操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

決めつけないで。

★この原稿は、2009年秋の東京操体フォーラムで配布された「VisionS(ヴィジョン・エス)」に掲載したものの再掲です。 


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操体の臨床が何故上手くいかないのだろう、という問いに対していつも答えているのが、「楽と快の違いの区別をつけていない」「動診と操法の区別をつけていない」の2点であるが、最近これに「操者の決めつけがある」を加えてもいいのではと思うようになった。この場合の「決めつけ」とは、操者が被験者の感覚を確認せずに、自分のモノサシで動診操法を行うことを指す。被験者のポジション、介助の具合、たわめの間の設定、脱力のしかた、動診の回数などである。ところで今回は性科学者、アダム徳永氏の『二人で育てるスローセックス』を紹介したいと思う 。


 本書は若い女性が対象だが、操体指導・臨床をされている男性諸氏(に限らず)にも読んで頂きたいと思ったのである。決めつけを排し、相手の感覚を思いやった関係という大きなテーマである。書いてあるのは男女の関係だが、操者とクライアントの関係でも読み解き可能だと思う。

 本書には「イクことだけが目的のジャンクセックス」と、「感じるプロセスが大切なスローセックス」について書かれているのだが、操体を学んでいる方ならば、瞬間脱力が目的の動診と操法(第1分析)、そして快適感覚をききわけ、味わうプロセスが重要視される動診と操法(第2分析)が脳裏に浮かんでこないだろうか?
また本著に出てくる女性は「あまり良くないのを5回だったら、キモチいいのを1回のほうが幸せ」と言っている。 快適感覚の質の低い動診操法を何度もやるよりも、質の高い快を一度味わうほうがいい(操法の回数は快適感覚に反比例する)という法則を思い出さないだろうか?
「こっちの方が可動性がいいから、こっちだよね(に違いない)」「たわめて〜、はい、すとん!はい

もう一度!」という、操者の決めつけで行う一連の動診操法が、女性の感覚を無視した一方的な関係にリンクしてこないだろうか?

女性の不満の多くの原因は『男性の乱暴な扱い』というのはなるほど、と思う。 多くの女性は「彼を傷つけたくないから」「彼が好きだから」などの理由でその不満を口には出さないのである。

 また、男女では構造的な違いがあるにも関わらず男性は『オトコがきもちいいと思うような、男性のカラダを基本としたアプローチ法』で女性を扱おうとする。簡単に言えば『オトコがこれでキモチいいんだからオンナも同じことをすればいいのだろう』という大いなる勘違いからきているのである。
ここで先の本になかなか興味深い事が書いてあったので、記しておこう。

たまに「締まりが悪い」と女性を評する男性がいるようだが、女性が深く官能していれば膣壁が自然に男性器に近づいてフィットするそうなのである。 逆はご想像通りで、お粗末に挑まれたら『いやだもん。近寄りたくないもん』と逃げるらしい。つまり『不快から逃げる』という自然法則に則っているのだ。つまり『緩い』とは、一方的に女性のカラダに非があるわけではなく、男性の挑み方にも相当の問題があると考えた方がいいようである。また、基本的に男性はお相手する女子の反応がわるいと、自分の挑み方のお粗末さを考えずに女子のカラダのせいにする傾向があり、逆に女子は「自分が悪い」と思いこむ傾向があるそうだ。どうですか? 

これは、操者が未熟であるにも関わらず、『患者がきもちいいと言ってくれない』とか『きもちよさのききわけが通らない』と文句を言っている状況ともリンクしないだろうか?また『あるところで操体を受けても全然きもちよさがわからなかったのですが、私は操体を受ける資質がないのでしょうか』、あるいは『きもちよく動いて、と言われましたが、わかりません。私が悪いのでしょうか』という質問を私に問いかけてくるのはほぼ100パーセント女性であることも無関係ではないだろう。 

数年前、ある操体の講習でモデルをした。操者役の男性は強い力で私の手に介助を与え『きもちいいですか』と聞いてきた。当然痛く、きもちよさがききわけられるわけがないのだが、一時間程「きもちいいですか」と聞かれ続けたのである。 殆どゴーモンだ(笑)。『介助が強すぎます』と言ったところ『変だな、きもちいいハズなんだけどな』と言われた。

その時『○○さん、決めつけちゃダメですよ』と、伝えたのは勿論である。
未熟な操体を受けて「きもちよさ????」「どこがきもちいいの?」と思ってもセンセイに悪いから言えない、という心優しい女子(女子に限らないかも)は多いのである。 患者は遠慮してなかなか本当のことを言わないから気をつけなさい、と橋本先生も書かれている。

 ここで男性のことばかり追及しても不公平であるから、女性の責任も書いておかねばなるまい。女子に必要なのは『愛情と勇気』である。先の本に載っていた例を挙げてみよう。ここでは親子の会話になっているが、言うまでもなく『男女の関係』を比喩的に書いている。 パパが「ウニとイチゴの仁丹煮」のような恐るべきシロモノ料理を作って娘に勧める。娘はパパの愛情を思って無理して食べる。そして後で吐く(汗)。パパは(自分は食べていないのに)「オレは料理が上手い」と思い込み、それからも『食べる家庭内暴力』のような料理を作り続け、娘は無理して食べるという悪循環に陥る。これが続いて、ついに娘の不満が臨界点に達すると爆発する。 

★ウニとイチゴの例え話は、上記のアダム徳永氏の本に書いてある。 

基本的に女子は愛情があればある程度は我慢するのである。しかし、我慢が臨界点を越えると制御不能になり、過去の小ネタまで記憶の底から芋づる式に引っ張り出してねちねち相手を責めるのである。また、引っ張り出していくうちに、それまで『私が悪いのでは・・』とか『私のせい』だと思っていたことが『実はそうではなく、オトコのせいだった』という事に気がつくと二乗三乗にもなって増幅するのである。
あな恐ろしや(笑)。 

『男は何故か急に女に振られる』とか、文句を言わなかったツマが夫の定年と共に突然離婚を切り出すというのはこういう仕組みがあるのだ。
ツマや彼女が怒らなくても、文句を言わないから平気なのだと安心してはいけない(笑)常に日頃からの小まめなフォローが必要なのである。 

さて、娘が勇気を出して愛情をもって『パパ、これちょっと違うよ。ちょっと食べてみて』と言ったらどうするか。作るだけのパパも一口食べ、その恐ろしい味に気づき、目が覚め、正直に言ってくれた娘に感謝するに違いない。逆に料理教室に通って、素晴らしい腕前になり、『パパってステキ!』となるかもしれない。 

そう、『ちょっと言いたいけれど、なかなか言えないこと』これは相手にしっかり言わないとなかなか解決し難いのである。

勿論相手のプライドを傷つけないようにすることは非常に大切なことだが、女子も勇気を出して相手に『もうちょっと優しくして欲しい』と伝えることが大切だ。

(注1)。これを聞いて相手が立腹したらその関係はよくよく考えたほうがいいと思う(笑)。
クライアントも女子も言いたい事があってもなかなか言出せない。これを言いやすい空気を作る気遣い。そして、きめつけないことなのだ。

(注2)勇気を出しすぎて自分は何もせずマグロ状態で相手に注文をつけすぎるのは見苦しいのでご注意