操体法大辞典

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操体って痛いもんなのですか?

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先程お問い合わせの電話をいただいた。女性の方である。電話口でその方は『あの、操体って痛いんですか?』と聞いた。



彼女は顎関節症で操体を受けているのだそうだ。



私は一瞬(3秒位)「へ?」という空虚な気持ちになったが、気を取り直して『操体は、痛みや辛さがあったら即やめるので、痛いことはしないはずですが?』と答えた。

その方は北関東某県で操体を受けたという。三月から3回位受けているそうなのだが、痛いのだそうだ。どういったのが痛いのか聞いてみたところ、どうやら『体幹の前屈』が痛いらしい。体幹の前屈というのは、橋本先生がされていたもので、動きの中でも、快適感覚が大抵ききわけられる動診である。患者は正座し、上体を前屈させる(丸くする)。被験者はしゃがんで両膝を被験者の腰に当てて、支えとし、被験者の両肩に手をかけ、被験者の前屈の動きに対して介助を与えるのである。実際これは結構きもちがいいものなのだが、その女性曰く、痛いらしい。この動診操法をやっているということは、結構昔に操体を習った先生なのかもしれない。聞いてみると、腰掛けて首の後ろで手を組み、体幹を捻転させるなど、結構古典的と言えば古典的な動診をされているようだ。

そして、膝の左右傾倒もやるようで、「どちらがきもちいいかって聞かれます」とのことだった。



そこで私が『どちらがきもちいいか、って聞かれてわからなくないですか?』と聞いたところ『そうなんです』という答えが返ってきた。『膝を左右に倒して比べる場合は、どちらが楽ですか、どちらが辛いですか?と聞けばわかると思いませんか?』と聞くと『そうですね。それだったらわかります。私がわからないと、先生がこちらに倒れやすいから、こっちだね、と決めてくれることがあります』



『動きが大きいほうがきもちいいとは限らないと思いませんか?』

『はい、そういうことが結構あります。本当は先生に言った方がいいんでしょうか』(どうやら先生に遠慮して、言えないらしい)



『きもちよさ、ということを聞くのだったら、操者が受け手を補助して、きもちよさをききわけやすいようにしながら、「この動きの中に、きもちのよさが聞き分けられますか?という問いかけをするんです。』



『どちらがきもちいいか、よりも、この動きの中にきもちのよさがききわけられますか?の方が答えやすくないですか?』

『そうですね』」



★『どちらがきもちいいですか』という問いかけをすると、大抵はわからないので、(1)被験者は適当に答えるか、(2)操者が『こちらのほうが可動域が大きいからきもちいいはずだ』と、決めつけをすることになる。(1)の場合だと『わからないからもう受けるのやめよう』となるし、(2)だと、クライアントが「先生の言ってることと私の感じてることは違うなあ」という疑問を抱かせることになる。(2)は、『可動域(ROM)が大きいからといって、きもちいいわけではない』のである。可動域が大きくても『ただ単に楽』というケースのほうが多い。



★対なる動きの比較対照をして、瞬間急速脱力するのだったら『楽』を問いかければいいのである。

「どちらが辛いですか、楽ですか」

「右が痛いです」

「それでは、痛くない方の左側に動かして」

「抵抗をかけますから、そのまま動かし続けて」

「1,2,ストン」

(2、3回繰り返す)

「左右動きをくらべてみてください」

「あ、左右同じ位になってます」



というようにである。

しかし最近『瞬間脱力しない』という話が世間に出回っているので瞬間脱力させていないところもあるらしい。そういう場合もあるのだが、『ゆっくり脱力して』という指示を与えているケースもあるようだ。ゆっくりやるからといっても第1分析は第1分析なのである。

先程の体幹の前屈や体幹の後屈などは、厳密に言えば「第2分析」に入る。何故なら対なる動きを比較対照しているわけではないからである。また瞬間的に被験者が力んで力を抜くと、操者がケガをすることがあるので、基本的には「風船から空気が抜けるように」というようにふわりと抜かせる。



これを、言葉だけ「きもちよさ」にしてしまうとこうなる(不適切な例である)



「どちらがきもちいいですか?」

「・・・・よくわかりません。もう一度やってもいいですか」

「どうですか」

「やっぱりよくわかりません」

「右のほうが倒れやすいから、こっちがきもちいいんですね」

『・・・きもちよくもつらくもないんだけどなあ』

あるいは

『右につっぱり感があります』

『それじゃ、痛くない左がきもちいいんですね』



となる。これって何かヘンだと思わないだろうか?この操者の誘導の仕方がおかしいと思わないのは、操体指導者として勉強不足である。「楽と快の違い」を理解していないのだったら、逃避反応を用いた「痛みから逃げる」とか、第1分析をやるべきなのだ。



(1)の、被験者が適当に答えるというのは、私も人から聞いたことがある。どこかの操体専門のところに行ったクライアントは、仰臥膝1/2屈曲位で、膝をゆらゆら揺らされて(筋○帯か??)『きもちよさを探して〜』と言われたのだそうだ。申し訳ないが、この話を聞いたとき、私は大爆笑してしまった。



『きもちよさがあれば十分味わって』となら言うかもしれないが、膝を揺すられて「きもちよさを探して〜」と言われたら、クライアントはからだを色々動かして『きもちよさをさがす』しかないではないか。

そうやって動いて探して見つかればいいのだが(いつも書いているが、運動能力に長けた人はこれが出来ることもある。しかし、一般のクライアントはまず出来ないのが普通なのである)、大抵は見つからないのである。

結局そのクライアントはどうしたかと言うと、「適当に答えておきました」なのである。適当に答えたということは、結果も適当にしか出ないということなのである。



操体臨床が上手く行かないのは「楽と快の区別」(第1分析と第2分析の区別)がついていないのと、動診(診断・分析)と操法(治療)の区別がついていないの2つにつきる。私はこれをかれこれ5年以上は書き続けているが、これからも書き続けるつもりだ。