操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法の言葉(続き)

先日から「操体法の言葉」について考えています。

 

ある先生は「きもちいい」というのは「なんとなくアレだから、自分は『ここちよい』という言葉をつかっている」とおっしゃっていました。

 

アレだからというのは、もちろん、性的なニュアンスを感じるからでしょう。

 

っていうか、考えすぎというか、そっちのほうが「ス○ベ」なんじゃないでしょうか。

 

1990年代に「脳内革命」が出る前とかは「快」という言葉や「女の子が人前でキモチイイとか言っちゃはしたない」という風潮はありましたが、もはやそれも過去のこと。

 

先日後輩に聞いてみたら「えええ~っ?そんな感じだったんですか?」と、驚かれました。

 

薬師丸ひろ子が、セーラー服姿で機関銃をぶっ放し

「カ・・カイカン・・」と言葉を発した際、「快」という言葉は堂々を市民権を得たのです(半分くらいは本当です)。

 

★私の時代は薬師丸ひろ子だったんです。最近何度かリメイクされてますよね。

 

しかし「きもちいい」と「ここちいい」では、「快」の質が違うのではないでしょうか?

 

第二分析では「快」は「快」でも、何となくキモチイイとか、ちょっとキモチイイ程度の快では、臨床、つまり操法にはもっていきません。

 

「からだ」が「味わってみたい」という「要求」を満たしているものを、操法、つまり動診として通すのです。

 

なので「ちょっときもちいい」「ここちいい感じ」、つまり「からだ」に味わってみたい要求がない場合は、通すことはありませんし、効果はないとは言いませんが、あまり期待できません。

 

「味わってみたい要求を満たしている」「快」を味わうのが、操体の第二分析です。

 

そして、何度も言いますが、第一分析(楽か辛いかの比較対照)では、「きもちよさ、ここちよさ」は問いかけません。

 

楽か辛いかは、比較対照の相対値ですが、快というのは比較できない絶対値だからです。

 

相対と絶対の違いを明確にすることが、大切です。

 

 

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聖沢庄之助さん。