ある操体関係者が「今回の地震は、被災した方々には悪いがひとつの戒めだと思う」と、言った(正確に言えば、言ったし、文章に残している)と書いた。
これは私の気が収まらないから書いている。
操体関係者というか、非常に身近な方がこういうことを書いているので、同じ操体を志す者として、恥ずかしいのである。
本当に恥ずかしい。
「妻を亡くし、家を無くし、仕事も無くしたヒトに『戒めだ』と言って、その人が受け入れられると思うか」と聞かれて、ご本人は「自分はそんな目にあったことがないから今ひとつ実感がわかない」と言ったそうだ。
私の父が亡くなった時、同僚が「自分は親が亡くなったことがないから貴女の気持ちはわからない。あなたが休んでいる間、忙しくて大変だったわ」と言われたことがあるが、それと似たようなものだ。
★これは言われたものでないとわからないと思うが、非常にショッキングである。
世の中にはこんな人もいるのだということがよくわかった。
それが良い悪いのではなく、こんな人もいるのだ、ということを知りなさい、という天の声なのだろう。
いるんだね。本当に。
どこか関係者がいないところで言えばまだしも、宮城生まれの三浦先生、平直行さん、両親が宮城で宮城と気仙沼をこよなく愛する私の前で言うのだから。操体は仙台が発祥の地だ。
この後には続きがある
「山奥でどちらかと言えば清貧な生活をしていた私ですが、不夜城の大都会・東京での消費生活に、戸惑いを感じていました。」
不夜城の大都会、東京の消費生活と、東北の地震津波と何が関係あるのだろう。
自分で自分の事を「清貧な生活」というのもナゾだ。要は田舎暮らしだったら当たり前の事だ。
彼は、東京での暮らしに不満を抱いているのだ。その不満を今回の震災にひっかけて「戒め」と言っているのだろうということに気がついた。
彼が憎いのは「東京」という消費社会なのだろう。
それだったら、田舎に帰って平穏な生活を送ればいいのにと思う。
東京の悪口を言いながら東京に住んでいるから、暮らしにくいのだ。「東京様」だって、悪口を言うヤツには優しくしたくはないだろう。
私は東京生まれで東京育ちなので、東京の暮らしは全くストレスにならない。東京が大好きだ。だから東京も私に優しいのかなと思う。
なお、こういう事を書くと「自分の事を責められているようで辛い」という方がいる。
別にあなたを責めているわけじゃない。辛く思うのは「被害妄想」なのだ。
いずれにせよ「今回の震災が一種の戒め」と平然といい放ち、「東京は危ないから」と、自分はちゃっかり「安全な」故郷へ疎開した輩に対して、「東京様」がどうするかだ。
「東北様」もどう出るかだ。