臨床家というのは「診断して、治療する人」をさす。
操体にあてはめると「分析して、操法を行う」ことになる。
慰安と臨床の違いは、診断(分析)体系があるかないかである。慰安と言わず、リラクゼーションと言ってもいい。温泉のマッサージを一度受けて、積年の腰痛が治ることを期待する人は余りいないと思うが、これはリラクゼーションを求めているのである。
先日、定例講習の受講生に「操体の勉強の殆どは、分析(診断)の勉強だよ」と言ったら少し驚いていた。大抵は「治療法(操法)」のほうが重要だと思っているのである。
実は「診立て」が一番大切なのだ。
操体は「症状・疾患にとらわれない」という特長がある。最初は皆これにアタマをひねる。
こういう時にはどんな操法がいいのですか、それが知りたいからだ。ところが「こういう時にはこういう操法」という考えがない。
それが面白いところでもある。