操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

読書三昧@にわかシャーロキアンとなる(笑)

残暑もようやく和らいで来ました。

今年は梅雨明けが遅く、更にコロナ禍などもあり、暑かったのですが、夏をどこかに置いてきたような気がします。

 

さて、本のご紹介です

 

 ついに出ました。「阿・吽」の最新刊。

世は嵯峨天皇の時代となり、最澄空海に弟子入りしました。この巻では、空海からより濃厚な密教を授けられた最澄が超パワーアップした姿が書かれています。一方、政治的なゴタゴタに巻き込まれる予兆も。

 

 

鬼灯の冷徹(31) (モーニング KC)

鬼灯の冷徹(31) (モーニング KC)

  • 作者:江口 夏実
  • 発売日: 2020/09/23
  • メディア: コミック
 

 そして、こちらはついに最終巻です。私は勿論全巻持ってますが、「鬼滅」といい、みんな終わっちゃってロスに陥りそうです。

なお、こちらは多分スピンオフとかそういうのも出そうなので、そちらで期待したいと思います。「鬼灯」は、アニメ版も秀逸なので、こちらも是非どうぞ。

 

 

 こちらも13巻が出ました。リオはやっぱり泥人形。そして、私の推理「とらじこそがリオなのでは」というのが当たってそうな予感の最新刊でした。

 

 

 映画版で「シャーロック・ホームズ」、ドラマ版で「シャーロック」を見てから、自分は「怪人二十面相」は読破したのに、何故かホームズは読んでない(英文学専攻だったのにぃ)ことに気がつき、改めて読んでみました。深町眞理子訳。

こちらを読む前に「シャーロック」(ドラマ版)シーズン1 一話「ピンク色の研究」を見ていたので(本当は順番が逆)愉しめました。

 

SHERLOCK/シャーロック シーズン1 Vol.1(字幕版)

SHERLOCK/シャーロック シーズン1 Vol.1(字幕版)

  • 発売日: 2016/02/22
  • メディア: Prime Video
 

ベネディクト・カンバーバッチが、21世紀のシャーロック・ホームズを演じるドラマ。

もう、当たり役です。

 

シャーロック・ホームズ (字幕版)

シャーロック・ホームズ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 あ、これも最高です。

二人とも武闘派です。

 

 

 明智小五郎なら怪人二十面相シャーロック・ホームズなら、ジェームズ・モリアーティ教授です。

これは、モリアーティを主人公にしたコミックなのです。

原作では、モリアーティ教授、陰険なおっさんとして描かれていますが(ググってね)、こちらは美形です(笑)。

個人的には、ドラマ版「シャーロック」のアンドリュー・スコット(どっかで見たと思ったら「007 スペクター」で、スペクターに内通しているCを演じてました)もかっこいいと思いますが、途中でホームズやワトソンが登場し、MI6とかマネー・ペニーとか出てきて、引き込まれます。

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 実行委員勉強会で三浦先生から話題に上った一冊。これは、2000年、ISIS編集学校に入った時に読みました。ベストセラーです。

 

 

 

操体法を学ぶ時には「あきらかにする」ことが大事です。

「からだにききわける」。操体の特長の一つです。

「あなた(私)」がききわけるのではなく、「からだ」です。

 

操体法基礎講座Aをやっています。また、操体ベーシック講習をやっていますが、

xn--tqq763c.com

www.teizan.com

 

痛感するのは「あきらかにする」「区別を明確にする」ことです。

 

「楽と快はちがう」ということは長らく発信し続けていたので、最近はどうやら広まっているようです(まだまだですが)。

 

そして、最近もう一つ感じるのは「型」と「実技」の違いや、操体が臨床(治療、施術)として成り立つ条件としての「診断・分析」と「操法(実際の施術・治療)」の違いをはっきりとさせること、操者、指導者は当然ですが、例えばセルフケアをしたい人にとっても必要なことが、ますます分かってきました。

 

理由:操体は「快」であるということが一般的に知られてきた。

 

これです。

私が気づいたのは、割と本を読んでいるとか、身体論に興味がある方は、総じて「快適感覚」に対する感受性が強く、操体の施術を受けて頂いても、快をききわけるちからが優れているように思えます。

 

しかし、そういう方々に、

「からだの使い方、動かし方の基本(ルール)の型」として「般若身経」を指導すると、型を指導しているにかかわらず「あ、これはきもちいい」とかおっしゃるわけです。

 

