第二日曜は朝8時から「東京操体フォーラム実行委員勉強会」です。
毎月のことですが、実行委員同士が顔を合わせて色々勉強する最高のチャンスです。
今日は来たる秋のフォーラムの打合せも含め、色々詰めました。
午後は三浦先生の定例講習です。
第二日曜は朝8時から「東京操体フォーラム実行委員勉強会」です。
毎月のことですが、実行委員同士が顔を合わせて色々勉強する最高のチャンスです。
今日は来たる秋のフォーラムの打合せも含め、色々詰めました。
午後は三浦先生の定例講習です。
小十郎君こと「ちびちゃん」(シモン兄ちゃんが大きかったのでこう呼ばれている)を拾ってから六年になります。
8月の日曜、講習を終えて、師匠のカバンを持っていた私は、子猫が鳴く声を聞きました。
「あ、子猫が鳴いてる」
その後、師匠が隣の家の人に断って、塀にのぼり、木の枝と塀の間にはさまっていた子猫を保護しました。
写真は私の手です。私の手は結構小さいのですが、その手に乗るくらいの小ささです。
私自身、大人猫は世話したことがあるのですが、こんなに小さい子猫は育てたことがありません。確か子猫用のミルクを買ってきたような気がします。
翌日、朝イチで獣医さんに連れて行きました。
「小さいね~」と言われました。
体温が少し下がっているから、保温をするように、また、ミルク用にシリンジを貰いました。
師匠は息診で「オスだな」(笑)と言いましたが、獣医さんも「う~ん、小さすぎてまだ性別がよくわからないですね。多分オス」という答えでした。
虫がいるといけないので、検便とか検査をしました。
シリンジでミルクをあげると、もの凄い勢いでガブガブ飲んでいました。
ちょっとフワフワなのは、今も同じです。
男の子猫は2歳くらいまではやんちゃだと聞いていましたが、本当にやんちゃで、私の手足は傷だらけでしたが、そのうちに手加減というか、甘噛みを覚えました。このあたりは、シモン兄ちゃんがしっかり教育してくれたようです。
6歳というのは、人間でいうと40歳だそうです。7歳からは猫もシニアの域に入るそうですが、元気で過ごして貰えるよう、ベストを尽くしたいと思います。
操体をやっていると、反応が出る人がいます。
意識が飛ぶ人(結構多い。きもちよさを伴います)
アクビが出まくる人
(最近はあまりいませんが)キツネ憑きみたいな怪しい動きをする人
涙が出る人
げっぷが出る人
笑い出す人
お腹が鳴る人
触れられていないところに触覚を感じる人
私自身は臨床を受けていて、手が激しく動いたり、わけもなく笑いたくなってきたとかあります。指先がピクピク動くというのは割と多いです。
また、第一分析、第二分析あたりだと、からだがビクっと動く人がいます。足趾の操法で、足がビクビクっ!と動く人もいます。
不思議なことに、第三分析以降だと、ビクビク系にはあまり遭遇しません。
何を言いたいのかというと「いろんな人がいるよ」ということです。
さて、ある方(操体を学んでいる)ですが、自分が臨床を受けていなくても、その場にいただけで、からだが反応してしまうことが多々ありました。
げっぷとアクビが出るんです。結構にぎやかです。
臨床をやっていて、センセイがアクビとげっぷ連発というのはどうしたものかと思っていたところ、最近出なくなったとか。
「全部出して浄化されたのかな?」とか色々考えてみましたが、本人によると、
原因がわかり、それを実践したところ、げっぷとアクビがおさまったのだそうです。
先日の講習で「なるほど」と思ったことをメモしておきます。
「動き(無意識の動き)が大きいほうがあとでスッキリする(効く)気がする」
という話がありました。
これはですね、
人によりけりなんです。
静かにお地蔵様のように?寝ていても、実はめちゃくちゃきもちよかったということもあります。
また「操体でいうところの快(きもちよさ)」は、動診(診断分析)の過程で体験するきもちよさ、だと考えるといいでしょう。
「きもちよければ何でも操体だ」というのは多少暴論です。
また、体質的に、無意識の動きが起こりやすいとか、きもちよさが聞き分けられやすい人もいるのは事実ですし、その逆のケースもあります。
一つ注意が必要なのは「きもちよさを聞き分けやすい人」が操体の指導をする場合です。この時に「自分がきもちよさをききわけるのと同じ位、他者もききわけやすい」という錯覚を起こすことがあります。
そうです「きもちいいでしょ?」というきもちよさの押し売りをしてしまうことがあるのです。
「感覚」は、自分がそうだからといって、相手もそうだとは限らないのです。
その昔、渦状波®をやっていたところ、被験者の方が
「顔の下を虫が這っているような感じがする」というので「もしかすると不快な感じなのかな?」と「どんな感じですか」と聞いてみたら「きもちいいですよ」と答えるのです。
