操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

足趾の操法をマドリッドで。

今回のスペインでのセミナーの目的は、いきなり2人一組になって操法をやるとか、そういうことではない。まず、操体の歴史に触れ、それがどうやって進化してきたか、その内容と、基礎となる「息食動想」の紹介、「楽と快の違い」を明確にすることである。これは初日の最初の時間に行った。私のメインの持ち場はここだったので、あとは比較的気が楽なはずだった。ところが、午後の師匠のセミナーの成り行きで、夜(セミナーは夜7時まで)の部で、私がモデルとなって、第2分析の動診、操法を披露することになった。自分はその間目をつぶっていたので、会場の直接の反応は見えなかったが、思い切りたわめて瞬間的に全身の力を瞬間急速脱力する(第1分析)ではないものを行ったので、会場の驚きは感じとることができた。覚えているのは、仰臥膝二分の一屈曲位で、上肢を内旋、あるいは外旋にとっての膝左右傾倒。膝自体を傾倒するのではなく、連動を用いて上肢から膝の左右傾倒を造り出すのである。



会場の参加者の中には、デモンストレーションはどうでもいいから、早く実技を教えろという声もあった(どこの国も一緒か)。しかしこれは却下された。また、第1分析の理解をしていない参加者が、第2分析についての質問をしてきたが、あくまでも、今日見せているのはデモンストレーションだということを理解してもらった。



我々にせよ、操体を学ぶ際は作法(身体運動の法則)を体得し、連動の理解と体得をしてからはじめて介助補助の練習に入る。いきなり今日初めての人に教えるというわけにはいかないのである。第1分析が小学校なら、第2分析は大学だ。中学校と高校で作法と連動を学ぶ時間が必要になる。



また、参加者には、先生が指導中は一緒に手を動かさないこと、先生の実技を見ることを徹底するように伝えた。カメラ、ビデオは禁止していたのだが、撮影している輩もいた。もしかしたら、Youtube辺りに流れているかもしれない。第2分析の面白いところは、上手い人がやればやるほどシンプルで何をやっているのか分からなくなってくるところだ。なのでYoutubeに流れた映像を見てやってみようと思っても無理がある。しかし分かっている人がみると分かるという仕組みだ。





さて、タイトルの「足趾の操法」は二日目に行われた。

足趾の操法というと、「ゆらす」「落とす」「揉む」の3つだが、師匠はデモで「ゆらす」「落とす」「足底を揉む」を披露した。一番きもちよさが「通る」のは、「揉む」なのだが、敢えてそれを避けたようである。最初のモデルはスペイン在住の日本人女性。



「ゆらす」「落とす」の最中に彼女のからだは無意識の動きが発動し始めた。これはからだが「きもちよさ」に反応しているのである。それは見ているほうにもきもちよさが伝わってくる情景で、壁のスクリーンには、恍惚の表情と涙を浮かべた彼女の横顔が写し出された。

ここまできもちよさを味わってくれるとは本当にありがたいことだと思った。

彼女は日本語とスペイン語、両方で感想を述べてくれたが、スペイン語のスピーチ中には一緒になって泣いている参加者もいた。実行委員ももらい泣きしているヒトが何人かいた(笑)



その後、実行委員はそれぞれの持ち場に戻り、参加者に対して足趾の操法のデモを行った。こちらは「落とす、ゆらす、揉む」の3点セットである。師匠のビデオ「操体臨床の要妙」の1巻に、足趾の操法が入っているが、現在はあれより操法の数が増え、きもちよさの引き出しとなる「おさめ」が加わっている。また、足趾の操法集中講座では、私が長年やっている「趾廻し」も入っている。足趾の操法も進化しているのである。私はステージ上のベッドを使ってデモを行った。丁度通訳の三原さんが近くに居て下さったので、色々通訳していただいた。



時間があまりなかったので、メインで「揉む」をやったが、受け手の反応は『そんなにきもちいい?』と思わず笑ってしまいそうな程で、話すのがイヤなほどきもちいいとか、動けない位きもちいいとか、本当に心底きもちよさを味わったようだった。逆に言うと、それだけこわばっているのかな、という気もした。マドリッドの小野田先生によると、スペイン人は指圧でも強いのはダメなんだそうで、弱い刺激が好きらしい。

これはやはりこわばっているからなのだろうか。皮膚に強い刺激を与えると、ほぐれるどころか逆にこわばってしまうからかもしれない。

最後はもう一人、男性モデルを使って師匠が再度ステージに立った。男性モデルも途中できもちよさに身を委ねはじめ、暫くの間からだの無意識の動きを発動させていた。この後、会場の参加者を1名選んで、揺らす、落とす、の2つを同じモデルを使ってやってもらった。長年の経験者師匠と、今日はじめて足趾の操法をみた受講生、どんな違いがあるのかと思ったら、一度「きもちよさ」に火がつくと、そのまま続くのと同じで、被験者はずっときもちよさにからだを委ねていた。彼も終わってから感想を話してくれた。勿論スペイン語なので、よく分からないのだが、非常に感動していることは確かだった。



操体は被験者(患者)自身が医療者の立場をとる。それは、被験者のからだ自身が感じ、ききわけ(動診・診断分析)、味わう(操法・治療)からである。