いいですか。

まず「型」を覚えてもらうんです。「型」なので、からだを型の通りに操って頂き、それが無意識の動作になるくらいまでやって頂ければ身につきます。

 

平たく言えば「型」を練習しているので「きもちよさ」は、まだ早いのです。

 

型が無意識のようにできるようになれば「きもちのよさ」まで踏み込んでいいのですが「型」の時点で「きもちのよさ」に踏み込むと、動診と操法の区別がつかなくなります。

 

そして、ここで陥りやすいのが、なまじっか、快適感覚に敏感なので「きもちのよさを探す」と言い出すのです(私の経験上、間違いありません)。

 

で、何度も言いますが、きもちのよさは、探しても見つかりません。

何故ならば、操体法の第二分析は「やってみて、快か不快かききわける」からです。

また、操体では「からだ」が主人公です。「私」ではありません。

 

きもちのよさを、からだにききわける のです。

(主語はからだです)

 

しかし、きもちのよさを探すのは、誰でしょう。

「私」です。

 

そうです。きもちのよさを探すと、主人公は「自分」になってしまうのです。

そうなると「からだにききわける」という操体の臨床が成り立たなくなります。

 

 

 

操体法は 診断分析(動診)→ 治療(操法)という段階を踏むからです。

第一分析は

左右比較対称の動診→こっちが楽です(診断分析成立)→楽な方、やりやすい方を数回→再動診

 

第二分析は

一つ一つの動きに快適感覚の有無を問いかける(動診)→ある(診断分析成立)→快適感覚を味わう(操法

 

般若身経(型)→ 般若身経(セルフケア)

型 → 自由組み手

動診 → 操法

 

些細なことだと思われるかもしれませんが、主人公が私(自分)なのか、からだなのか、その区別を明確にすることが、とても大事です。

 

そして、操体臨床から「診断分析(動診)」→「治療(操法)」という手順を省いてしまったら、操体臨床にはなりません。

 

このステップがないのが、慰安やリラクゼーションです。

 

否定するわけではありませんが、お客様が「肩が凝った」と言えば肩を揉み、「腰が痛い」と言えば腰を揉む。つまり、サービス提供者が、診断分析を行わず、顧客の言うことをそのまま行うとか、10分20分の時間に沿った、コース的なサービスを行うことが、慰安やリラクゼーションです。

 

操体を勉強しはじめたばかりの方、あるいは操体でセルフケアしたい方も、実は客観的に「主人公はからだ」「ここまでは動診」「ここから操法」のように「からだ目線」でやってみるとわかります。

 

この辺りのことは、本に書いても文章に書いてもなかなか伝わりにくいものです(感覚ですから)が、これがわかると面白くなってきます。

 

下図は、操体臨床が「三位一体」ということを示した図です。

 

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足趾の操法®集中講座

足趾の操法®集中講座 開催中

現在、第一第三日曜の午前中に開催しています。

個人的な意見ですが、足趾の操法こそ「万病を治せる妙療法」(橋本敬三先生の本の名前です)かもしれません。

初回の方は、まず、足趾の操法からはじめます。きもちのよさが充分味わえるのは勿論ですが、

  • ぐっすり眠れた
  • お腹が活発になって快調快便
  • 背筋が伸びた
  • 膝の痛みが軽くなった
  • 足の浮腫みがおさまった
  • 爪水虫がでなくなった(操者にはうつりません)
  • ぎっくり腰(ぎっくり腰で往診に呼ばれた時などは、これが大活躍)

などなど。

 

また、操者自身は

  • 数時間続けて行っても疲れないからだの使い方、動かし方(操体の特長です)
  • 被験者の「快」を同時に味わうので、操者も元気になる

 

何と言っても、数時間続けても疲れないようなからだの使い方、動かし方というのは、プロにとっては必須です。

ちなみに、フォームが美しいということは、運動効率がよく、疲れにくいということですが、下の写真をご覧下さい。

「足指廻し(あしゆびまわし)をやっている、岡村郁生先生の写真です。

(あまりに職人っぽくてかっこいいので、ご本人の許可を得て掲載しています。撮影は私)

手と姿勢がきまっているので、写真を見ただけで、フォームがキレイだなと思うはずです。そして、フォームが美しいということは、操法もきまっているということなんです。

 

操体の実技は、フォームの美しさでもよくわかります。

 

