操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体実技。しつこいけど楽と快の違い

 「万病を治せる妙療法」を読んでも、「操体法の実際」を読んでも操体をどうやってやるのかわからない、という話をよく聞く。
当然と言えば当然である。

操体法の実際」は、厳密に言うと、橋本先生は「監修」という立場だが、監修というのは「名前を貸す」みたいなもので、御年80歳だった先生は「いいよいいよ」と言われたのではないか。いずれにせよ、この本は本来なら在り得ない「この症状にはこの操法」という一覧表が載っており、橋本先生は大したチェックもされないで了解されたのでは(笑)と思うことがある。私はこの本は、茂貫雅崇氏の本だと思っており、橋本先生の本だとは思っていない。


私が以前から書き続けていることは、「楽と快の区別をせよ」(第1分析による動診と操法と、第2分析によるもの)ということだが、「万病」も「実際」も、第1分析時代の書籍である。

実際、第1分析時代にはこのような分析法があった。

  1. 対なる動きを比較対照させて、楽な動きを選択する
  2. 膝窩(ひかがみ)の圧痛硬結を触診し、圧痛のある方の足関節を背屈させ、脱力させる。動診は省いて触診から操法というプロセスを経る
  3. 最大圧痛点を押圧し、逃避反応を起こさせ、痛みから逃げさせる
  4. 体幹の前屈、後屈などのように、比較的快適感覚をききわけやすいポジションをとらせる。脱力は「風船の空気がゆっくり抜けるように」というように、瞬間的には抜かせなかったらしい。また前屈と後屈の比較はせず、前屈なら前屈、後屈なら後屈でやっていた
  5. 仰臥で首を後方に反らせ、瞬間的に力を抜かせる(素人がやると危険)。しかし上手くいくとものすごくキモチいい(昔は講習で教えていたが、スキルによって危険な場合があるので、現在は、操体プラクティショナーの方々に指導している位だ)
などである。
1と2は比較的有名で、膝の左右傾倒、伏臥膝関節腋窩挙上、足関節の背屈というのは操体の動診の中でも知名度が高い。高いというよりも、操体はこれしかない、と思っている場合もありそうだ。

この辺りは、橋本先生がご高齢になってから比較的頻繁に行っていた動診と操法である。
名人達人は、あれこれやらなくても手数が少なくても効果がだせるのだ。
4は比較的きもちよさをききわけやすいが、高齢になったら少しキツいかもしれない。なのであまり後世に伝わっていないのだろうと思う。

また、これは操体に限らないのだが、名人達人がやると、他力であってもしっかりきまっているので、きもちいいのだ。これを真似して、初心者が「きもちいいだろう」といっても全然きもちよくもなく、かえって痛かったりするのだ。そういうきもちよさもあるということだが、全ての人が出来るとは限らない。

また、橋本先生ご自身が、楽ときもちよさの違いには気づいておられたが(卒寿のお祝いの席で「楽と快は違う」と言われている)、体系化までは行かなかったのだろう。実際4は受けてみると非常にきもちいい。操体のきもちよさの一つだなあ、と思う。

後世には主に1と2が伝わり、4は「きもちよさ」という言葉だけ残り、実際の動診・操法は埋もれてしまったのである。「万病」にはちょっとだけ載っているが、詳細は書かれていない。

なので、後に「楽と快の混同」が起こったのではないか?
更に、未だに「ROMが大きいほうがきもちいい」という勘違いをしているケースがあるのではないか?

と推測できる。

非常に興味深かったのは、「楽と快の違い」がついていないのに、「快」とか「きもちよさ」をうたっている方々は、どうもその違いに突っ込むとお怒りになる傾向があるようだ。

某K療法のU氏は、全国操体バランス研究会の席で、O先生が「きもちよさを探す」と言った際、師匠が「探すではない」と、コメントした後、

「探すでもなんでもいいじゃないか」と、怒号された。

きもちよさを探す、という言葉がどうしてペケなのかと言えば
橋本敬三先生が使われていなかった
楽と快の区別、すなわち第1分析による動診と操法と、第2分析による動診と操法の区別がついていないと、「どちらがきもちいいですか」、というとんちんかんな問いかけをすることになる。

すると、患者はどう動いていいかわからない。第1分析だったら、「動きをたわめて〜、脱力!」と導けばいいのだが、「きもちいい方に動いて〜」というと、患者はもぞもぞ動いて「探す」羽目になる。

なので、操者は「きもちよさを探して」という誘導をしてしまうのだ。

O先生はベテランだが、楽と気持ちよさの区別はついているのだろうか、第1分析をやっていて、言葉だけ「きもちよさ」を使っているので、あるポジションを取らせ「きもちよさを探して」と言っているのではないかと推測している。