操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

瞬間急速脱力

昔の操体の本には「呼気と共に瞬間急速脱力する」と、書かれている。瞬間急速脱力の起原は、「正体術」にある。体を硬直させ、息を止め、呼気と共にドスン、と全身の力を抜くのである。40年前、橋本先生がされていたのは、まさに正体術だったそうだ(当時まだ操体法という名称はない)。



それが「動きより感覚の勉強をしなさい」「『楽』と『気持ちよさ』は違う」「呼吸は自然呼吸でいい。呼吸を意識しすぎると感覚をききわけにくくなる」という言葉をその後残されていることはあまり知られていない(というか、知らしめてほしいのだが)。



個人的には、その昔、橋本先生が現役で『楽なほうに瞬間脱力』という正体術と変わらないことをやっていた時に操体に触れた方々が、未だに晩年の橋本先生の心境の変化にふれずに、当時そのままの「楽な方に瞬間脱力」というようにやっているのだと思う。

たまに、何故「きもちよさ」という言葉が出てきたのか考えることがある。



多分、(楽な動き)動かしやすいほうに動かしたらきもちよさをききわけることがあったのだと思う(実際には、楽な動きにきもちよさがない場合もあるのだが)。それで「快適感覚」という言葉が出てきたのではないか。

三浦先生曰く、橋本先生も『楽ときもちのよさは違う』と言われていたものの、実際それを検証するにはお年を召されていたということもあるのだと思う。その検証という宿題を橋本先生から渡されたのが、三浦・今の両先輩ではないだろうか。



ちなみに、『きもちよさ』というスケールに沿って考えると、3〜5秒たわめて、という操者の決めつけたたわめの間と、瞬間急速脱力というのはそぐわないことがわかってくる。いくら「きもちよさ」とか「快適感覚」とか「快方向」といっても、操者が3〜5秒、そして瞬間脱力をさせ、操法の回数も3〜5回ときめつけるのは『楽』ではあっても(たまに辛いこともある)「快」ではない。



3〜5秒が辛い場合はどうするのか。「たわめて」が「こらえて」になってしまう。また、回数も3〜5回というのは操者の決めつけであるから、からだが回数の要求をしていないのに回数を重ねるのは快適感覚には至らないと思う。



再度言おう。たわめの間は3〜5秒、瞬間脱力させ、回数は3〜5回という、正体術に酷似した「操体法」をやるのだったら、「快適感覚」という言葉を使わずに『楽なほうに動かして、、3〜5秒たわめて、ストンと瞬間脱力させて、回数は3〜5回』と言えばいいのである。



ちゃんと区別して使えばいいのだ。



逆に、楽なほうに動かして、きもちよさがききわけられる場合もある(ない場合のほうが多いような気がするが)。そのような場合、操者に「ストン」とか「いち、に、さん、ふっ」とか瞬間急速脱力を誘導されると、きもちよさを中断されて、却って不快な場合がある。それは当たり前だろうと思う。

不快というか中断されたおかげで妙な欲求不満が残る。

楽に動くにせよ、快適感覚をききわけるにせよ、操者の決めつけで瞬間急速脱力をさせるのはあまりお勧めしない。(少なくとも『抜きたくなったら抜いて』程度にするべきだ)



しかし、これでも良い場合がある。操者も受け手も、操体を「健康体操」の類とか「動けば治る」(感覚のききわけをしていない)と認識している場合だ。

操体から「感覚のききわけ」を取り除くと、単なる体操である(体操にせよ、ちゃんと法則にのっとっていれば害はないだろうが)。