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操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体の捉え方

橋本敬三先生は、「とりようにとってはどういうふうにもとれる」ような言葉を残している。

例えば「間に合っていればいい」というのは、「息食動想」のバランスが60パーセント程度だったら及第、という意味なのだが中には「私の(操体指導者)としての腕は間に合っていればいいんです」という方がいる。


受ける側としては「間に合う位の腕」のセンセイに診て頂くのは不安ではないか(笑)。私は「間に合っている程度の腕」のセンセイにからだを預けるのはちょっと考える(笑)。


他には「自分は組織の長にはならない」という言葉があるが、何故かそれが「組織を作っちゃいかん」というように広まっている。それがかえって「非公開で好き勝手」をやっている組織の乱立に繋がった。結構無法地帯なのである(なので、一昨年一般社団法人日本操体指導者協会を設立し、操体の臨床家の地位向上を計っている)。



「取る取らないはテメエの勝手」という言葉。

これは「私は健康で幸せに生きるためのルールを教えたが、やるやらないは個人の勝手、ルールを守らないとどうなってもそれは自己責任だよ」と、自己責任を説いているのだが、何故か「操体はどう理解しようがその人それぞれだから、何をやってもそれは仕方ない」と解釈している場合がある。


来月のフォーラムに向けて参加者にアンケートをとった。

操体とは「医師が創案した治療法で、自分でできる健康体操みたいなもの」という捉え方が多いようだが、「医師が創案した治療法」と「自分でできる健康体操みたいなもの」は、別物である。

何故我々臨床家がいるかというと、間に合っていない人を、間に合うレベルまでヘルプするのが目的だからだ。橋本先生も書いておられたが「健康体操の類はある程度歪みがない人がやるから効果がある」のだ。

その違いを良く知って欲しい。

操体の世界には「専門家」と「愛好家」が存在する。
専門家になるには、時間がかかるし一生勉強だ(何でもそうだが)。

専門家には、クライアントを診るという責任が存在するが、「愛好家」にはその責任が存在しない。

「素晴らしいですね〜」あるいは「もう飽きちゃった」とか、クライアントを診るという責任が存在しないのである。
また、自己投資していないから「わかんな〜い」と言えるのだ。専門スキルを学ぶために投資をしていれば、「わかんな〜い」とか「私が知ってるのと違〜う」とは言わない。

 操体はどう理解しようがその人それぞれだから、何をやってもそれは仕方ない」と解釈している方々の多くは「愛好家」である。何故なら、本当に勉強しているプロに対峙したら、理論でも実技でも勝てないからだ。

ところが、操体の世界は「Sotai Lover」が多いので、橋本先生の「万病を治せる妙療法」しか読んだことがないとか(専門書も沢山出ている)、専門家が何か言うと「難しい」とか「自分の習ったことと違う」というのだ。


「自分の習ったことと違う」というのは、もろビギナーの証拠で、ある業界で勉強を積んでいれば「自分の習ったことと違う」と、迂闊には口にしない。というか「何故違うのか」「セオリーはどうなのか」「自分が習ったことと比べてベターかそうでないか」「効果はあがるのか」と考えれば、自分が習ったものと違っても勉強になるはずだ。その道のプロで最高峰にいる方は、皆謙虚だ。