2018年8月19日(第三日曜)、9時〜12時まで、施術会を開催いたします。
場所は三軒茶屋(参加者に通知)
施術 東京操体フォーラム実行委員(操体歴6年以上の経験者)によります。
施術料 一律4000円
お申込みは sotai@teizan.com まで
人数が埋まり次第締め切ります。
★なお、9月は開催予定ですが、10月はお休み致します。
今月「これはすごい」と思ったのがこれ。
これは是非お読み下さい。
特に「私の彼にベタベタしてくるあの女、ムカつく~」とか「人に迷惑をかけないようにしているのに、いじめられる」という人も必読です。
私は易の鑑定もしますので(カウンセリングと通じるものがある)、なるほど、と思うのですが、嫉妬と劣等感はなかなか手強いものがあります。
特に嫉妬はやっかいです。
よく「彼に他の女がいるか占って下さい」とか「彼にしつこく寄ってくる女がいるんですが、どういうつもりか見て下さい」というのは珍しくありません。
狭い狭い操体の世界の中でも「嫉妬ってあるよね。。。」と思う事が多々あります。
私も、相方に馴れ馴れしく近寄ってくる女(笑)がいたりすると
「うぜ~女。めっちゃムカつくぜ」と思うでしょう。
それはさておき、この本のすごいところは、
「嫉妬は動物的な発作である」
と言っているところです。
私も「手に職があるから」というだけで、妬まれたことがありますが、この本にあるように「嫉妬の発作」が起こると「破壊的人格」になります。
「うぜ~女。めっちゃムカつくぜ。ざけんなよオイコラ!」
みたいな感じです。破壊的人格になるとこうなっちゃうんです。
もう「動物的発作」なので、止められません。
この辺りは、職場での人間関係とか、驚くべきことには、親が子どもに嫉妬している状況なども書かれています。
さらには、長年の嫉妬から解放されたら、からだの痛みも消えたということも書かれています(これは、私達に言わせれば、当然と言えば当然です)。
劣等感も「ポジティブな言葉を使う」とか色々言われていますが、自己肯定感の低い人が、無理にポジティブな言葉を使うと、逆効果のこともあるそうです。
操体でも「明るく大らかに生きましょう」とか言う人がいますが、「明るく大らかに」という人ほど、明るくも大らかでもなかった感があったりします。
★その昔「秩父の山の中で悟った」という方「操体は難しいから女にはできない」(今だったら、女性差別発言です)とか「所詮あんたの実力ではホテルでマッサージするくらいだろう」とか言われたことがありますが、今考えると「悟った人間がこんなこと言わないよね」とか、これは嫉妬だなというのがわかります。
また、この方が「明るく大らかに」という言葉を旗印にしていたので、
「明るくも大らかでもないよね」(笑)
みたいな。
そもそも、今のご時世に「悟った」って言う人のほうが妙ではないかと思ったりします。
あ、2010年にも書いてますね。よっぽどくやしかったんだな私(笑)
7月末に「フラワーズ」で「ポーの一族」を久々に読んでから、マンガ熱がなんだか蘇ってきました。
というわけで、青池先生の「修道士ファルコ」。そういえばスペイン行くんですが、
トレド(トレドっていいとこです)が出てきたりします。
ザビエル頭のことを「トンスラ」というそうですが、あるヒミツにより、トンスラ(頭を剃ること)を禁じられた、もと騎士の「ファルコ」が主人公です。
たまに「アルカサル」のドン・ペドロも出てきます。
そして「ファルコ」のスピンオフで、上のコミックの左上の「兄弟オド」が、まだ修道士になる前、ケルンの市警をしていた時の話が
「ケルン市警オド」です。
久々に、青池先生の中世ヨーロッパものを読みました(一気に8巻)。
しばらく続きそうです。
そして「うらめしや」の新刊。
これも一巻から読んでいますが、ストーリーが面白すぎ。
時代劇×レディコミという新たなジャンルを確立した、レディコミの女王こと、魔木子先生の「うらめしや」です。こちらは、江戸末期に皇女和宮が江戸に嫁いで来た時のエピソードなどなどですが、いい話です。。
こちらは「うらめしや」の外伝。お妖の曾孫にあたる「かごめ」が主人公です。
婆ちゃんになった修羅と、指導霊となったお妖が登場し、なんと、コマちゃんが佐治の生まれ変わりなんです。
どちらも同時進行の連載なのですが「今後どうなるんだろう・・」と、待ち遠しい限りです。
今月は「阿吽」の新刊と「応天の門」の新刊が出ます。「織田シナモン信長」もでるようです。
みんな時代劇ですね(笑)
現在、我々操体法東京研究会のメンバーがメインに学んでいるのは「第五分析」になります。
こちらは、まだ公になっていません。
それはさておき、昨日非常に興味深い事例がありました。
腱鞘炎を発端として、全身が痛くて辛い、モノが握れないという方です。
私も都内の別の場所で、出張施術をしていたところで、急遽三浦先生の講習会場をお借りすることにしました。
会場に向かうと、運がいいというか、三浦先生が個人レッスンをしていました。
考えてみると、三浦先生と私は講習は一緒にやっていますが(私がサブ講師であったり、私の講習に顔を出してもらったり)、臨床を一緒にやるというのは、久しぶりです。
というわけで、三浦先生と私で、タッグを組んで臨みました。
これは、非常に興味深いものがあり、被験者一人に対し、操者が複数存在するという場合です。これまでも、アシスタントに色々手伝ってもらうということはありましたが、
「複合技」でここまでいけるとは、という感じでした。
これは、操体臨床の新しい可能性を示しています(確信しました)。
