『きもちのよさをききわける』と『きもちのよさを探す』を、
どっちでもいいじゃん、橋本先生はそんなことこだわらないよ。みんな仲良くやればいいじゃないか、と言った人がいた。
私はこれを聞くと
『快でも不快でもどっちでもいいじゃん、橋本先生はそんなことこだわらないよ。みんな仲良くやればいいじゃないか』と言っているのと同じに聞こえる。
『橋本先生だって、操体を利用したんだから僕だって操体を利用したっていいでしょう』と言った人がいた。
私がそれを聞いた時、もの凄く驚いたのは言うまでもない。
その人は、私がかつて教えたことがある人だが、どこかでボタンを掛け違えて他に行った。
そこで『きもちよさを探して色々動く』と言っているので『それは違うんじゃない』と言ったところ、返ってきたのが先の答えだった。
『利用する』と『ありがたく使わせて戴く』の違いが分からない人なんだなと思った。橋本先生が『操体を利用した』と思っているから、好き勝手にやっているのかもしれない。そんなに自分のオリジナルを作りたいんだったら、『操体』という名前を使わなければいいのにな、と思う。
というか、『人が利用してるんだから、オレが利用してもいいじゃん』というのはねぇ。