操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

ソフトに対価を払えるか

 先日、東京に大雪が降った日、二子玉のライブハウスにさがゆきさんのライブを観に行ってきた。小さなアットホームなバーである。"My funny Valentine"などを楽しんだ。現代の巫女の生声は聞く価値がある。

例えば歌を聞く場合。歌や音楽は目に見えるものではない。残るとしたらリスナーの心の中だ。しかし我々は「歌」「音楽」に対価を払う。それは「感動」というエネルギーに対して対価を払っているのだ。その「感動」の中には、歌い手、演奏者が練習してきた歴史、磨かれた余裕、間の取り方も含まれている。我々はそこに対価を払うのである。

操体を学ぶということは、ソフト、あるいはノウハウに対価を払うことである。橋本敬三先生から続く操体の遺伝子、師匠の長年の臨床から得られたエッセンスに対してだ。

私はソフトに対価を払うのを渋る人には操体を他者に提供することはできないのではないかと思う。自分が「対価を払うのはもったいない」と思う事を他者に提供するなんてことは、患者様に対して失礼だ。

あるものに対して「高い」と思うのは、それに興味がないか、本気ではないのだ。


操体を受けるのも同様で、開業して一年目(勿論誰でも一年目はあるが)のニューカマーと、臨床歴40年のベテランを比べたら、それはベテランのほうが治療費は高いのは当然である。その中には、今まで続けてきた歴史、余裕、間の取り方も含まれているからだ。