は割とゆっくり、丁寧に進んだ。今まで、連動についての理解、操体理論、からだの使い方、動かし方、介助の方法をじっくり勉強した。この基本をしっかり「仕込んで」おくべきなのだ。

どうしても最初から、華麗なる(?)臨床実技の技を覚えたい、実際に活かしたいと思うのはよくわかる。しかし、試合の前に型の稽古が必要なのは当たり前で(中にはそんなことをしなくてもできるという天才も何億人に一人はいるかもしれないが)、まずは基礎を積むのが一番早道だと思う。



というわけで、先週に引き続いて、先生が受講生のうち4人に対し、同じところを診て(触診)、同じところに触れて(皮膚へのアプローチ、渦状波)みるという実験的な試みを行った。どのような意図があるかと言うと、それぞれの反応の違いを見るためだ(と思う)。

受講生の一人は、周囲にオーディエンスがいることが気になって「きもちよさに身を委ねる」ということが出来にくいと言う。

実際、「快感」という言葉を聞いて、性的なニュアンスを感じる人がいないわけでもない。

また、橋本先生がセックスを生涯の研究テーマにされていたのは著書にも書かれているし、『快』という発想とは無関係とは思えない。どちらにせよ、むやみに隠すものでもなければ、羞恥心もなく、あけっぴろげにするものでもないと思う。



私が知っているある先生は『きもちよく、というと、何だかアレなので、私は、心地よく、という言葉を使っています』と言われていた。それに関しては、指導者(操者)が『気持ちよく』なんて言ったら、誤解されるかなぁ、と思っていたら、それが患者や被験者に伝わると思うのだが。多分、性的ニュアンスを感じる、とかちょっとアレ(ってなんだ)だと思うほうが余程いやらしいんじゃないだろうか。



また、師匠が以前、小学生の男の子を治療していた時、そのお母さんが「こんな子供に『きもちいいこと』なんて教えないで下さい!」と言われたそうであるが、私はこの母親のほうがずっといやらしいと思う。しかし、おおっぴらに気持ちいいと言えない風土が日本にはまだあるし、「快」という言葉が一般に流れはじめてからまだ日が浅い。先日講習でモデルを務めてくれたYさんは『気持ちいい』という言葉はあまりつかっちゃいけないような気がしていた、と言っていた。



操体を学ぶにあたって、単に被験者(患者)を動かしてみればいいんだろう、と思っていてはいけない。一番の難点は「言葉の誘導」なのだ。

(この話をすると、『耳が聞こえないとか、寝たきりとか、言葉を解さない場合はどうするのだ』と、つっこむ人が必ずいるが、そのような場合は除外する。操者の誘導語が理解できる被験者とする)



誰か東京操体フォーラムの実行委員だったと思うが、最初三浦先生の講習に参加して「きもちいい」という言葉を使わざるを得ない状況におかれた時、

恥ずかしかったという。しかし、慣れてしまえば何ともない。つまり、「快」「きもちよさ」という単語を聞いて、性的なニュアンスばかり考えるようなことは

なくなるのだ。



話は戻って、その受講生は今回、渦状波による治療を受けて、途中からどうでも良くなって気持ちよさを充分味わったという。

他の受講生は、白い物体が見えた、と言っていた。彼女が受けているのを以前見たことがあるが、比較的視覚イメージが見えやすいような気がする。(ちなみに私の場合、きもちいいと涙が出る。または床の間が見えるという時期があった)いきなり『気持ちいいですか』などという、不躾な聞き方はしない。



以下は筋骨格系へのアプローチの場合。

『抵抗の加減はどうですか?』『不快ではないですか?』『不快でなければ、もう少しからだの中心、腰を使って表現してみて下さい」



『気持ちいいですか?』ではなく



『きもちのよさがききわけらたら、教えて下さい』『もしあったら、左手で合図して』『痛みや不快感があったら即止めて』『なければやめて結構です』

のようにもっていく。



以下は、皮膚に問いかける場合



「何か、感覚できたら、または感覚がついてきたら教えて下さい」(例えば熱いとか、冷たいとか、痺れるとか・・・)

皮膚に問いかける場合、不快ではないのだが、快でもないという「予備感覚」がつくことがある。例えば『足がぴくぴくする』とか、快ではないのだが、不快ではなく、という感じである。そういった場合は

「不快でなければ、もう少しききわけて」と、もっていく。



皮膚に問いかける場合と末端関節にアプローチする場合、誘導語や、クエスチョンのかけ方も変わってくるのだ。



皮膚にといかける場合、「いま、どんな感じですか?」「どんな感覚がついていますか?」と問われる事がある(末端関節にアプローチしている場合、質問されると、意識がそちらにいってしまうので、快適感覚が薄れる場合があるので、動診の最中にあまりどーだこーだと聞かないほうがいいと思う)。



自分は皮膚にアプローチされ、快適感覚を味わっている時、あまり答えられない。きもちいいときはダメなのだ。指で合図するとか、頷くとか、そういう方法で答える。



主観的な言い方かもしれないが

『どこそこにこういう感覚がついてきて、ここがこうなって、あそこがどうなってきもちいい」のように、立て板に水のような人もたまにいるが、言葉で表現していて、そっちに意識が行かないのか、と感心することがある。



いずれにせよ、アプローチのポイントは同じだったが、4人4様の感覚の付き方、味わい方だった。