先日聞いた話である。
東京操体フォーラム実行委員長の岡村郁生氏(操快堂院長)は多忙なスケジュールの合間をぬって現在神奈川の某市で、市が主宰している健康推進関連企画で、一般の方向けに操体の講座を開催している。岡村氏は操体専門の操快堂をされておられるが、師匠同様に柔道整復師と鍼灸指圧あんまマッサージ師の資格を有する臨床家である。
そこで、岡村氏は市の担当者の方に、『操体の治療(臨床)もされてらっしゃるんですか?」と聞かれたそうだ。市の担当者の方曰く『操体関係の本は色々読んでいるんですけど、臨床をされているんですか!』
はは〜ん。
これが操体の面白いところなのだが、元々操体は橋本敬三医師が「温古堂」という診療所で臨床として患者を診ていたものである。なので本来は臨床家が診る、というものだった。しかし『自力自療』という言葉が『一人でやるから自力自療』『健康体操』としても広まったため、操体を臨床で行うという認識が世間的に低いのである。
私も10年程前に、某大学の操体法の勉強会に参加した際、『操体の専門家ですか?!』と驚かれたことがある。裏を返せば『あんなので、患者さんを治せるんですか?』という驚きでもあろう(笑)
しかし、元々操体がブレイクしたのは、NHKのドキュメンタリーで(農文協からDVDとして発売されている)、仙台のある医師が、筋ジストロフィーの少年に『橋本さんの治療法』」(当時はまだ『操体法』という名称はなかった)を試したところ、筋ジスが治ったわけではないが、ボディの歪みが正され、からだの動きが変わった、というのが放送されたあたりがきっかけである。また『万病を治せる妙療法』(これもすごいタイトルで、今現在だったら絶対本の名前にはならないだろう)には、自己免疫疾患で難病である全身性エリテマトーデスの女性が、ステロイドをやめて二週間程全系の調整をしたところ、劇的に変わったということも書かれている。
また、温古堂で橋本敬三先生のお世話をされていた今美代子氏によると橋本先生は『ここは病気の墓場だ』(どこに行っても治らず、拝み屋さんや占いでもだめだったような患者さんがやってくる)と言われていたそうである。
つまり、なかなか難しい患者様が日本中から来ていたのだ。
本来ならば
1.治療を受ける(つまり、自力自療が叶わない、操者の助けが必要な患者様が受ける。例えば自分で動きをとれない患者様もいる)
2.よくなる
3.悪くならないために「息・食・動・想』に留意し、日々のからだの手入れをし、健康に暮らす(カルチャーセンターやサークルなど)
4.普段は自分でメンテナンスをするが、たまにはプロのメンテナンスを受ける
というのがサイクルである。また、操者が手をかけずに口頭指導だけで指導できればいいのだが、世の中には自分で意志で動けないとか、操体の指導者が手をかけることが必要なケースもある。
本来は上記1〜4のサイクルで回っていたのだが、「健康体操」として取り入れる場合は3と4になる。自分でやってみて良くなるのだったら
それでいいのである。
しかし、本来は1〜4のプロセスで操体臨床は回ってきたということを忘れてはならない。
3、4の過程しか知らないと、先の某市の担当者のように、『操体で治療(臨床)をしているんですか?』とか『一体どんなことをしているんですか?』と思うのだろう。
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『操体は自分で動けばいい』と言うのは、『動ける方に対して』だったら効果的である。我々は、『動けない』『自力自動が叶わない』方々も診る機会がある。逆に言えば『自力で動ける人しか診ない』というのは、自分で動ける位だから、『治りやすい』。治りやすい人を選んで診ているのだったら治る確率は高くなるだろう。
まあ、治りそうな方だけチョイスして治療し、その確率を上げるのも上手い手と言えば上手い営業手段でもある。しかし、動きによる動診しか行わないということは、動けない方を診ないということなのだ。私は『操体は動けば治る』というような説明をされる方には『動けない人はどうするんですか?』『寝たきりとか、パーキンソンの方に対してどうなさるんですか?』『そう言う方は最初から診ないのですか?』と聞いてみたい。
これは本当に真面目に聞いてみたいのだ。
ここで、再度操体の分析法をあげてみよう
・第1分析(対なる二つの動きを楽か辛いかの比較対照で分析する)
・逆モーション運動、逃避反応を利用した分析(第1分析に準ずる)
・第2分析(一つひとつの動きに、快適感覚がききわけれられるのか分析する)
・第3分析(動きをとれない、あるいは感覚のききわけがしにくい場合、皮膚の遊びの範囲内で知覚刺激にならない程度の接触で分析する)
・第4〜第9分析
・×誤解されて行われている第2分析もどき(きもちよさを比較対照で分析する、あるいはきもちよさを『探す』よう指導する)
注)第1分析においても、伸ばす、捻るなど結果的にきもちよさが聞き分けられるものもあるが(例えば下肢の押し込みなど)、これは厳密に言えば、比較対照せずに最初から第2分析を行えばいいものがある。
また誤解されている第2分析もどきとは、『どちらがきもちいいですか』と、快適感覚の比較対照を求めたり(楽と快の区別がついていない)、『ある動きを試してみて、快適感覚がききわけられるか』という分析を求めているのに『きもちよさを探して動いて』という、操体の動診、操法の過程、つまり動診と操法の区別がついていないという『ごった混ぜ』である。
この『誤解されて行われている操体法もどき』は近年、操体を長年やっているという方々の中にも蔓延している。
昨年の全国操体バランス運動研究会でも、この「楽ときもちよさの混同」と「きもちよさをききわける」と「きもちよさを探す」を混同している方々がおり、さらには「きもちよさを探す」と「ききわける」の使い分けに対して、その使い分けをすべきであるという提案をしたところ『そんなことどうでもいい。適当にやればいい』と言われるベテランの方が居られて驚いた。
★橋本敬三先生が『楽ときもちよさは違う』と言われ、『きもちよさをききわければいい』と言われたのに、それを『そんな固いことを言わないで、どうでもいいじゃないですか』と言うのはどうしたものかと思う。
★なお、こういう方に限って『私は操体専門じゃない』と必ず言う(あはは。また書いちゃった。すいません)
★ちなみに、この『誤解されている第2分析もどき』の理解で操体をやっているとどうなるか。
操体臨床だけでは間に合わなくなる。『操体は効かないから』という理由をつけて何か他の療法を併用しなければ結果が出せなくなる。これは事実である。
実際、健康体操やカルチャースクールなどでの指導を想像していたら、一体操体の臨床では何をやるのか?と疑問に思うに違いない。
操体の臨床家が何をやるのかと言えば、その人の『からだ』が、快適感覚をききわけ(動診:本人のからだが診断する)、味わう(操法:治療にあたる)道案内をするのである。