操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体と整体を一緒にやらない理由。

 といっても、私は「整体」をやるわけでもなく、外気功(医療気功)を修得しているからといって、操体と気功を混ぜてやっているわけではない。

私が言う整体は、野口晴哉氏の「整体」のことであり、診断体系を持たない、慰安的なマッサージ系の、整体のことではない。

昭和の時代、野口整体も、野口体操も、沖ヨガも、先生方の横の交流があった。最近はないようである。私のクライアントで、野口整体の道場に行ったところ、難病ならば、と仙台の温古堂(橋本敬三先生の診療所)を紹介され、橋本先生の治療を受けたという方もいる。

私が思うに、「真実」は、一つなのだが、アプローチ方法が違うだけだと思っている。例えば、東京操体フォーラムには、柳生心眼流の島津先生がよく来て下さるが、先生曰く「ウチのは痛いから。戦場で短時間で治すからね。でも痛いから敬遠されるのかもしれません(笑)」

師匠曰く「島津先生がやっておられるのと、我々がやっているのは、陰と陽の関係にある。陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる、ということだ」

なので、私達は島津先生がされていることが分かるのである。
というか、私も「痛くて速効性があること」は、昔やっていたので、できるのだが、敢えてやらない。
最近、平直行フォーラム相談役に「腱引き」の話を聞くことがあるが、あれは私も16,7年前に、同様のセオリーのものを習っているのだ。なので、実はできるのだが、やらないだけなのだ。

結果(真実)は同じなのだが、生命感覚が求める快を満たして治癒に導くのか、ある程度の痛みを与えて、瞬時に逃避反応を利用して治療効果をあげるのか、の違いである。

野口整体に関しては、尊敬の目をもって、敢えて手をつけないようにしている。勿論本も読んでいるのだが。

「整体」という言葉ももう少し考えなければならないと思う。野口先生が体系化したもの、井本先生が体系化したもの、どれも素晴らしいものだが、やはり私は操体でアプローチしたい。

橋本敬三先生も言われていたが、操体の原理原則がわかると、他の治療法がみえてくる。これは本当だ。

操体と整体を一緒にやっている、というところは、どちらも中途半端なのではと思う。整体で効果が出ないので、操体を加えてみる。しかしやっているのは「第一分析」、楽なほうに動かして、瞬間急速脱力させるというものが、ほとんとだ。

操体で効果が出ないのも、第一分析しかやっていないか(楽と快の区別がついていない)、「きもちよく」と言いつつも、「楽」をとおしているので、患者様に「きもちよくって言われてもわからない」と言われるので、テクニック的な整体を取り入れようとする。

もしくは、操体を習っていたが、公には言えない事情があるのだ。

そういえば、先頃実行委員の中で、不祥事を起こして破門になった者がいる。これは彼が迂闊にも、他者の戯れ言を本気にしたばかりに起こった出来事である。可哀想でもあるが、仕方ないことだ。
操体プラクティショナーの認定は末梢となった。彼のサイトには「操体師」と書いてあった。
また「足趾の操法」が「足ゆびセラピー」、渦状波が「皮膚の調整」となっていた。

破門ということは、もう誰に習ったか言えないということである。
足趾の操法は私が教えたが、まだ未熟で修練が必要な時だった。
開業を急いでいたので、ヘンだなとは思っていたが、どうやら開業すれば、開業にかかった投資を回収できると考えていたようである。

開業は誰でもできる。税務署に行って届けを出せばいいのだ。大変なのはそれからで、開業したら1年くらいは食いつなぐ貯えが必要だし、開業したばかりの時こそ、「学び」が必要なのだが、それを忘れてしまうのだ。

私は「見切り発車」で開業して、その後廃業したケースをいくつも見ている。見切り発車しても、その後着々と勉強を続ける人達はしっかりやっている。また。また、廃業、閉店となっても、学びを続けている人には、それなりの素晴らしい「ごほうび」が待っていると思う。