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操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「快」の定義

先日の「操体の全国大会」ですが、ある先生が、橋本敬三先生の本をスキャンして、OCRで認識し、辞書のように使っている、と発表なさっていましたが、私は10年前からやっています(別に張り合うわけじゃないんですが(笑)。
原稿を書く場合など、どの本のどこから引用したか、などを明確にするためです。

なお、もっと凄いのは、東京操体フォーラム実行委員の皆さんです。

なんと、橋本敬三先生の本を「写本」しています。
読んだ、ではなく写本です。写本するくらい熱心に、橋本敬三先生の本を読んでいる方が、この世にどれくらいいるか知りませんが、多分そんなにいないでしょう。

 

さて、

快と楽の違い、定義については私も色々書いていますが、

注意しなければならないのは「一般的概念の楽と快」と、「操体における楽と快」の違いです。これを混同すると、おかしなことになります。

 

我々操体実践者が注視すべきは、当然のことながら「操体における楽と快のちがい」です。

 

私は「快」と「不快」を定義するとしたら「好きか嫌いか」でもいいと思っています。
シチュエーションはいくらでもありますから。

 

これを一般概論的に定義しようとすると、大変です。

 

なにせ「一人一人違う感覚」なわけですから。
ある人にとっては快でも、ある人にとっては「不快」な場合もあり得ます。

 

先日、ある方からちらっと聞いたのですが、操体実践者で「快」と「楽」の定義をなさっている方がいて、ということでした。

 

私は話の内容だけで、大体どなたが書いたか分かりました(笑)

少なくとも、東京操体フォーラムや、操体法東京研究会の方ではありません。

 

それがどうというわけではないのですが、快を「不快なことを我慢して、その後の爽快感を快」みたいな説明だったのだそうです。

 

なるほどね。

 

確かに「爽快」。

しかし、これはこの方の定義ですよね。

 

快の質が全て「爽快的な快」とは限りませんよね。

そして「快」というと、以前私が知っていた人は「快楽殺人はどうなんだ」と言いました。例えば「オレは人を殺すのが快感だ」という場合です。

 

これは、あきらかに人様に迷惑がかかります(汗)。

 

橋本敬三先生の本には「きもちよければ何でもいい」というのがありますが、その後に「後味がいい」「人に迷惑をかけない」という注意事項があります。

 

「広い意味での快」という捉え方をすると、わからなくなってきます。

例えば性的な快感とか、SMとか、先の快楽殺人とか、そういうことを含めると、わからなくなってくる、ということです。

 

また、性の世界は非常にパーソナルなものなので、一概に他人が踏み込むことはできませんので、やはり、我々は「操体の臨床」という中での「快」「不快」というように考えるのが妥当ではないでしょうか。

 

操体における快のプロセスを書いてみましょう。

(注:第一分析では「楽か辛いか」という二者択一の動診を行いますが、きもちよさの有無をききわける、第二分析とは、動診の方法が全く違います。以下は、第二分析以降を示しています)

操体は、リラクゼーションや慰安ではありませんから、必ず「診断分析」が伴います。

まず「動かしてみて」「皮膚に接触してみて」「その他諸々」という診断分析を行ってから、快適感覚の有無をききわけます。

この場合の快は、文字通り「きもちのよさ」です。動かす、触れるという「診断分析に対してどうなの?」という問いかけです。

 

なのでここでは、快楽殺人とかSMプレイとか性的な好みとか、暑いところから冷房が効いたところに入った、というような「いろんな快」とは違うことを認識してください。

 

★こうやってプロセスを考えると「きもちよさを探して色々動いて」という指示は、診断分析をすっ飛ばしており、操体の臨床プロセスから外れていることが分かります。
さらに、きもちよさは探しても見つかりません。せいぜい痛みがないとか、楽なところが見つかるだけです。

★といっても、なかなか理解してくれない方も多いので、加えますと「きもちいいかどうかは、動いてみなきゃわかんないでしょ」ということです。

 

そして、その快適感覚が「味わってみたいというからだの要求を満たしているものか」、からだにききわけます。中には、きもちいいけど味わってみたいという要求はないものもありますし、逆に痛みや不快感があるけれど、からだの要求で「味わってみたい」という時もあるのです。

 

からだの要求を確認したら、そのきもちよさを十分に味わいます。
味わっている時間が、そのまま操体の「治療であり、操法」です。

 

「楽か辛いか」の問いかけの場合は、瞬間脱力になりますが、「きもちのよさ」を味わっている場合、瞬間脱力にはなりません。これは実際にやってみるとわかります。
「脱力の方法もからだに委ねた」場合は、静かに抜けてきます。
よく「ふわっと脱力して」というのをききますが、「快」を味わっていれば、「ふわっと」などという言葉をかけなくとも、からだは静かに脱力してくるのです。

 

その動き、そのアクションに「快適感覚があるかどうか」の有無をききわけます。

(その、というのは、一つの動き、一つのアクションに、ということです。二つの対になった動きやアクションを比較対照するのではありません)