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モデル。東京操体フォーラム実行委員の岡村郁生先生(操快堂)



弟子からみた師匠。操体の求道者、三浦寛

9月13日は、我らが操体のお師匠、三浦寛先生のお誕生日でした。

 

 操体 人体構造運動力学研究所 三浦寛

www.sotai-miura.com

お誕生日を記念して、「弟子からみた師匠」ということで、フォーラム実行委員にコラムの執筆を依頼し、まとめました。

三浦先生のサイトにも掲載していますが、「操体法大辞典」にも掲載します。

www.sotai-miura.com

 

長い人は20年以上、三浦先生について操体を学んでいます。講習を終えたのは、20年以上前なのに、月一度の勉強会には顔を出し、塾SOTAIにも顔を出し、月イチで個人レッスンを受け続けている岡村先生をはじめ、同様に20年以上学び続けている、フォーラムの知恵袋、半蔵先生。

この二人は、鍼灸や柔道整復の資格を持っており、実際に接骨院や整形で患者さんの治療にあたっています。

 

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「弟子から見た師匠」岡村郁生


我が師、三浦寛先生に師事してから何年経ったのかと改めて年数を数えた。
鍼灸あんまマッサージ指圧師、はり師きゅう師の国家資格と柔道整復師の国家資格を習得し、茅ヶ崎市にて開業した丁度一年後。
医道の日本に掲載された操体法の指導者募集という案内に惹かれた当時。
講習会に通い始めてから約21年の月日が流れている。

当時鍼灸接骨院を開業した私は、日々来院される患者さんの症状・疾患に追われ、その訴えを解消する、という業務に辟易としていた。

また、いつまでも改善しない五十肩のような症状にも嫌気がさし、本来病気を治すと言うことが本当に施術者の責任にあるのか、ということも頭から離れなくなっていたし、学生時代、操体法の本を斜め読みし、ちょこちょこと治療に使ったこともあり、本格的に手技療法の一つとして操体法を学んでみるのも良いチャンスだったのだろう。

今では、御縁に導かれたのではないか私は感じている。

東京三軒茶屋での操体の講習を受け始めてから、1つ1つの疑問や、自分自身を追い込んでいた苦しみから解放される、その快感とも言える学問体系を味わって現在にまで至っているのだから。

驚くことに三浦寛先生は、21年前から今に至るまで、操体の真髄とも言える、感覚を通してからだにききわけさせること「快」の追究・探求を通して進化するので、常に新鮮な講習となる。

それは常に操体法の真髄である、道を極めんとした姿、これを私達に伝え続けようとしている、そのように思えてならない。

実際、何度も師匠の臨床を傍で拝見する機会をいただいていることもあり、正直学んでいても、見れば全てわかるようなものでない。

よせては引く潮の流れにも似た静かな臨床は、まるで自然法則の応用貢献そのもの、操体とは何かという問いかけを感じずにはいられないのである。

そもそも、操体操体法は違う。

操体操体法創始者橋本敬三医師が纏めんとされた、未だ完成されていない未病・健康増進医学の道でもある。

操体法は、その橋本敬三の哲学思想に基づいた臨床を通すと言うものである。

故に形のようなものがあっても繰り返すようなことにならない。

生きている人間の体の本質を見極め、その体の欲している何かを感じ取りながら、被験者である患者本人に聞き分けて、気持ちよさを味わっているうちに、本人の訴えるトラブルをも治すことにつながる、その最短ルートである。

実際に操体の臨床を受けたこともあり、その感覚的な変化、及び症状と言うものを自分自身の言葉で語るなら、自分がわかっていること以上に「からだ」はわかっている。
その意味を操体の臨床で感じ取り、きき分け、その「からだ」の要求している本質が自分自身にも響いてくる、と言うところであろうか。

症状疾患にとらわれない。この操体臨床を極めるとする道を、我が師匠、三浦寛先生は熟成しつつ今も歩み続けている。


寡黙に実直に、ただただ探求し、歩み続ける。
その求道者であるとも言える姿に惹かれ、今現在も学び続ける私がいる。
だからこそ決して、安易に操体の学問を学ぶなら、三浦寛先生にお願いした方が良いよと軽くは言えない。

全てを委ね、指導できる伝道師たる師に巡り会うこと。
奇跡的な人生を歩み、また師の歩みしその道を、自分自身の生きる糧として味わうといった人生の妙味は、他の何物にも変えがたい宝物として味わえる。
その事は保証する。

