操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体のプロが存在するわけ。

東京操体フォーラムは11月2日に開催されます。お申込受付中。



操体法の講習を受けてみたいけど』

『皮膚へのアプローチって一体?』

『本を読んだりDVDを見たけど今ひとつわからない』

という方は是非どうぞ。参加資格は『操体を勉強したい』。



操体のプロが存在するわけ。



東京操体フォーラム実行委員と、操体法東京研究会受講生に『操体の特徴を挙げて下さい』とお願いして意見を募った。今、詳細を分析中であるが、面白いことがわかった。

操体には色々な面があるが、それぞれが自身の理解に適うような回答をしているのである。一番多かったのは『自力自療である』という回答だった。二番目は『きもちよさでよくなる』(快適感覚を自然治癒力とみなしている)、三、四番目は『動診』という分析法を持つ、『息食動想』のバランスを説いている、などである。



番外というかこれはダメじゃん、というのは

『自分で動く』

『安全な整体』

最初のは、「?」。確かに動くのは自分だが、動くだけだったらアメーバでも食虫植物でもできる。

感覚をききわけ、味わうという行程がなければならない。

後者については、整体の先生(野口晴哉師とか)に対して失礼である(操体の指導者に対しても

失礼だ)。



『自力自療』という言葉については、以前より書いているが、再度書いてみたいと思う。よく、操体を『ひとりでできる』とか『自分で治せる』という認識があり、だからやってみたいという話をよく聞く。確かに操体は『自力自動』(一人で行う)で、未病医学(健康な人が病気にならないための健康の基礎を整える医学である。しかし、多くの方はどこか悪くされてから操体に興味を持つ。



「何故、操体は『自力自療』というのに操者がいるのですか?」と聞かれる場合がある。

それは、自力自療がかなわない、または、快適感覚をききわけ、味わうことができない、あるいはしにくいケースの場合、プロの指導が必要ということなのだ。



プロの存在意味はそこにある。



プロの手によって「きもちよさでよくなる」ということをからだが学習すれば、自分でメンテナンスもできる。それが『セルフケアできる』ということだ。



人間は車じゃないが、車だって定期的なメンテナンスが必要だ。

日々のタイヤの調整などは自分でもできる。しかし、たまにはプロの車屋さんのチェックが必要だし、どこか故障したらプロに修理を頼む。勿論、日々の調整や、大切に使うことで長持ちする。これが『自分でできる』ことなのだ。そして、たまにはプロに調整していただく。



例えば、水泳を覚える時のことを考える。勿論自分で自然に泳げる事もあると思うが、教室に通って

或る程度プロに基礎を習ってからのほうが上達は上手いに決まっている。プロはそういうコツを知っているから、コツを知っているヒトに聞いたほうが早い。



DVDやビデオや本もあるが、DVDを見たからといって、水泳ができるようになるか?格闘技のDVDを見て強くなるのか?と思えば納得できないだろうか。

それがなぜか、操体だと『DVDを見たらできるようになりますか?』というのは何故だろう。

DVDや書籍は、あくまでも『実際体験してから、理解を深めるため』に、役に立つものだと思って欲しい。



★私も相当数の講習をしてきたが、操体の本を読んで『わかった』という方は無に等しい。

やっていることが違っていたりするのだ。

実際受けてみて、体験してみて『なるほど、こうだったんですね』『百聞は一見にしかずですね』という話を聞くのが殆どである。



もし、操体を自力自動で(家や職場で)されたいのであれば、一度プロに教わればいい。最初は「自力自動」から入るのが一番だ。



『家族にやってあげたい』という方も居られるだろうが、その場合はちょっとした勉強が必要だ。プロでさえ大変なのだから。



プロでさえ『相手に動いていただいて、感覚をききわけていただく』というのはなかなかなのである。

操体とは、受ける本人の『からだ』には非常に親切であるが、やるほう(操者)には難易度が高い対応が必要とされるのだ(だから最初に、自力自動の操体を勉強しなさいと言うのだ)。



人様は思った以上に思い通りには動いてくれないものなのだ(笑)

また、相手が動いてみて『ああ、きもちいい』とか、やる、続けるモチベーションを保てる

位の介助や補助が必要だ。

『楽な方に動かして、ためて、ストン』では、『きもちよさ』ではないので、受ける方も『なんだ、また動くのか』とあまり乗り気ではなくなる。



なので、一般の教室などで、いきなり二人一組に組ませて、パターン化した操法の指導をしているという話を聞くと、『単なる体操になってないか?』と心配になる。



★注意★私の『出来る』というハードルは相当高くしてます(すいません)。臨床ができて、結果を出せるというハードル。



パターン化されている、あるいは短期間で修得できるということは、指導者にとっては教えやすい。

逆に、時間をかけて、操体の全景をじっくり基礎から学ぶのは、受ける方にとってはもどかしいかもしれないし『便利に早く』というのが、最近の傾向でもある。

が、しかし『薄い』。基礎を積まずにいきなり『膝倒し』とか『つま先上げ』とか『やり方』だけ覚えても、例外が起こったりすると対応できないのである。



『楽』に簡単に修得したものは薄っぺらい。



★フォーラム相談役、平直行氏などは、格闘技をずっとされてきて、からだの使い方や、物事の学び方の筋が通っておられた。また、師匠の個人レッスンを二年以上しっかり受けられたので、凄いスピードで上達されたのである。



自力自療の意味をおさらいしてみよう。

操体でいう自力自療とは、一人でやるから自力自療なのではなく、

『本人にしかわからない感覚をききわけ、(それが快適感覚ならば)味わう』ということなのだ。

快適感覚をききわけることが、診断であり、そのきもちよさを味わうことが治療なのである。

なので、操者と被験者が二人で行っても、カルチャースクールなどで指導者が不特定多数を

口頭で指導しても、自宅で一人で行っても自力自療なのである。

(一人でやるから一人操体、二人でやるから二人操体なのではない。その前に、橋本敬三先生は

『一人操体』『二人操体』という言葉は使われていなかった)



一人でやるのだったら、ストレッチでも体操でもエクササイズでもスポーツでも何でもできる。しかし、『感覚のききわけ』がないものは、単なる体操にすぎない。

『ある動きをとってみて、その動きにきもちよさがききわけられたら、そのきもちよさを味わう』という、『感覚』のききわけが重要なのである。