操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法の「よくばるな」って何だ。

操体法をず~っと受けたいと思っていたんですが、予想と違いました」と言う方が

いらっしゃいました。

 

う~ん。何を期待していたのかわかりませんが、「超越体験」みたいなのを期待されていると困ります(たまにいらっしゃいますが)。

 

中には「毛穴という毛穴が開いた」とか「2時間くらいエクスタシー状態だった」とか「星が流れる宇宙空間を飛んでいた」(全て実話)とか、すごい人もいますが、みんなそんなにすごいわけではありませんし、すごくないからといって、それが悪いわけでも何でもありません。

 

感覚は、個人個人違うからです。

 

また、その方の状態や体調によっても違います。

 

こうやって書いていると、タロットの教則本に載っていた質問を、再び思い出しました。

「逆位置が出ると、がっかりしてしまいます」という質問です。

これは、以前にも書きましたが「易を立てても、悪いのが出るのでがっかりする」というのと同じです。

 

これは、なんでがっかりするのかというと「タロットの逆位置」=「悪い」
「易の卦」=悪いのがでるとイヤ というように「いい、わるい」で見ているからです。

 

本来、タロットにも易にも「良い悪い」という意味はなく、物事には裏と表がある、ということを言っているのです。

 

操体法における「快」で考えると、快が大きい=良い、というわけでもありません。

何故ならば、「快・不快」は、ボディのアンバランスで発現するので、もし、ボディのバランスが取れていたら、ニュートラルな状態であれば「楽でなんともない」ということになるからです(操者がヘタクソな場合もありますので注意)。

「すっごくきもちいい」ということは、アンバランスの状態が大であった、という推測もできます。

 

なので、きもちよさが大だからといっていいとか、ちょっとしかきもちよさがききわけられないからといって、悪いということではないのです。

 

これが、操体は「損得勘定でやっては面白くないよ」ということなのです。

 

最近、これが「(操体の)バルの戒め」、頑張るな、欲張るな、威張るな、縛るな、の、「欲張るな」なんだろうな、と思っています。

 

 

操体実践者はどんなセルフケアをしているか

操体関係の本でも、セルフケアの本は何冊か出ています。

という私も書いているのですが、なにせ20年前に書いたものです。

著者の私が言うのも何ですが、

「今は、もうちょっと違うことをやってます」

というのが、正確なところです。

 

というのは、私自身「楽な方に動かして、瞬間急速脱力」は、やっていません。
瞬間急速脱力しなくても、よい方法があるからです。

 

操体の動診で有名なもので、仰臥膝二分の一屈曲位での、膝の左右傾倒(いわゆる、膝倒し)があります。

 

何度か書いていますが、あれを一人でやっても、介助補助(つまり、運動充実感)がないので、感覚のききわけがしにくいんですね。

かといって、膝を倒す方にクッションなどをかますのも、イマイチです。

 

そういう問題は、既に解決できているんです。

(本にも載ってます)

 

さて、標題に戻りますが、操体実践者はどんなセルフケアをしているのでしょう。

って、私の場合です。

セルフケアの前提として、たまには「人からメンテしてもらう」ということがあります。

 

他の方からメンテナンスしてもらう、委ねることも、大事だからです。

 

誰かに「足趾の操法®」をやってもらう、なんていうのは極楽です。「左脳とばし」なんてやってもらうと、極楽の二乗です。。。

 

ごくたま~にですが「操体は自力自療だから、他の人にやってもらってもいいのか」ということを言う方もいますが、いいんです。

自力自療というのは、突き詰めれば「本人にしかわからない感覚をききわけ、味わう」ことなのですから、他の人にやって頂いて、その「感覚をききわけ、味わう」のも、立派な自力自療です。


全部自分で体を動かさないといけない、というのではありません。また、四肢を動かすだけが操体ではありません。

 

そしてセルフケアですが、ここ数年、第五分析が誕生してから、操体のセルフケアが、とてもシンプルになりました。

 

ちなみに「操体ってどんなところがイヤですか」という質問で、常に上位にくるのは

「いちいち感覚を聞かれるのがウザイ」

「(どっちがきもちいいか)分からないので聞かれるのがウザイ」

(そもそも、どちらがきもちいいか、という質問自体が間違っています。この場合は、どちらが楽ですか、とか、やりやすいですか、と聞かないといけません。

 