いつの日もこの歩みを止める時もなく、終演の課題も未だ観得ず、果てしなく追い求めることに繋がっていく。
自分自身の底知れぬ学びに対する姿が誇らしく思える。

有り難き感謝の想いは人生をとめどない喜びへと導いてくれる。
それは心より、いや「からだ」の悦びとして感じとれる。

これ以上の浄福はあるのだろうか。
その浄福に至る道を、己の本願として一歩進めると願う真の者は、思い切って門を叩いてみると良い。

そこに様々な生き方を、自分の知らぬ自分自身を垣間見るに違いない。


「弟子からみた師匠」半蔵

三浦寛先生は、操体法創始者 橋本敬三先生の衣鉢を継いだ人です。

何を継承したのかといえば、「自然法則の応用貢献」という師からの課題を真摯に受け止め、臨床において、よりからだの要求に応えられる様に、操体を進化させて行ったということです。

橋本先生は、「温故知新」という言葉をよく使っておられました。

論語』の原典では、「温故而知新」となっています。

「温故」とは、既存の知識や知恵を煮込んで温める。

「而」は、時間の経過(発酵、熟成が起こる)

「知新」とは、何かが変容を起こして、新たな知見や方法が出現する。

三浦先生は、将にこれを地で行った人です。

そして、全て自らのからだに感覚を通して、臨床で試した人なのです。「学得」ではなく「体得」の人なのです。
もうこれ以上言葉を費やすことはありません。

後は、橋本先生の名言「うまいか、まずいか、食ってみろ」です。

 

 

「弟子から見た師匠」日下和夫

三浦寛師は操体の祖師である故橋本敬三医師の直弟子であり、師の下で長年研鑽を積まれていた。 そして、橋本敬三医師から 「機は熟した」 との命を受け上京し、独立開業に至る。

その後、人体の構造運動力学の研究を重ねて独自の理論と技法の開発を続けていた。 しかし、同胞でありながら橋本敬三門下の人々からは誹謗中傷を受ける存在でもあった。 

それでも熱気をもってその研究に没頭する傍ら、熱烈な指導も続けられていた。 このような未来を背負って立つような価値ある医療的功績は、いつの時代でも周りから冷笑され非難されるほどの少数派の探求者によってのみ始まるものである。

私も20年ほど前に操体に縁ができ、三浦寛師や少数派の仲間の英知と情熱と人間的な温もりに支えられながら、操体道に励むことができた。 

また日々の臨床において、三浦寛師の持論である 「重心が適正に適った動きを誘導することで、快を共有することができる」 という理論を私は座右の銘にしている。 そして、操体に縁ができた新しい仲間にもこの感動を分かち合いたいと思う。

 

「弟子からみた師匠」 瀧澤一寛

「オレが凄いんじゃない、からだが凄いんだ」

その声の主は、自分のやっていることを誇示するわけでもなく、かといって謙遜するわけでもなく、ごく自然な感じで僕に語ってくれました。

その声の主とは、操体の学びにおける僕の師匠、三浦寛先生です。


三浦先生との出会いは、一冊の本がきっかけでした。

鍼灸マッサージの専門学校を卒業してから5年が経った頃、僕は「自身のバックボーンとなるような勉強がしたい」という想いを強く抱いていました。

専門学校では基礎的な知識(ほぼ国家試験対策)を暗記し、現場に出てからは、鍼灸やマッサージの技術に加え、症状に対するアプローチやその原因の診方などを教わり、臨床に携わっていましたが、

