操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体の流派とは。操体家系図を作りたい!

先日はじめてのクライアントの方から『お近くにも操体をやっているところがありますが、そちらも講習をやっているようですね。操体には流派があるのですか?』と聞かれた。



そういうわけでもないのだが(笑)でも違うかも。



例えば操体の治療院、治療所を選ぶのもその方の運だし、操体を習うところを選ぶのもその方の運だと思うしかないのだ。

こればかりは本当に運としか言いようがないのである。



まあ、宣伝が上手いところもある(笑)しかし、操体の腕と宣伝力は比例するものでもないことは覚えておいていただきたい。



三浦先生の治療室が38年近く、講習が30年以上続いているのは何故か。看板が出ていない上に『人体構造運動力学研究所』と、屋号に『操体』と入っていないにも関わらず、親子から孫という世代を越えて通ってきている方々がおられるのは何故だろう(橋本保雄氏からいただいたという看板は治療室の中にある)。



それは、結果を出し、出し続けているからだ。



さて、『同じ操体でもどう違うのですか?』と、聞かれたので知っている限り答えることにした。違うわけではない。ルーツはただひとつ、橋本敬三先生である。



操体の専門家の殆どは、操体法東京研究会の出身であるということは間違いない。



更に付け加えておきたいのは、操体自身も『楽の時代』(第1分析)と『楽から快へ』(第2分析)の転換期と『皮膚へ』(第3分析)の二つの転換期があり、その時々に学んだ方によって多少セオリーが違っているということ。それを念頭においていただきたい。同じ操体法東京研究会出身でも、その所属時期によって学んだものに違いがあるのだ。



三浦寛(私の師匠)先生は18歳の時、赤門(柔整と鍼灸の学校)で、鍼灸科の講師をしていた橋本敬三先生に、弟子スカウトされる。三浦先生によると、先生の前にもう一人お弟子さん(赤門の学生)がいたらしい。その後その方がどうしているかは不明だそうだ。この頃、まだ操体という名前はない。橋本先生が三浦先生のお父上に書いた『ご子息を預かりたい』という手紙を書いておられる。その後、従業員として温古堂に就職した先生方はおられるが、内弟子というのは三浦先生位だろう。



・三浦先生は5年間橋本先生の元で過ごし、柔道整復と鍼灸の資格を取得、あと数年橋本先生の元でお礼奉公をしようと思っていた矢先、『こんなとこいるこたぁネエ。東京行け』と言われ、上京、23歳で開業する。なお、弟子は師匠の身の回りの雑事をこなし、師匠の臨床を見学し続け、数年経ってから『ちょっとここ触ってミロ』とか、少しづつ手ほどきを受けていった。そのような感じで5年間の修行を終えた後も、毎月一週間は仙台に通って、橋本先生の下でブラッシュアップを積んだ。



・やがてNHKで温古堂の様子が放映され(まだ操体という名前はない)、温古堂がブレイクする。この後、余程患者が押しかけたのか、私が持っているNHKのビデオ(放映されたもの)のコピーは、最後に『患者で大変混んでいるので現在新患は受け付けておりません』(うろ覚えだがこんな感じ)という画面が出る。



・この時期は興味を持った方がそれこそ医者から一般人、橋本先生ファンまでが結構押しかけているようだ。



橋本敬三先生は、定例講習というのはしておられなかった。ちなみに、「橋本敬三先生に操体を習った」というのは『セミナーに参加した』というケースや、仙台の温古堂に行って教えを受けたケースである。『皮部療法』の富田満夫先生も、著書に『橋本敬三先生に操体を習う』と書いておられるが、定期講習を受けたわけではないということだ。どちらかと言えば、交流された、と認識したほうがいいのではないか。





・三浦先生は30歳の時に操体の講習を始める。今年で31年目となる、操体法東京研究会)。

橋本先生は、三浦先生が東京で講習を始めてからは、『仙台で橋本先生に操体を習いたい』という方に対して『東京に弟子の三浦がいるから、そっちで習え』と言われたらしい。この話は、快医学の瓜生良介氏から聞いたものだ。

その他にも連動操体根本良一氏、滝津弥一郎氏、早稲田の石井康智先生も初期の受講生である。

その他には、浪越ヨーロッパ(スペイン、マドリッドの日西指圧学院院長)の小野田茂先生などもおられる。ボディビルのサンプレイの宮畑豊会長も、この講習の出身者である。また、津田温古堂(現秋葉原温古堂)、「からだふわっと」の故渡辺栄三先生も同様で、今現在秋葉原温古堂におられる先生も、操体法東京研究会出身とのことだ。



「朝3分の寝たまま操体」の西本直先生は、渡辺栄三先生の受講生でもある。



なお、私が最初に操体を学んだ小林完治先生は、滝津弥一郎氏の受講生であった(後で知ったんですけどね)。今昭宏先生は、根本氏や滝津氏と同時期に講習に参加していたと聞いている。長野操体の会の白澤先生、奈良の北村先生もこの講習出身者だ。