ということです。

特に、気持ちよくもなんともないのに、どっちが気持ちいいかとか、しつこく聞かれるのは、私だってイヤです(笑)。

あ~、長くなりました。


師匠である三浦先生が、公にしていないので、私がここで具体的に書くことはできませんが、いちいち「細かい問いかけ」をする必要がなくなった、ということです。

 

あ、セルフケアでしたね。

 

例をあげると、「般若身経」の第五分析版などはよくやります。

 

また、我々は「連動」をマスターしているので、変な話、指一本動かしても、全身の連動を表現することができます。つまり、指一本動かしても「快」の問いかけができるのです。これは特殊技能でもなんでもなく、連動と、感覚のききわけの練習を積めば、体感することができます。

 

なお、個人的にやっていることですが、銭湯(広い)に行って、よく温まるのもセルフケアの一つかなと思います。ヒートショックプロティン入浴法です(冬場に暖かいところから急に寒いところに行って起こる、ヒートショック、とは違うので注意してくださいね)。

 

また、私はよく銭湯の湯船の中で、操体法のセルフケアをやります。知ってる人は知っていると思いますが「手羽先」とか、腰掛位で側屈などです。無理しない、欲張らない、限界までやらない、そしてこれは大事ですが、周囲の人に迷惑をかけないということを守ればいいのです。

 

※無理しない、欲張らない、限界までやらない。これ、実は注意しないとやりすぎたりすることがあります。

 

極論を言えば、銭湯の湯船の中で、人に迷惑をかけない程度に軽くストレッチをしたり、伸びたりして「あ~あ、きもちいいなぁ」というのでもいいということなんです。

 

 

ノンフライヤー料理に挑戦。

密林で、バーゲンをやっていたので、買ってしまいました。

ノンフライヤーです。

 

揚げ物は嫌いじゃないけど、売ってるのは油のにおいが気になるし、後始末が大変。また、揚げ物は、必ず1回は油が飛んできてひやひやする。。

 

なんていったら、ノンフライヤーでしょう。

 

油を使わずに、食材が持っている油分で揚げちゃうという調理器具です。

私はわりと圧力鍋(これがないと困る)とか、シャトルシェフ(保温調理)とか好きなんですが、ノンフライヤーはすっかり外していたのです。

 

 

から揚げって美味しいけど、売ってるのはイマイチで油っぽいのが、常ですが、これで作ってみたらどうだろうと思ったわけです。

なお、これは小型なので、唐揚げを作るなら、鶏もも肉半分くらいがいいかもしれません。

 

使い方は簡単です。

鶏の唐揚げ(例)

  1. ビニールに入れて「唐揚粉」的なものをまぶす(水溶きではない方がいいようです)。
  2. フライヤーの電源を入れると予熱モードになるので、温度と時間を設定する(鶏の唐揚げの場合は、180度13分くらい)
  3. 予熱する。予熱終了後音が鳴る。
  4. フタを開けて、唐揚げ粉が馴染んだ鶏肉を投入。重ならないように並べる
  5. フタしめる
  6. 放置

 

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 こんな感じです。

油分がほどよく落ち、カリッとしてます。

 

なお、エビが安かったので、エビを剝いて「ガーリックシュリンプ」のシーズニングをまぶし、やはりしばらく馴染ませてから、180度7分。

旨味濃縮のガーリックシュリンプができました。

 

 

 

 



東京操体フォーラム実行委員ブログより

これもタイトルのつけようがなかったので、(7)になってます。
 
長年臨床をやっていると、色々なことがあるものです。
 
 
 
 
 
これも印象に残っていることです。
 
ある操体関係の先生がいらっしゃいます。
 
この方、古谷三敏先生の代表作の主人公に似ており、私が陰で「○○○○○」というと、岡村さんにいつも「ハタケヤマ先生、ダメですよ!」と怒られます(笑)
 
その先生、
 
私は「気持ちいい」という言葉はあんまり使いたくないんですよ、というので
 
「なんでまた?」と聞いてみたら
 
「ほら、気持ちいいっていうと、アレでしょ、ヘッヘッヘェ」
 
「なので『心地いい』って言うんですよ」
 
「アンタのほうがよっぽど×××だよ」と思った記憶があります。
 
 
誰かが「最初は『気持ちいい』というのが恥ずかしかったと書いていましたが、実際の臨床では、被験者が快適感覚を表現しやすいように工夫しています。
 
つまり
「きもちいいですか」とは聞きません。
(聞きにくいし答えにくいですよね)
 