どうも自分のやっていることが継ぎ接ぎのように感じられ、「このままテクニックを覚えていっても場当たり的にしかならないんじゃないか」という疑問が湧いてきたのです。

その解決策として選んだのが、その道一本でやっている先生の下で一から学ぶこと。

そんなときに本屋で出会ったのが、三浦先生の著書「快からのメッセージ 哲学する操体」でした。

その本の内容に引き込まれ、数ヶ月後、僕は被験者として初めて三浦先生にお目にかかり、操体臨床を受けたのです。

今まで受けたどんな臨床とも違い、三浦先生の意図することが全く分かりませんでした。

症状に対してアプローチしているわけでもないし、骨格的なバランスを診ているわけでもない。やっていることといえば、からだのある部位に軽く触れているだけ。

にもかかわらず、今まで味わったことがないような感情やからだの変化が現れ、なによりきもちがいい。

凄いことをされているという実感だけはあったので、「先生凄いですね」と言ったところ、冒頭の言葉が返ってきたのです。

臨床を受けた後も、数日間は臨床を受け続けているような満たされた感覚が続き、「何か雰囲気が変わったね」と妻もその変化に気づくほどでした。

当時の僕に三浦先生の意図が分からなくても無理はありません。僕は今まで誰からも「からだ」について教わることがなかったからです。

先生は僕に「からだ」の世界を垣間見せてくれた初めての人でした。

症状にアプローチするのではなく、構造的なバランスを診るのでもなく、「からだ」と対話することで、こんなにも豊かな世界を味わえるということを、理屈ではなく感覚を通して教えてくださいました。

その後、三浦先生の下で操体を勉強することになり、その姿勢を拝見し続けていますが、先生は一切妥協せず、誰よりも「からだ」に対して真摯に学ばれているのです。


「弟子から見た師」友松 誠

私が操体を本格的に学び始めたのは、2003年でした。
どうせ学ぶなら、しっかりと学びたい。しかし、どのような人から学ベば良いのか、皆目見当がついていませんでした。


手技療法の世界では、昔から他人に教えるに見合った経験や研鑽を積んでいなくとも、セミナーや講演会を開いている人も多い。


ましてや操体の場合、一般にその名が広まる過程に於いては、健康体操のようなものとして広まった面もあり、そういった面だけで他人に教えている人も多くいた。


私は手技療法の現場で操体法の臨床効果の高さは認識していたので、今まで学んだ手技療法とは全く違う真逆の捉え方とも言えるやり方で、何故これだけの成果が上がるのか、それが知りたかった。


しかし、当時の操体の世界は混沌とした様子で、他の療法との良いとこ取りの基礎や基本などお構いなしの方法論が乱立した状態だった。

そんな時「操体臨床の要妙」という一冊の本の写真に目が止まりました。
写真は、師が被験者の動きに介助、補助を行なっている様子を写していたが、その姿を見て「あっ、この先生ならば間違いない」と感じた。
明らかに他の操体関連の本を書いている人の写真の動作、姿勢とは違う。
その調和のとれた作法の容姿からは、長年の研鑽の積み重ねと一つの道を極めんとする揺るぎのない気概が感じられた。
あれから18年。私は師、三浦寛先生と毎日顔を合わせているわけではないが、師の気概が揺らいだと感じた事は一度もない。むしろ、年々その気概は高まっているとさえ感じる。

操体は世間一般が思い浮かべる治療医学とは違う。


勿論、治療という面はあるが、そこだけに捕らわれずに未病を治す事こそ最良とする哲学があり、その未病を治すという取り組みの臨床応用が治療といえば治療という事なのです。

そして、その臨床効果は一般的な考え方からは想像もできない効果をみる。

だから、そういう意味でも師の師である操体創始者橋本敬三先生は、医師でありながら「治療なんて下の下だ」と言われていたのだと思う。

 
未病を治す、もっと言えば病気とは無縁に十分に満足して快適に生を全うできる、そんな健康学こそが求められるべきなのです。

確たる健康学が掴めれば、それを元に自分でより良く快適に生きるコツが身についていく。また、それを基に病んだ人と向き合った時に、どうして病んでしまったのかの原因や、病んでしまった身心が何を求めているかが分ってくるのです。

