操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

玉石混淆の操体。

「日本は宝島だ」と、橋本敬三先生も言われている(からだの設計にミスはない)。



先日、同門の臨床家から話を聞いた。彼は今まで余り意識していなかったようなのだが、ここ最近気になったことがあるという。私は以前から知っていたことなのだが、『操体をやっているといっても、玉石混淆なんですね』ということなのだ。



ネットで「操体」と検索すると、おびただしい数のサイトがヒットする。『操体法』あるいは『操体』にちょっと興味があるのだったら、この言葉で検索するだろう。



また、大抵は自分の家から近いところを探すと思う。『操体』なら皆同じ、と大抵の方は思っているからだと思う。



この同門のところに最近新規の患者さんが来た。そして話を聞いてみて、驚いたそうだ。その患者さんは、ネットで検索して操体施術場所に行ったらしいが『痛いところもやらないと治らない』とか殆ど先生が触れないで、ストレッチのようなことをやらされ、何かヘンだ???と思い我が同門のところに来たらしい。



こういうことを書くと



『ひとそれぞれの操体があっても構わないじゃないですか』と言う方がおられる。



★まあ、こうおっしゃるのは大抵『私は操体の専門家じゃないから』という方々なのだが・・。



★いい加減、今現在の『操体』の玉石混淆状態に対して危機感を抱いて欲しいような気もするが、それを長いこと放っておいて、臭いモノには蓋をし続け、操体をやっていないのに『やっているフリ』をしてきた結果だ。



★専門家じゃないなら、専門家の話も聞けばいいのだが(笑)



この場合「人それぞれ」というのは、本人にしかわからない『感覚』のことなのであって、原理原則を曲げることではない。



また、個々人がそれぞれの流派を作るのは(何故か人は『○○流操体』とか『ナントカ操体』って作りたがるのだが)勝手といえば勝手かも知れないし、とやかく言うつもりはないが、それ(操体という言葉)に対して効果を求めてこられるクライアントの方に迷惑がかかるのではないか?



操体を受けに来たのに、「痛いところも責めないと治らない」とかストレッチ体操をやらされた(という感想を後に持つ)というのは何とも言い難い。



さらに恐ろしいのは、「操体ってこんなの?」と疑問を抱き、操体らしい操体(原理原則に適った)に再会できればいいが(幸いにも、大抵の方は『操体ってこうじゃないよね』と、他を探すようだが)そうでなく「操体って効かないじゃん」という気持ちのレッテルを操体に貼ってしまうことだ。