もう一例ですが、渦状波®をやっているとき、被験者の方(先の方とは別の方です)が、「暗いところで、大勢の人が悲しそうな目をしてこちらを見ている」というのです。この方は、ユダヤ関係の研究をしている方だったので、迫害されたユダヤの方々のイメージなのかな?と、「このまま続けても大丈夫ですか」と、聞くと「ハイ、大丈夫です」と言います。終わってから聞いてみると「悲しそうな目をしている大勢の人」のイメージが見えるのですが、それが「悲しい」とか「見たくない」という感じではなかったのだそうです。
また「自分は感覚が鈍いから、これがきもちいいのかどうかわからない」という人もいます。その場合は「味わってみたいからだの要求感覚はあるのかどうか」を確認します。
今月「これはすごい」と思ったのがこれ。
これは是非お読み下さい。
特に「私の彼にベタベタしてくるあの女、ムカつく~」とか「人に迷惑をかけないようにしているのに、いじめられる」という人も必読です。
私は易の鑑定もしますので(カウンセリングと通じるものがある)、なるほど、と思うのですが、嫉妬と劣等感はなかなか手強いものがあります。
特に嫉妬はやっかいです。
よく「彼に他の女がいるか占って下さい」とか「彼にしつこく寄ってくる女がいるんですが、どういうつもりか見て下さい」というのは珍しくありません。
狭い狭い操体の世界の中でも「嫉妬ってあるよね。。。」と思う事が多々あります。
私も、相方に馴れ馴れしく近寄ってくる女(笑)がいたりすると
「うぜ~女。めっちゃムカつくぜ」と思うでしょう。
それはさておき、この本のすごいところは、
「嫉妬は動物的な発作である」
と言っているところです。
私も「手に職があるから」というだけで、妬まれたことがありますが、この本にあるように「嫉妬の発作」が起こると「破壊的人格」になります。
「うぜ~女。めっちゃムカつくぜ。ざけんなよオイコラ!」
みたいな感じです。破壊的人格になるとこうなっちゃうんです。
もう「動物的発作」なので、止められません。
この辺りは、職場での人間関係とか、驚くべきことには、親が子どもに嫉妬している状況なども書かれています。
さらには、長年の嫉妬から解放されたら、からだの痛みも消えたということも書かれています(これは、私達に言わせれば、当然と言えば当然です)。
劣等感も「ポジティブな言葉を使う」とか色々言われていますが、自己肯定感の低い人が、無理にポジティブな言葉を使うと、逆効果のこともあるそうです。
操体でも「明るく大らかに生きましょう」とか言う人がいますが、「明るく大らかに」という人ほど、明るくも大らかでもなかった感があったりします。
★その昔「秩父の山の中で悟った」という方「操体は難しいから女にはできない」(今だったら、女性差別発言です)とか「所詮あんたの実力ではホテルでマッサージするくらいだろう」とか言われたことがありますが、今考えると「悟った人間がこんなこと言わないよね」とか、これは嫉妬だなというのがわかります。
また、この方が「明るく大らかに」という言葉を旗印にしていたので、
「明るくも大らかでもないよね」(笑)
みたいな。
そもそも、今のご時世に「悟った」って言う人のほうが妙ではないかと思ったりします。
あ、2010年にも書いてますね。よっぽどくやしかったんだな私(笑)
7月末に「フラワーズ」で「ポーの一族」を久々に読んでから、マンガ熱がなんだか蘇ってきました。
というわけで、青池先生の「修道士ファルコ」。そういえばスペイン行くんですが、
トレド(トレドっていいとこです)が出てきたりします。
ザビエル頭のことを「トンスラ」というそうですが、あるヒミツにより、トンスラ(頭を剃ること)を禁じられた、もと騎士の「ファルコ」が主人公です。
たまに「アルカサル」のドン・ペドロも出てきます。
そして「ファルコ」のスピンオフで、上のコミックの左上の「兄弟オド」が、まだ修道士になる前、ケルンの市警をしていた時の話が
「ケルン市警オド」です。
久々に、青池先生の中世ヨーロッパものを読みました(一気に8巻)。
しばらく続きそうです。
そして「うらめしや」の新刊。
これも一巻から読んでいますが、ストーリーが面白すぎ。
時代劇×レディコミという新たなジャンルを確立した、レディコミの女王こと、魔木子先生の「うらめしや」です。こちらは、江戸末期に皇女和宮が江戸に嫁いで来た時のエピソードなどなどですが、いい話です。。
こちらは「うらめしや」の外伝。お妖の曾孫にあたる「かごめ」が主人公です。
婆ちゃんになった修羅と、指導霊となったお妖が登場し、なんと、コマちゃんが佐治の生まれ変わりなんです。
どちらも同時進行の連載なのですが「今後どうなるんだろう・・」と、待ち遠しい限りです。
今月は「阿吽」の新刊と「応天の門」の新刊が出ます。「織田シナモン信長」もでるようです。
みんな時代劇ですね(笑)