操体はちょっと不思議なところがある。
創始者の橋本敬三先生が
「自分は組織の長にはならないよ」と言われたことが、何故か
「操体は組織をつくっちゃいけない」というように伝わっている。
ところが、小さい組織はいくつもある。
さらに「操体は誰のものでもない」という言葉が
(天然自然の法則だから、誰のものでもないのだが)
一人歩きして
「操体はみんなのものだから、私が好き勝手にアレンジしていい」
という人もいたりする。
まあ、みんなのものだから、それぞれ好き勝手にアレンジしても
いいかもしれないが、
私は「橋本敬三先生にお借りしているのだから、そんな好き勝手には
できない」と思っている。
操体の根底には「人間は、生まれながらにして救われている」という
救いの生命観があるが、その対として「報い」がある。
あなたの魂は、死んでいようが生きていようが、救われている
という、絶対的な「救い」と、
この娑婆でやったことはいいこと悪いこと、全部返ってくるよ、
自己責任だよ、というのが「報い」だ。
好き勝手にやっていると「報い」が返ってくるのではないかと思う。
日本国内には、長年の操体愛好家がたくさんいる。
各地に「○○操体の会」というのがあるが、その多くは
健康体操、養生法として実践されている。
間に合っている人はそれでいい。
そこでは、何故か不思議な文化が生まれた。
「操体はお金をもらってはいけない」という考え方である。
私はこれを何カ所かで聞いたことがある。
一時は、ある大会の基調講演をなさった大学の先生が
そういうことを言ったものだから、その時会場にいた100名程度
のメンバーのうち70%は憤慨した。
7割は臨床家・治療家だったのである。
「大学の先生は、大学から給料もらってるから、
操体でお金を貰わなくてもいいさね」という言葉が聞こえた。
(私も正直言って憤慨した)
また、ある大会で年配の女性が「操体でお金をもらっちゃいけない
のよね〜」と言っているのを聞いた。(思わず耳を疑った)
橋本敬三先生は、ドクターとして患者を診て、
治療費をいただいていた。職業として当然ではないか。
それを「操体でお金もらっちゃいかん」と言うのは、
橋本敬三先生を否定していることになるのではないか?
また、ある小冊子に「操体で法外な治療費を取っている輩がいる」
云々と、書いている方がいた。「法外」が幾らか知らないが。
その方を存じ上げているが、本を読んで、何回か実技指導を
受けて「○○操体の会」を主宰しておられる。
本を読んで、数回実技指導を受けた人と(その方が臨床をやって
いるかどうかは知らない。多分やっていないだろう)、
例えば国家資格を取ってそれから操体を勉強したとか、それなりの
運動指導の資格を取って、何年にもわたって、臨床家として
専門的に勉強した、スキルを持っている人間に対して同等の対価
というのはおかしくはないだろうか?
いわば、サークルで健康体操を指導しているおばちゃんに
「腰が痛くて」と、ちょっとやってもらうのと、
治療院に行って専門家に診てもらうのと、同じわけがないのだ。
★操体は「自力自療」だが、この言葉は、自分で治す、という
単純な意味ではない。また、自力自療がかなわない、間に合っていない
人を、間に合っているレベルまでもっていくのが、プロの仕事なのだ。
さて、先のスペイン、バレンシアでのフォーラム。
日本と違うのは、操体に興味を持っているのは、
指圧師、指圧学校の学生、手技療法家などの専門家である。
プロなので、結果に対してシビアであるし、相当細かい質問を
してくる。
一番説明がやっかいなのは
「操体は、症状疾患にとらわれない」という概念の説明である。
「天然自然の法則で、そうなってるんだ」と言っても通じにくい。
なので、実技をしっかり見せる必要がある。
日本の受講生は、実技指導が終わるまでちゃんと見ている。
(見ることも、勉強のうち)
ところが、スペインの受講生は、実技の最中でも挙手もせずに
バンバン質問してくる。
熱心と言えば熱心で、そこが日本と違うところだ。
海外で、空手とか格闘技関係の道場を開くときは、
まず、道場破りをノックアウトさせて、こちらの強さを納得
させてから、というのがルールらしいが、
手技療法関係もそうかもしれない。
まず最初に見せて、結果を出して、納得させる。
たったこれだけの手法で、からだがこれだけ変わる、歪みが
消失する。
さて、21世紀になって10年以上経つが、これから操体は
どのようになるのか。
橋本先生は「好き勝手にアレンジしていい」と言われたわけではなく
「自然法則の応用貢献をしなさい」と書いておられる。