昨日の午前中の「足趾の操法」の集中講座でのこと。
今回、第一回目として参加のAさん(女性。整体をやっているそうだ)をモデルにし、これからどのような操法をやるのか、というデモンストレーションをやった。
最初に「ゆらし」、次に「落とし」をやっていると、Aさんの口から
「ああ、とってもきもちいいです」という声がもれた。
次の瞬間、彼女の右手が動き出した。
私は「あ、無意識の動きだな」と思った。
無意識の動きが起こるのは、主に第三分析(皮膚へのアプローチ)以降であるが、
たまに足趾の操法でも無意識の動きが起こることもある。
よく「活元と同じですか?」と聞かれることがある。
私は野口整体にはそれほど詳しくないのだが、詳しいグレゴリー君に聞いてみると、
観察力があるというか、よく分かっている先生は、被験者の腰椎とか脊柱をみると、
それが本当の無意識の動きで起こっている「活元」なのか、実は意識的に動いているものなのか、わかるのだそうである。
私の乏しい知識では、活元は呼吸をしながら首を後ろに反らしたりして、脳幹や小脳から動きを誘導しているように見える。おそらく、呼吸を止めたり激しく吐いたりして、脳幹を刺激しているのだ。
足趾の操法や第三分析は「快」をからだに提供する。
脳幹は、内藤景代先生曰く「のうかん かいかん」(前の日参照)で、快が好きで不快が嫌いだ。
★これって、まさに操体
足趾も第三分析も強烈な「快」をからだに及ぼすが、これが「きもちいいこと大好き」な、脳幹にストレートに伝わり、無意識の動きが起きるのではないだろうか。
活元→脳幹への呼吸的な刺激?
足趾および第三分析→ 脳幹へ「快」でアプローチ
こんな感じか。刺激か快かの違いである。
なお、続けて行くうちにAさんは電気にしびれたような動きや、上半身が起き上がってくるとか、普通ではおそらく起こらない動きを表現していた。
私は足の指に触れているのだが、本人は足を触られているとか、どこに触れられているのかというのは全くわからず、ただからだが電気を流されたように、はたからみると不思議な動きを続けている。
そして、自分の意志とは全く別に、からだが動いている時は「快」なのである。
確かに「のうかん・かいかん」の脳幹ならば、納得がいく。
師匠はこれを「生命感覚」と言う。
脳幹は「イノチ」の根源。脳幹が停止すると、イノチも終わる。
ちなみに、講習の後半で受講生の一人にAさんをまかせた。
その後Aさんには何も起こらなかった。
私がやった時に既に「出し切ってしまった」のだろうか?
「Aさん、もう動きは出ないんですか?」と聞いてみた。
Aさんが答える代わりに、誰かが「からだも操者を選ぶんですよ」と言った。