猫が動き出すとき、伸びますよね。
無意識にやっている。操体の原型みたいなものです。
アクビなどもカラダの無意識の作用です。
さて、数年に一度遭遇する問題?がまた起こりました。これは多分、周期的に起こることで、私に注意を喚起しているのだと思っています。
それは、身体能力が高い人のことです。
この場合運動神経がいいとかそういうわけではなく、きもちよさを味わえちゃう人のことをさしています。
そういう人っていうのは、ほんの少しの動きでも「快」のモードに達することができるんです。また、からだを「操ることができる」能力というか、「全身形態の連動のしくみ」をからだが知っているというか、ちょこちょこっと自分で動いてみて、セルフケアとかできちゃうんです。
こういうのを「原始感覚に優れている」というのでしょう。
素晴らしい能力だと思います。
★原始感覚というのは、操体で言えば「快か不快かききわけるちから」を指します
先日私のところにいらしたある方は「動けばきもちいいでしょ」と、ある操体指導者に言われて「きもちいいってどうなの??ちっともわかんない!」とおっしゃっていました。
こういうケース、先も書いたように、周期的に起こります。
これは「操体のカミサマ」が「原始感覚が鈍っているヒトもいるのだから、お前は『きもちよさがききわけられる』と、おごってはいかん」と、気がつかせてくれるのだと思っています。
つまり、自分ができるからといって、相手もできるとは限らないということを、十分自覚せよ、相手は何らかの不調を抱えているのだから、ということです。
私のところ(TEI-ZAN操体医科学研究所)に来るような方は、何らかのトラブルを抱えていたりしているわけで、そもそもこの「原始感覚」が目覚めていないとか、鈍っている状態なのです。
なので「原始感覚を目覚めさせる」というステップが必要です。
この感覚が目覚めないと「快」をききわけ、味わうという「操体の醍醐味」を体験できませんし、
「原始感覚が目覚めていない人に」「きもちいいでしょ?」と「きもちよさ」を押し売りしても、ダメなのです。
そもそも、何らかの理由で「原始感覚」が目覚めていないのですから、まずは「目覚めさせてあげる」という「準備段階」が必要です。
★その「準備段階」に関与するのが、我々操体のプロなんです。
★その手立てを学ぶのが、操体の勉強です。
さらに最近は大脳優位的に「アタマ」を使う人が多いので、尚更「原始感覚が目覚めていない、あるいは鈍っている」ケースがみられます。
これは、時代の流れもあるのですが「昭和の時代」そのまんまの「操体」では、今の人達のからだに追いつかないのです。人々のからだ自体が変わっているからです。
そうやって考えると「第一分析」が通用する年代というのは「昭和の時代」の方々たちなのかもしれません。それなら納得もいくというものです。
★先日書いた、大分の接骨院で「第一分析」で結果が十分出ているという件も、対象者(患者様)が「昭和のからだ」を持っている方々だったら、効果が出るのかも、と思ったりします。