操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

今皮膚を無視している輩も10年経てば操体は皮膚だと言うようになる(断言)

2010年操体法東京研究会夏期集中講座(日曜午前中)のお知らせ



2010年東京操体法研究会定例講習のご案内



6月13日の行徳ゴールドジムのご案内はこちらです



橋本先生が85歳の時、お茶を飲みながら師匠(三浦先生)に「きもちのよさでよくなる」と言われた。そこで師匠は「楽ときもちよさは違うのか」という命題に取り組んだ。90歳になった橋本先生は『楽ときもちよさは違う』と言われた。また、「呼吸は自然呼吸でいい。意識すると感覚のききわけがしにくくなる」「動きよりも感覚の勉強をしなさい」とも言われた。これらの言葉は後の操体に重大な影響を与えるのだけれど、現在出版されている橋本先生の本には掲載されていない。



橋本先生が『楽と快は違う』と言われたのだからと、その研究に取り組んだ私の師匠は、全国操体バランス運動研究会などで「楽と快は違う」と発表したそうだが、『橋本先生はそんなこと言ってない』(いや、親しいお弟子さんには言ってらしたのだ)とか『楽と快のどこが違うんだ』など、総スカンをくらったらしい。



しかし、最近全国大会をはじめ、師匠に総スカンを食らわせた先生方が「快」とか「きもちよさ」と言いだし、『楽と快のどこが違うんだ!!!』と、師匠に言った方も『操体は快適感覚ですよ』と言っているのである。

しかし、第1分析と第2分析の違い(動診と操法の違い)と、介助・補助法、連動のしくみを知らないから、結局は「きもちよさ」と言いながら、第1分析をやっているにすぎない。



皮膚へのアプローチにしても、操体関係者は本当もの凄く興味があるのだが、何だか遠回りに見ているような気がする。多分10年位経ったら「操体は皮膚ですよ」と何食わぬ顔をして言うのかもしれない。



いや、多分言うと思う。ブログはデータとして残るから私は残しておこうと思う。多分、某全国大会でも10年も経ったら普通に『皮膚っていいですね』とか言っているのではないか。

『快』が受け入れられてきた経緯を考えて見ると、これはそんなにおかしな意見ではないと思う。



断言してもいい。今「皮膚」を無視している操体関係者も10年もすれば皮膚を無視できなくなってくるのだ。絶対「皮膚」というだろう。いや、『皮膚』というのではなく『カワ』とか『肌』というのかもしれない。





皮膚と言えば、TEI-ZANで昔一緒にやっていたヒトは『皮膚』を小馬鹿にしていた。

ある時私が受講生に渦状波のデモンストレーションを見せていたところ、入って来るなり『へっ、どうせ渦状波だろ』と言って去っていった。



当時はもう一緒にやっていくつもりは無かったので、私は自分の好きなことをやっていたのだが、その後別々になってから5年程経って、何かの拍子に、「へっ、どうせ渦状波だろ』と言った本人が、自分の操体の講習で皮膚を「ひっぱる」とか「捻る」ということをやっているのを知った。

「へっ、どうせ渦状波だろ」と皮膚へのアプローチを小馬鹿にしたのに、ちゃっかり皮膚で遊んでいるのである。



勿論「捻る」とか「ひっぱる」というのは、『刺激』であり、『刺激にならない接触』ではない。皮膚へのアプローチは『刺激』か『刺激にならない』で、天地ほどの差があるのだが。





今年の8月末に京都でフォーラムを開催する。京都には、奈良の北村翰男先生が講師として参加して下さるが、同時期にN県のS先生にも連絡をとってみた。

大徳寺塔頭玉林院という素晴らしい場所でやるのと、橋本先生の思い出をはじめ、操体の先輩として(実は師匠の受講生なのである)、操体への関わり方をお話していただこうと思っていたのだ。しかしご自身の講習は30時間あり、京都の一日二日では教えられないというお返事をいただいた(汗)。



30時間の講習をミニマイズして京都でやっていただこうというつもりは毛頭なかったのだが(汗)、残念なことでもある。その後、S先生から30時間の操体法講習会でやっているというテキストを送って戴いた。



私はそのテキストを見て、びっくりした。



何にびっくりしたかと言うと、17年前、操体を小林完治先生に習った時に使ったテキストと殆ど同じだったからである。

私はこれを17年前に習い、10年前まではほぼこれと同じ内容で操体の講習と臨床を行っていたのだ。

何だか懐かしくなったが、私が「そのやり方」を止めたのには理由があった。それは『快方向に動かして瞬間急速脱力する』と『楽な方にきもちよく』という言い方に疑問を覚えていたのと、確かに痛み、圧痛、硬結は瞬時に解消するのだが、動けないクライアント、例えばぎっくり腰とか、寝違いとかそういう場合はどうするのかという疑問があったからだった。

また、痛み、圧痛、硬結はすぐ取れるので「痛み取り屋さん」になってしまっていた。操体は『痛み取り屋』じゃないよね、と思っていた。その時、三浦先生と直接お話する機会があり、私はそれまでのやり方をやめて、『快適感覚をききわけ、味わう』という第2分析の臨床に取り組みはじめたのである。

勿論、それまでやっていたのを止めた、捨てたといっても『快』という切り口でいくらでも甦らせることができるので、私は17年前に習った。いわゆる『痛み取り』を、『快適感覚』で通すことができるのだ。



それはさておき、S先生は多分先日急逝された千葉のT先生の講習に通われていたのではないか(何故ならT先生の受講生だった小林先生のテキストと殆ど同じだからなのだが)と思う。



仙台の温古堂では、「イサキ」という小冊子を出している。丁度その中に、事務局のAさんがS先生の30時間の講習を受けられた体験記が載っていた。超古典的な第1分析の動診・操法に比べたら、S先生の30時間講習の内容は、もの凄く新鮮に感じられたのだと思う(私もそうだったからよくわかる)。



しかし、私は思わず言いたくなった。



操体には、この先もあるんです。『楽な方にきもちよく』という曖昧な問いかけではなく、純粋に快適感覚をききわけ、味わうという世界と、皮膚という無限の可能性を秘めた世界が』

『あなたが体験されたその講習、私も学びましたが、動けないとか、急性疾患とか、そういうのはどうすればいいのか、ということと、「楽ときもちよさは違う」ということに気づいたんです。だから、その先を勉強したんです』



操体には先があり、無限の可能性があるのだ