その確たる健康学を探究してきた歴史が操体の歴史であり、その真の究明と人々への貢献は創始者橋本敬三先生の悲願でもあったと思います。


師、三浦寛先生は「創始者の成してきた事を学ぶのではなく、成さんとしてきた事を学びなさい」と時折言われます。

創始者である橋本敬三先生は、真の健康学の成立を目指し、生き方の自然法則の探究に心血を注いだ。

その中の一つが身体運動の自然法則であり、そこからの臨床応用が「ツライ動きの方向から楽な方向に動かして脱力する」という操体法の第一分析だった。

創始者が成してきた事とは、生き方の自然法則を探究し、それを応用した第一分析での人々への貢献でありました。

しかし、成さんとした事は真の健康学を成り立たせる事なのです。 


だから、創始者も第一分析をセオリーどおり生涯行っていたのではなく、晩年の頃には楽かツライかの運動分析や瞬間急速脱力させるという事をやらなくなっていったという。

そして「気持ちよさをききわければいいんだ、気持ちよさで治るのだからな」という言葉を発するまでに至る。

しかし、創始者は自分で悟り得た事を実現できぬまま「後は君達に託す」と言い残し、その生涯を終えられたという。


創始者の言葉と遺志を受け継ぎ、第2分析を体系化したのは、師、三浦寛先生でした。  

その道のりは、長い年月に及ぶ研鑽の日々の連続であったようです。

御苦労もされたと思うが、それにもまして愉しみも大きかったようにも思われます。

師は、よく「私は操体橋本敬三先生からお借りしている」と仰るが、その言葉からは、それだけ愉しませていただいている、という感謝の気持ちも感じ取れる。

何故なら、創始者の遺してくださったのは苦学ではなく、探究すればする程に生命の歓喜につながるものだからなのです。


その根底には、気持ちよさをききわけるということがあり、原始感覚を磨いてからだに快をききわけているから、自分だけでなく他人様の苦しみや不快感にも敏感になれるし、からだをつうじて快の方向へ導く事が出来る。

自分が楽に向いていれば、楽をしたいという自我が邪魔して自分のからだや他人様のからだが発しているサインに鋭敏になれない。

師に接していると、何故こんなところにも気を配れるのだろう? と感じることが度々あり、師の心根の優しさを垣間見るのですが、そこにも快をとおしての学びが大きく関わっており、快に向くよう何かしてあげたくなるのだと思う。

そうした快からみた学びが、動きがとおせない人や感覚のききわけが困難な人にも対応できる第3分析にもつながったのだと思います。
そして、第3分析で終わりではなく、第4分析、第5分析へと操体は進化していく事となる。


特に第5分析への進化は、橋本敬三先生の時代から当然として受け止められてきた身体運動の基本を根本から見直す事となってしまった。

しかし、そうすることで今までより確実にからだの要求に応えられ、初学者の方でも操体に親しみやすくなっており、第5分析である重心の適正化は、正に真の健康学と成りえるものと感じます。


師は、ここでも長い年月をかけ、念には念を入れて、からだの動きから身体運動の根本的な見直しを行っている。

そして見直して新たに取り入れたものが、本当に間違いのないものと結論付けた上で、私たち弟子に教えて下さった。

 
そして、そこからまた年月をかけてフィードバックを繰り返し、より確かなものとした上で言葉の表し方にも気を配りながら、より多くの人が納得して重心の適正化に取り組めるよう配慮している。

 
師は、今まさに師の師であった橋本敬三先生の成さんとした真の健康学の成立を成さんとしております。

きっと橋本敬三先生もよろこんで下さっていると思います。 

 

「弟子からみた師」三浦寛幸

私が操体の臨床をはじめて受けたのは今から約15年前に遡る。

当時休むことなく仕事をしていたことでからだはボロボロであった。

そんないつ壊れてもおかしくない状態であった日々の中で、ある日朝から頭痛と吐き気で呼吸することもままならないない日があった。

行く宛てのない私が真っ先に頼ったのが三浦先生の所で、激痛から薄れゆく意識の中で「ただ寝てなさい」と言われたこと、そして右手首を触れられていたことだけは鮮明に覚えている。

現在になって振り返るととても不思議な時間であった。ただ触れらていただけなのにそれまでに体感したことのない心地よさと右腕が自分のものではなくなっていくような不思議な感覚。それをただひたすら味わっていた。

そして臨床後に何事もなかったかのように自然に呼吸が出来ていたことで普段当たり前に出来ていることへの感謝の気持ちが芽生えたことは昨日のことのように覚えている。

その時芽生えた感情はその後の私の意識や考え方を大きく変えていった。

それまでの人生で持つことのなかった自分の健康への興味、操体の世界観への憧れ、そして臨床家としての三浦先生や創始者である橋本敬三先生の生き方に少しでも近づきたいという想いを次第に抱くようになったのである。

わずか一時間余りの臨床で人生を変えられる操体の力と三浦先生の臨床、人間としての魅力に惹きつけられ、それがこの13年間の学びに繋がってきた。

そしてこの歳月の中で三浦先生を師と仰ぎ、その生き様を常に間近で見てこれたことも一つの要因である。

人に対する目配りや気配り、自身の一日の時間の使い方、そして学ぶということにおいての自身の姿勢。そういった様々なことを操体の学びを通じて得られたことが現在の私の無形の財産となっている。

