師匠の系統というものがある。
『操体用語』というものがある。
まあ、業界用語みたいなものである。
一番有名といえば有名なのが『息食動想』の4つの、自律可能な最小限責任生活。橋本敬三医師の著書にも『息食動想』と書かれている。なので、私も『息食動想』の順番に覚えている。後で知ったのだが、この順番になっているにはちゃんと理由があるのだ。
(そう、ちゃんと理由があるのだ)
ある時、『食息動想』と言っている方がいらっしゃったが、何となく違和感があった。
『身体運動の法則』を、『身体運用の法則』と言われている方がいたが、それはものすごく違和感があった。
『操体法』を、まるで九州の言葉のように『そうたい』『そうたい』というのも違和感があった。
これに関しては橋本敬三医師が「操体法」言われているのを聞いたことがあるが、ローマ字表記すれば「sotai」である。soutai と綴ると ou が強調されて、「そうたい(九州言葉)」というイントネーションになる。地域性もあるのだろうが。
まあ、それはいいのだが、師匠はことばの一つ一つにもこだわりを持っている。
例えば、『からだ』。
身体でも体でもなく、カラダでもなく、からだ、と書く。
橋本敬三医師の著書に『からだの設計にミスはない』という名著があるが、そこから来たのだろうか?
また、そのタイトルにせよ橋本先生が「体」とか「身体」という漢字を知らなかったわけではない。
何か理由があって、ひらがなで「からだ」とされたのである。
私もそれにならって「からだ」と書いている。
そういうことも大切なのだと思っている。
言葉を受け継ぐこと。それも大切なのだと思っている。
「言葉は運命のハンドル」と私達は「息食動想」の「想(精神活動)」で学んだ。
コトダマ、という言葉もある。言葉はそれほど大切なものなのである。
例えば、「骨盤の前湾曲」「後湾曲」という言葉は現在、あまり使われていないようだ。
腰椎の前湾曲・後湾曲は比較的使われるようだが。
骨盤の前湾曲というのは、恥骨が前方にでる形となり、腰椎のカーブは伸びる。後湾曲というのは、腰椎のS字カーブがきつくなり、いわゆる出っ尻様をしめす。
「前湾曲」「後湾曲」は、橋本敬三医師が使っていたので、我々も使っているのである。(操体用語といえるだろう)
講習では、様々な操体用語が飛び交う。
例えば「目線をつける」
これは、何もずっと眼をあけていてある箇所を見るという意味ではない。「意識をおく」という意味も含んでいる。眼を閉じていても、下がってくる肩に目線をつけるとか、「目線から動く」などのように使う。
今でも覚えているのは、先生が「目線」と説明しているのに
「視線をつける」という表現をしていたりするケースがあったことだ。
こういう場合、殆どはよく聞いていないし、理解していない。
なぜ「視線」ではなく「目線」なのか(あるいは、違いはわからなくとも、先生が「目線」と言っているのだから、自分も習って「目線」と表現する謙虚さ)。それが欠けているのある。
実際「目線」ではなく「視線」という言葉を使うと、ニュアンスが違うのがよくわかる。
やはり「視線」ではなく「目線」なのだ。
思い出したのは、ある日の講習。
先生は黒板にものすごい勢いで板書していた。
受講生もそれに追いつけとノートを取っている。
その中で、ある方が、ある単語をカタカナ3文字で書いておられるのをみた。
「からだ」という言葉である。
良く分からないが、少し複雑な感じがした。
何故、先生が黒板にひらがなでかいておられるのにカタカナで書いているのだろう。
また、講義が始まる前に、「ひらがなで書く方がしっくりする」という話は受講生一同聞いているはずである。
というか、一度ならず、二度三度は聞いているはずだ。
何故、ひらがなで「からだ」なのか、そこまで考えて学んで欲しいと思う。意味があることなのだから。
これは、何かを学ぶ上で(操体でなくとも)、絶対役に立つことだと思っている。