この辺りまでは操体法東京研究会でも『第1分析』を指導していた。



後には、快気法の河野智聖氏、『操体法の医学と食養』の田村茂兵衛氏、超歌唱家で東京操体フォーラム相談役の巻上公一氏、エドガー・ケイシー療法の福田高規氏などがおられる。この辺りから『第2分析時代』に入る。



末席ながら私も操体法東京研究会出身であり、東京操体フォーラム実行委員も同様である。



皮膚、すなわち第3分析まで指導しているのは、ここ数年のことだ。



・一方、仙台でスポーツクラブを経営していた故佐藤武氏は、ファンとして温古堂を支えておられた。佐藤氏がボディビルをやっていたため、サンプレイジムの宮畑会長をはじめ、日本のボディビル界の中での操体の輪というのがある。私はこちらには余り詳しくないが、以前スポーツプログラマのライセンス更新研修の際、宮畑会長に『三浦の弟子です』とご挨拶したところ、『私も最初三浦先生の講習を受けてから仙台に何回か行ったんですよ』と言われていた。



・何冊か本を出されている茂貫雅嵩氏は、元々会社員だったが、ムチ打ち症で悩んでいる時に橋本先生の治療を受け、操体に惚れ込んで、温古堂に滞在されたと聞いている。

先の佐藤武氏と茂貫氏は『右大臣・左大臣』と言われ、橋本先生の左右をしっかり固めておられたと聞いているが、橋本先生はこのお二人を『ファン』『顧客』として大切にされていたらしい。橋本先生は様々なところで『温古堂ファンの茂貫さん』と書かれている。



橋本敬三先生が85歳になり、誰か代診に良い方はいないかということで、三浦先生のところに橋本敬三先生のご子息から依頼があり、三浦先生が推薦したのが、操体法東京研究会に熱心に通っていた今先生である。こうして今先生は温古堂に入った。その四ヶ月前に、『受付のミヨちゃん』こと、美代子氏も温古堂勤務をはじめている。この辺りは美代子さん、今先生から色々うかがっている。



というわけで、私が知っている限り、操体の講習は大抵は操体法東京研究会から派生している。だからルーツがわかるのだ。



ただし、ボディビル関係では佐藤武氏に広まっており、根本良一氏は少林寺拳法をされているので、「連動操体」(連動操体は厳密には操体とは異なると私は考えている)は少林寺の中で広まっているようだ。また、根本氏は『姿勢均整法』ともご縁があり、橋本先生が『均整法』の冊子に名誉会員として執筆されているなどのご縁もあるようだ。均整法関係の先生もいると思う。



その他、新潟は前出の須永先生を中心に「新潟操体の会」がある。これは施術者養成というよりは地域の活性化とサークル活動的なものだ。一昨年話を聞いたが、年配の女性の参加率が多いとのことだ。



神戸には中川重雄氏の「操体道普及友の会」がある。関西地方で多くの支部を作っておられるが、私は中川先生がどちらで操体を学ばれたのかは存じあげていない。しかし、「全国操体バランス運動研究会」に毎年出られているので、何かご縁があるのだろう。どなたかご存じでしたら教えて下さい。



大阪には『操体バランス協会』というのがあり、代表の方を存じあげてはいるが、直接どちらで操体を習ったのかは知らない。この団体の前組織には、奈良の北村先生が名前を連ねておられたので、おそらくそちら系統なのだろうか。神戸温古堂の渡辺氏も存じあげているが、サイトを拝見してもどこで操体を学ばれたかは書かれていない(奈良か神戸か?)。

後述するが、操体家系図を作るためにもちょっと知りたいところである。



長野では、先の白澤先生(かわいいお爺ちゃんである)が頑張っておられる。長野では医師の数が足りないので、橋本敬三先生が「保健師さんに操体を教えなさい」という指導を守っておられる。同様に沖縄でも保健師さんの活動が盛んなようだ。



以上が全てではないが、私の把握しているものである。この他にヨガ関係の先生や、合気道関係の故津田染鶴氏(津田温古堂、現秋葉原温古堂)の話も聞いたことがある。橋本先生が赤門の合気道部の顧問をされていたというのも何か関係があるのだろうか?



その他、私の知らない先生方もおられるが、やはりきちんと修行を積んで学んだ先生方は自らのルーツをきちんと書いておられる。



書けないのは何か理由があるのだと思う。例えば習った先生と喧嘩したとか(笑)。破門されたとか。ちゃんと習ってないとか。



そういえば、最近『他の操体のところに行きました』という方に『へえ、どちらですか?』と尋ねると、自分が昔指導した受講生のところだったりして、何だか面白いご縁だな、と思う。逆に言うと、しっかり指導せねば(笑)と思ったりもする。



そうなのだ。操体家系図を作ってみたいのだ。