操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体を考える。「上達の法則 効率のよい努力を科学する」

操体医科学研究所@書庫でも紹介したのだが、こちらでも紹介しよう。



操体の指導者養成に携わっている。自分でも講習をもっているし、師匠の講習のサブ講師も務めさせていただいている。



そこで相当数の受講生を見てきたわけだが、以前からある疑問があった。

何故、同じ講義を受けても上達度が違うのか?ということである。



これは、技量や運動の経験や、身体能力にはあまり関係ないような気もしていた。運動神経がいいということが、必ずしも操体操体法の上達には関与しないのではないか、という事も思っていた。



逆に、華道や茶道などの芸事の経験がある方のほうが何となく入りやすいのではないか、という気もしていた。操体は治療法ではなく、テクニックではない。操体を治療法、テクニックとだけ考えるのは勿体ないことだし、操体のほんの一部しか見ていないということだ。私自身操体は『芸事』の一種ではないかと考えることもある。何故なら「作法」があるからである。



『結果が出れば何でもいい』というわけではない。また、実際操体を見ていると、操者の動きが美しい場合、動診・操法も決まっているものだからである。なので、受講生の立ち居振る舞いを見ると、上達度、理解度がわかるのだ。



これはあくまでも私の推測ではあるが、ある特定のスポーツをやっていると、そのスポーツなりの動きのくせがある。



特にいつも感じるのは、「武術系」の方だ。身体能力に優れており、体に興味もある。しかしよく見るのは、からだの中心腰からは動けるのだが、末端から動けないケースが多いのである。

操体は『末端関節』から動きをとるのが基本なので腰からも動けるし、末端からも動けるという訓練が必要なのだ。これができるようになると、上達が早い。しかし、「からだの中心腰からしか動けない」というくせをつけたままにしておくと、連動の勉強もできない。(東京操体フォーラムの実行委員の中には、総合格闘家平直行氏をはじめ、結構武術格闘系が多いが、皆からだの動きの基本はマスターしているのは、当然のことである)



このあたりで、素直に『わかりました、末端からの表現も練習します』という方は伸びる。逆に、その指摘を受けても不満そうだった受講生のその後を私は知らない。



★素直って大事なんですな。やっぱり。





昔から私にはポリシーがある。

「その道の第一人者、あるいはそれに次ぐ人に教わる」ということだ。これは太極拳をすこしかじった時もそうだった。何か習得するのだったら、師匠を選ぶことが大切なのだ。師匠選びも運のうちなのである。

私は操体を勉強した時、最初は三浦先生の受講生の受講生だった先生に習った。勿論その先生にも感謝しているし、操体の引き出しも増えた。しかし、同時にちょっと遠回りをしたし、くせを矯正する手間もあった(結果オーライなのだが)。



しかし、今言いたいのは、どうせ習うなら最初から一番いい先生につくのが最短コースなのだ、ということ。



また、いい先生につくということは、勉強すること自体のモチベーションが上がるし、その他にもいいご縁に巡りあうチャンスがある。



ところで、長年指導していて気がついたのは



・頷く回数と理解は反比例する

(これ、事実です。)



・先生が模範実技をしている時に一緒に手を動かして真似する人は上達度が遅い

(熱心にやっているように見えるけど、実は細部を見ていないのである)



・指導されて「でも」というケースもあまりよくない



・注意されて、それを素直に行動に移せる人は上達が早い



・何か他の事で「上級」な人は、他の事でも上達が早い



・言葉のコントロールができる方は、上達が早い



ということだ。





いろいろな達人名人、プロフェッショナルの方にお会いする機会があるが、おそらく間違いないと思う。





これはさておいて、この本は、どうすれば「上達するか」という事が書かれている。



どうしても「簡単にすぐできる」とか魔法のような習得メソッドがあることを求めがちだが、やはり違うのだ。



かといって、見当違いの努力をしてもあまり結果は出せない。

確かに回数をこなしているうちに「ある日出来るの法則」ではないが、ギターのFコード(ギター弾く方はご存じだろう。最初はFって音が出ない。どんなに力んでも、どんなに頑張っても。でも、ある日いきなり軽く触れただけで音が出るようになる)みたいな事も起きる。しかし、これもやり方が正しくてそれが臨界点を越えて自分のものになったから、できたのだ。



この中に書かれていますが、ある時、突然「それ」が面白くなる時がある。確かにあるのだ。そうなったら上達する。



何事もそうだが、最初から意気込みが激しいと、初級の基礎練習で挫折してしまう事もある。最初の基礎練習は確かに面白いものではないし、地味である。逆に淡々と練習していくと、逆にある時『こんなに面白いんだ』という時の感動が大きいのかもしれない。