「(この動き、あるいは状態に)きもちのよさが、(からだに)ききわけられますか?」と聞くのです。
 
からだを主語として、問いかけるのです。
 
「(あなたは)きもちいいですか?」ではないのです。
 
ということを考えてみると「心地いいヘッヘッヘェ」先生は、
 
「きもちいいですか?」って「本人」に聞くのが恥ずかしかったのかもしれません。
そりゃ恥ずかしいのはごもっともです!
 
私だってそんな聞き方しないもん(笑)

東京操体フォーラム実行委員ブログより「チッチと呼んで」

世の中には「チッチ」と呼んで欲しい人が割といるようです。。

 

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さて、令和の時代ですが、
 
昭和生まれの方ならば、知っているかもしれません。
 
 
むかしむかし、私が小さい頃に大流行し、そして今でも継続して人気があるマンガがあります。
それは「小さな恋のものがたり」というもので、うちの母(80歳越え)なども、マンガは「ベルばらとちい恋だけは読む」というくらい、人気があったマンガです。
確か一年に一度単行本が出ていて、私は自分では買わずに、友人の家で読んでいました。お母さんが読んでいるという人も多かったような気がします。
 
また、超大昔、若い頃の三浦先生がそっくりな沖雅也と岡崎有紀のドラマもありました(私はオンタイムではなく、再放送で見た)。
 
どんな話かというと、高校生(チッチ)と、ボーイフレンド(サリー)の話です。
チビでドジなチッチと、背が高くてハンサムはサリー(愛称。多分「のっぽのサリー」から来てるんだと思います)のマンガで、昭和の香り漂う四コママンガです。
 
 
それはどうでもいいんですが、この「ちい恋」ファン、結構いるんです。
 
アナタのお母さんとかお姉さんも読んでいたかもしれませんが、ファンの中には「自分のことを『チッチ』って呼んで」という人が結構いるんですね。
私の小学校の同級生にもいましたっけ。誰も呼んでなかったけど。
 
私が高校生の時「ジュンコちゃん」という子が「ジュンコって、平凡だから『ニャンコ』って呼んでくれない?」と頼まれたことがありますが、どうにもかけ離れていたので、やはり「ジュンコちゃん」と呼んだような。
あとは「由紀ちゃん」と言う子が「未久(みく)ちゃん、って呼んで」と言ってきて、手紙にも「未久ちゃんより」とか書いてありましたが「自分で未久って書くなよ(笑)」というような。

 

さて、これとチッチと操体と何が関係あるかというと、
 
ある時、母よりも少し若いくらいの既婚の女性が見えまして、何度か操体を受けてくださったのですが、何かの時に
「チッチ、って呼んで下さらない?」と言われ
 
「へっ?」となったことがあるからです。
 
驚きますよね。驚きましたよそりゃ。
 
(あ、「ちい恋ファンの人」かっ??)
 
その時は焦って「あははは」と、ごまかしましたが、その後、何かでメモを貰った時に
 
「チッチより」
 
と書いてあって
「うわ~。真性ちい恋ファンだ」
「もしかして、ダンナさんにも『チッチ』って呼ばせているのか??」
「ダンナにも呼ばせてるんだろうなあ」
 
と、かなり焦りました。
 
その後、世の中にには、その人の他にも「チッチって呼んでほしい」女性がかなりおり、親しい人に「チッチ」と呼ばせていることもわかりました。
「チッチと呼ばれたい」元祖少女は結構多いようです。
 
しかし、今考えると、女性はヨメに行くと名字が変わったり「○○さんの奥さん」とか「○○さんのお母さん」のように、自分の名前を失い、役割語(奥さんとかお母さんとか、○○ちゃんのママとか)で、呼ばれます。私はこれを結構ゆゆしいことだと思っているのです。
 
「呼んで欲しい名前」で臨床をやるのも良いかもしれません。
 
今なら「チッチさん」でも何でもウェルカム?です。
 
 