常に厳しく、時には優しく私を見守ってくれていた師の姿勢はこれから臨床家として生きていく私の原点と指標とすべきもので、これからの世代にも伝えていかなければならないもので私自身も大切にしていかなければならないものだと思っている。

 

「誰よりもじっくりと、先を見据えて歩むひと」寺本雅一

師匠と出会う御縁をいただいてから、そろそろ10年くらいの月日が経とうとしている。
数年毎にいままでの学びを振り返り、それをもとに今を顧みる機会をいただいている

師をみていて感じるのは、「重続の継続」。その言葉そのままの学ぶ姿だ。未だに同志の、その誰よりも時間をかけて勉強をしているのではないかと感じてしまう。

薄々感じてはいたが、うちの師匠はかなりの熟成期間をかけて学ぶタイプの人だと思う。普通の人がすんなり納得して前に進んでいきそうなところを、学びの「種」をそう簡単には手放さない。じっくり時間をかけて重ねていきながら、でも不思議なことに、気が付いたらいつも誰よりも先を見据えて歩いている。この辺の感覚がうちの師匠の秘密だと思う。

何かを学ぼうとする人間、また学び続けようとする人間にとって、これほど有難い存在はいない。思い返せば、好奇心だけが旺盛で飽きっぽい私が、今でもこの御縁をつないでいたいと感じるのは「操体」というきっかけを通じて、師匠の学ぶ姿を見ていたいと感じているからだと思う。学んでいる人の姿は、「元気」の源だと思う。

あなたの学びの目的が「操体」にあるのなら、一度、三浦 寛に会ってみたらいいと思う。
橋本敬三の言葉を受け取って、その言葉を現在も発酵させ続けている人物がいることを知って欲しい。そして、いまの操体を目の当たりにして、あなたは何を感じるだろうか。

操体に興味がなくっても、もしこの人物のモノクロ写真などをみて、何か気になってしまった、会ってみたくなってしまった、この人どんな声してるんだろう、と素朴な疑問を感じてしまった、という人がいたら、寧ろそういう人にこそ私は師匠を紹介したい。

多分、その直観は当たっている。私もそんな出会いが始まりだった。

きっと、自分に必要な何らかの「元気」を、この人物からたっぷり味わえるはずである。

 

 

 

 

 

 

 

操体りんりん。

最近は "The Young Pope"と、”と、”SHERLOCK"(ベネディクト・カンバーバッチが出てるやつ)と、映画版の”Sherlock Holmes”(ロバート・ダウニーJrと、ジュード・ロウが出てるやつ)にはまっている畠山です。

 

テレビ版の”SHERLOCK"は、場面を現代に移し、シャーロックがパソコンやスマートフォンなども駆使しますが、やはり一番使うのは、彼の天才的な頭脳です。

それはさておき、”SHERLOCK"を見ている時に「ねこのりんりん(りんちゃん)に操体の勉強をさせたらどうだろう」というアイディアが浮かんできました。

 

現在「操体用語解説集」というサイトを作り始めていますが、そこの一画に
操体りんりん」というコーナーを設けることにしました。

 

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操体りんりん」です。よろしくね。

★補足★

「操体りんりん」の独立ページを作りました

rinrin.sotai.org

これから本格的に執筆しますので、どうぞよろしく!

 

夏の映画と読書。操体と操体法。

操体について、あなたは「身体論的」なもの、あるいは「治療法・メンテナンス法」と考えているのではないでしょうか。

実はそれ、操体のほんの一部分です。これが「操体法」です。

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操体法」は「操体」の中の「身体論」にあたる。

あなたは多分「操体法」(身体論)すなわち、からだの使い方、動かし方や、治療法やセルフケア方法を知りたいと思っているでしょう。

それは、当然です。あなたが知りたいことだから。

 

そして、我々操体の専門家は、「操体法」以外の「操体」も勉強します。

これは、創始者橋本敬三生の哲学や、食息動想の「食息想」についての勉強もふくまれます。

これは、専門家としては当然のことですが、受ける方にとっては必要ではありません。

 

でも、操体操体法って違う、っていうことは、覚えておいてくださいね。

 

あなたがこれから「操体法」を受ける時、操者に「操体操体法ってどう違うんですか」って、聞いてみるといいかもしれません。

 

