操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体に関する質問を受けて。

いくつかSNSソーシャル・ネットワーク・サービス)に参加している。SNSとは、mixiとかGreeとか、Facebookみたいなものだ。幾つか参加しているSNSの中で、操体法・あるいは操体のコミュニティがある。勿論私も参加している&管理人をしているのだが、結構操体に興味がある人は多いんだけど、深く勉強している人は少ないんだなあ、と思う。操体を臨床に取り入れているという方から質問を受けても『これって、操体関連の本に書いてあるよな』とか『私がブログでしつこく書いていることなんだけどなあ』ということが多い。まあ、本当のところを言うと、操体は実際に動かしてみたりとか、感じてみたりしないと話にならない。つまり机上の理論だけでは役に立たないのである。いや、実技だけで大丈夫ということもない。実は操体の理論を理解することも必要だ。つまり、理論と実技のバランスがとれるように学ぶのが一番いいのである。



先程のコミュの話に戻るが、操体に関する質問に答えると(結構詳細な解答になってしまう)、『ありがとうございます。また色々教えて下さい』というコメントをよく戴くのだが、考えて見ればその質問者の解答に答えていることは、私が普段講習で指導していることだし、ブログにも書いていることなのだ。



ちなみに、日本人は情報に対してお金を払わない傾向がある。ある日突然電話で質問が来て、1時間近くも話を聞いて、挙げ句の果て、電話をかけてきた主の名前も分からない(名乗らない)こともある。占い師はカウンセリング(相談)で見料を取るし、カウンセラーはカウンセリング料、コンサルタントはコンサル料を取るのに、であるが、ひどい場合だと、会った事もなく、どの程度の症状かも、勿論自分の名前も名乗らず、電話で「腰痛をなおすたいそうを教えてください」なんていうのもあった(笑)



また『操体関連のお勧め書籍は何ですか』くらいの質問だったら、気軽に答えられるが、具体的な症状疾患についてSNSなどで気軽に質問をもらっても、それに対して気軽に教授できるかというと、それは疑問である。顔を知っている自分の受講生とか、同門などだったら別かもしれないが、顔も知らず、どのような操体のバックグラウンドがあって、どの程度理解されているのか分からない相手に、どこまで解答できるのか、である。多くの方は、そのような悩みを持って私の講習に参加して下さる。



つまり、私の言いたいことは『プロに専門的な事(それも自分の仕事に役に立つような情報)を聞くのだったら対価を払え』ということだ。気軽に何でも『教えて下さい』の一本通行だと、最初は親切に教えてくれても、そのうち『教えて下さい』ばかりだということがわかると、相手にされなくなるのは必須である。



逆に『この人にはお金を払っても教えたい、伝授したい』という人がいることも事実である。自分が持っているものを余すところなく伝えたい、そんな魅力がある人には絶対声がかかる。こういう人は『教えて君』ではない。



その昔、某I療法をやっているという方がベーシック講習を受けに来られた。当時の私の専門家向け講習は、60時間だった。ベーシックは3時間で、基礎と般若身経が中心である。講習を進めて行くうちに、その先生は『操体の極意を教えて下さい』と言い出した。3時間で操体の極意を伝えられるわけがない(笑)。その先生は、患者さんのからだのある部位の痛みが取れなくて、困って私のところに来たのだが、般若身経も操体の理論もいいから、とにかく『そこの痛みがとれる方法』と『操体の極意』を教えてくれというのだ。それはムシが良すぎるというものだ。



また、橋本先生は「いろんな名人のところに行って盗んできなさい」と言われたそうだが、これは「いろんなところに行って、いいところを盗んでいいとこ取りしなさい」という意味ではない。原理原則が分かっていれば、名人のところに行くと、何をやっているのかわかるということだ。世の中にはこの言葉を勘違いして、いいとこどりのオリジナルをつくるのが橋本先生の言ったことだ、という解釈をしている場合もあるようだが、そんなにアレもコレもまぜこぜにしたら、何で効果があったのか、わからなくなるのではと思う。まあ効果があればいいのだろうが、実行する方はあれもこれも色々やらなければならないので大変ではないだろうか。逆に、操体は何でも入る大きな器なので、大抵のことは操体の考え方で納得がいく。操体を何かをミックスさせると、理論的に齟齬が発生することがあるが、操体の器に入れてしまえばいいのだ。どちらも同じような感じに思えるかもしれないが、この二つは天と地くらい差がある。その差がわかるといいのだが。



東京操体フォーラムの実行委員は、皆操体法東京研究会の講習を受けている。終了した後も個人レッスンでスキルを磨いていることもあるし、アシスタントとして私の講習の手伝いをしてもらうこともある。操体法東京研究会の定例講習は、1年あるいはそれ以上、約150時間ほどある。真剣な受講生は、日曜の定例講習に毎週(月4回)出席、個人レッスンも受け、集中講座にも参加する位熱心に学んでいる。これくらい操体漬けになると、変わってくるのだ。また『10000時間の法則』ではないが一日8時間勉強するとしても10000時間には1250日かかる。月に28日としても約45ヶ月、3年と9ヶ月かかってやっと10000時間に達する。これは、講習を受けた時間だけではなく、実際に臨床に携わった時間や、学びについて考えた時間を換算してのことだ。もしも、操体で(勿論他の事でも構わない)一人前になろうと思ったら、最短で1日8時間は勉強して、4年弱かかるということになる。師匠や大師匠(橋本先生)だったら『たった4年』と言われるだろう。



そこで面白いのが、何かを10000時間やり遂げた人というのは、他のことをやっても学びが早い。また、何かを10000時間やり遂げた人は、技術や芸事が楽に簡単に即手に入るとは思っていないという謙虚な気持ちも持っているのである。



中谷巌氏のコラム