ちなみに、主訴はいわゆる腱鞘炎。左手首でしたが、左手首に触れたのはほんの僅か。
しばらく仰向けでお休みになった後、
「とってもきもちよかった」
「どこも痛くないです」
この場合「伸びてきもちいい」とか「ひねってきもちいい」という「刺激的なきもちよさ」というよりも「静かなる生命感覚的な快」といういい方が合っているかなと思います。
伸びて動いてストレッチ!みたいな快ではないのです。
翌日にはモノが掴めるようになったという連絡がありました。
第五日曜がある日の午後は「塾SOTAI」です。
午前中は実行委員で打合せをしました。
秋は「身体芸術と操体」。
我々が得意な分野です。
午後は「塾SOTAI」。内容は秘しますが、相変わらずディープです。
最近の三浦先生の「ブーム」は「○○」なんですが、これがまた面白い。
面白いというのは「え、ここでそんな反応がアリですか??」みたいな面白さです。
そして
三浦先生から聞いたのですが、まだこのサイトでも公にしていない、
スペインでのセミナーを、既に関西地方の操体関係者の先生がご存知だったそうで、びっくりしました(情報が早いですね)。
とはいえ、当事者が発する情報が一番正確?だと思いますので、何かありましたら、
畠山までお問い合わせ下さい。
というわけで、ご紹介です(英語版)
私は基礎と歴史などを担当する予定ですが、
例えば「足関節の背屈」や「膝の傾倒」や、伏臥位で膝を屈曲させ、踵を臀部に近づけて可動域をみる動診があります。
これらの動診ですが「どこに触ればいいのか」という、ベクトルを先読みしたコツがあります。
たまに写真を見ると「とんでもないところを触ってるな」とか「ベクトル考えてないな」とか「これじゃ動診になってないよね」というのを見ることがありますので、そのあたりをしっかり伝えたいと考えています。
というのは、日本でもそうですが「操体のまぐれ当たり」が結構多いのです。
最初は「ものすごく効いた」と欣喜雀躍するのですが、そのうちに「効く人と効かない人」の差が出てきます。
これが「まぐれ当たり」です。
まぐれ当たりがないように、コツを押さえるのがプロの手法です。
タイトルが何ですが、
先日ある人の質問(何故ナントカ操体っていうのが結構あるんですか、という質問)に、三浦先生は
「○○操体とは、創作ラーメンのようなものだよ」と。
確かに最近の創作ラーメンはすごいですよね。
創作ラーメンには、オーナーの「こだわり」が詰まっています。
それが独自性を出しているのです。
「○○操体」というのも、その先生のこだわりが詰まっていると考えると「なるほどね」と納得がいきます。
さて、そうすると、単なる「操体」は一体何なのでしょう。
そんなことを考えながら歩いていたら、ふと「落ちて」きました。
「操体」は、天然自然の法則である。
ということです。「天然自然の応用貢献」が、操体です。
何を難しいこと言ってるの?と言われそうなので、説明しましょう。
生体の歪みを正す の285ページに「第七の天」という話が出て来ます。
この辺りを読んで頂くと、宇宙の成り立ちや、自然法則について相当細かく書かれています。説明するって言って何ですが、操体を実践しているというのであれば、この本は読んでいないとね。
★この本を読まずに「操体をやっている」という人がいたら、私ならば「すぐ読め」と言いますし、視覚に問題があるとかでも無い限り、操体をやっていると言って、これを読んでいなかったら、ニセモノと言ってもいいでしょう。
もの凄いテクニックを発見した(あるいは掘り出した)」と言っても、そのベースには、必ず「天然自然の法則や摂理」があります。
「オレがオレがオレが発見した」と言っても、そのベースには「天然自然の法則」があるのです。
そして天然自然の法則は、先方から勝手に来てはくれません。
学ぶ必要があります。自然だから勉強しなくてもいいんだよ、なんていうことはありません。
逆に言えば「天然自然の法則」の中には、「こだわり」などはありません。
○○ = オーナー、あるいは作者の「こだわり」
操体 = 「天然自然の法則」
「こだわり」は悪い物ではありません。しかし、その人一代で終わりかねません。
(そのためにも後進の指導が大切なのです)。
しかし「操体=天然自然の法則」ですから、普遍的なものなのです。
○○操体 = 創作ラーメン。そのオーナー、発案者の個性やこだわりで面白いものが生まれてくる。しかし、時流の流れに流されやすいこともある。場所的には「操体法」の中に入るか??
操体 = 天然自然法則の応用貢献であるから、ラーメンで言えば「ラーメン自体の歴史、研究をふかめつつ、進化、深化の研究をすすめる)
操体法 = 天然自然法則の応用貢献の中でも、特に「治療」「臨床」の部分を「操体法」と呼んでいる。
蛇足ですが、私は「桂花ラーメン」とか、万世の「排骨麺」とか、六本木の香妃園の「鶏煮込みそば」、下北沢「みん亭」の「いわゆる支那そば」のようないわゆる「スタンダードな名品」が好きです。
「操体法治療室」の後半、三浦先生のパートを英訳したものです。
Sotai Treatment Room: Obeying Bodily Sensations (English Edition)
翻訳は、日本で5年間操体を学び、操体のコアな部分を理解している、グレゴリー・ローゼンが担当、推敲に推敲を重ね、日本的なニュアンスや感覚的なニュアンスを絶妙に伝えています。かといって、難解な英語ではありません。
今の時点ではAmazonのKindle版のみとなっています。
この本の三浦先生のパートの英訳です。