さて、最近読んで面白かったマンガをご紹介します。

今回は、奇しくも?中国古典関連ものです。

 

 千年生きている「廣天」という狐(人から生まれたが、狐と人の間を行き来しており、元神木の炭の塊と旅をしている)のお話です。

キツネのもふもふ具合が半端なくかわいいのと、結構シリアスな話なのに、強烈なギャグが入っているのが特長です。

寝ている間に首がカラダから離れるという特殊な体質?の民族の話も興味深い。

ストーリーは、オムニバス形式になっています。

 

 

 これは、ひじょーに面白い。

諸葛孔明が何故か現代の渋谷に転生、パリピとして歌手のEIKOの売り出しにかかるというお話です。

もう孔明バーテンダーとしてもイベント屋としても最高の作戦を立ててくれます(さすが軍師だ)。

六本木のクラブでも顔だったりして。

ちなみに、EIKOの事務所の社長が三国志マニア(笑)。

これを読んでいたら、やっぱり横山光輝先生の「三国志」を読まねばという気になってきた。。。。

 

で、私はすいませんが、ディスコ世代なもんで(笑)、クラブ事情の勉強になりました。

 

そして、昨日観てしまったのが、

『今日から俺は!!劇場版』公式サイト

kyouore-movie.jp

 

なんですが、福田雄一監督の「新解釈 三國志」の予告編を観たら、こっちも面白そう。映画観るまでに「三國志」の予習するか。。。

なお、出演メンバーは福田監督の映画のレギュラー陣ばかりです。

 

shinkaishaku-sangokushi.com

 

「今日俺」ですが、1980年代に千葉県で高校生をしていた私にとっては、オンタイムな作品ではありますが(途中「津谷総合病院」とか出てきますが、私は「谷津」から電車に乗って国府台まで通ってました)、わたくし、中学から大学まで(当時は)「千葉の学習院」と呼ばれていた女子校に行ってたもので、校内暴力とかヤンキーとかは全く無縁で、ロックと少女マンガと映画三昧の日々を送っていたもんです。

 


出演者はやはり福田監督作品の常連ばかりで、もう大爆笑です。

橋本環奈は、以前から(銀魂の神楽ちゃんもすごいと思った)コメディエンヌとして評価してましたが、スケバンと清純派を瞬時に演じ分けるとか、変顔もいとわないとか、ますます期待します。

当然ながら、お約束でムロツヨシとか佐藤二朗も出てますよん。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

【告知】操体法施術会「左脳とばし」

2020年の夏、操体法(足趾の操法、左脳とばし)を体験するチャンスです。

 

猛暑とコロナによるストレスで、自律神経のバランスが乱れているな、というあなた。

 

それを整えるのが、我々の役目です。

 

操体法東京研究会では、8月23日(日)に、急遽「操体法施術会」を開催することにいたしました。

 

今回は、なんと、我らが師匠、三浦寛先生も参加します。

操体創始者橋本敬三医師の直弟子で、皮膚へのアプローチなどを創案した、操体操体法の第一人者)

www.sotai-miura.com

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2020年7月23日(操体マンダラにて)三浦寛先生と畠山裕美

 

 

 

その前に、あなたは多分「左脳とばし」って何だ?と思っているでしょう。

「左脳とばし」とは、東京操体フォーラム実行委員、瀧澤一寬氏(岩手県久慈市てまり堂@操体専門)が、考案したネーミングです。

 

簡単に言うと、左脳は理性、右脳は感性というように分けられます。

その「理性」をぶっ飛ばして、「快」とともに感性の世界へ誘う、というイメージです。今までも色々な方に受けていただいていますが、

 

「左脳とばし、なるほど」

「本当にきもちいいって、こういうこと?」

「確かに『飛ぶ』わ」というような感想を頂いています。

操体臨床における「意識飛び」と言ってもいいでしょう)

 

「快とともに、深い癒しを体感」

 

いずれにせよ、深い癒しが得られます。

 

●ご案内

2020年8月23日(日)

9時~夕方

場所:三軒茶屋(ご参加の方には詳細をお知らせします)徒歩3分

施術料 5000円

 

ご希望の方は 

フォームページ からお申し込み下さい(8月23日専用)

人数に達した場合は、お申し込みを締め切ります。
ご希望のお時間は先着順となります。

お申し込みは、8月22日金(15時)まで。

 

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「左脳とばし中」。三浦寛先生と寺本雅一実行委員。