東京操体フォーラム実行委員ブログより「無題」

これは、かなりディープな体験でした。

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すごく昔のお話です。
私がある操体の講習に参加していた時の話です(操体法東京研究会以前)。
 
受講生の中に独特の表現をする年配の女性がいました。
 
講習の際、モデルになると、
「あ~ん、う~ん」とかいいながら表現するのです。
 
当時はまだ楽と快の区別が曖昧時代の私でしたが、いや、この操法でそういう反応する??みたいな。
 
例えば仰臥位で起床時に伸びをするような感じのポーズです(くねくねと言ったら良いかもしれません)。
 
猫がくねくねするのはカワイイですが・・・・・・
「あ、あ~ん」とか「う、う~ん」の連続です(想像しなくていいです。あ?想像しましたね??)。
 
はたからみていて、いわゆる「あえぎ声」(すいません)を発しているようにも聞こえ、ちょっと赤面したくなるような。
私はその場にいてかなり恥ずかしかった記憶があります。
「人前で、そんな声出しちゃっていいんですか??」「そういう姿態を曝していいんですか」みたいな。
 
注)この話は、すごく昔の話です。今は、私も修行を積んだので、これくらいでは驚きません。人には、色々表現の仕方がありますからね!
 
そして極まると、その人は、鼻の下がぐーんと伸びるのです。
ちょっと白目をむいたりします。
何度か見ているうちに、私にはその人の表情が、オランウータンに見えてきました。
 
オランウータンに見えてくると、だんだん平気になってきました。
慣れたのかもしれません。
 
講師の先生(男性)も、他の受講生(男性)も、全く普通にしていましたが、気にならなかったのか、気にならないフリをしていたのかはナゾに包まれたままですが、多分気にしないフリをしていたのではないかと思います。
 
 
 
当時、クラス修了後、一緒に受講していた女子に聞いてみたら「あれはかなりまずいのではないか、そして以下自粛」と言っていました。
 
「私だけじゃなかった」と少しほっとしました。
 

東京操体フォーラム実行委員ブログより「ズラ」

東京操体フォーラム実行委員ブログから転載します。

思い出深い出来事です。

写真などは下のリンクからどうぞ。

blog.tokyo-sotai.com

一番思い出深いのは、操体専門で開業してまだ1年目か2年目のことです。
ある会社の方々が、会社ぐるみで操体法を気に入ってくださり、よく来て下さっていました。

そこから、取引先の会社の社長に、接待で操体を受けてもらいたいとのオファーを受けました。

当時の私はまだ「第一分析」とか「連動操体」バリバリの時代でした。
端的に言えば、首が痛いと言えば、首の運動分析をして、辛い方から楽な方に動かして、瞬間急速脱力を試みるという時代です。
多分1994年頃でしょうか。

その会社の方に付き添われてやって来た「取引先の社長」さん。主訴は「首を動かすと痛い」とのこと。

当時の私は「首の運動分析ををして、楽な方に動かして、瞬間的に脱力させる」という動診操法か、今でもたまにやりますが(これだけは得意)、仰臥位で首を反らして頂き、脱力させるというのをやっていました。

首は(受けた方はお分かりになると思いますが)、スコン!と入りますし、鼻がスーッと通ったりします。頭もすっきりしますし、首も楽になります。
その会社の皆さんも、多分その威力?を知っているので、「取引先の社長さん」にもやって欲しいと思ったのでしょう。

これについては、今でもやりますが、かなり難易度が高いのと、初心者が見よう見まねでやると危ないので、伝授する人は選んでいます。
自分から「やってもいいですか」「やりたいから教えて欲しい」という人には、敢えて待って貰っています。

「教えて欲しい」という時点で、まだ早いのです。

私から「この人には教えてもいい」と思う人に伝えています。これは出し渋りでも何でもなく、その人の「操体度」を見ているのです。


というのは、以前「プログラム通り」に教えていて、ある受講生に危ない目にあったからです。
自分で首を保護しなければ、頸椎損傷とか、ヘタすれば、C1骨折で死んでたかもしれないのです。回転させるべきところを、思い切り引っ張られたのです。


そして、私は一瞬焦りました。

というのは、その「取引先の社長さん」は、

自分では、周囲にはバレていないと思っているけれど、周囲は皆知っていて敢えて黙っている「ズラ」の方だったのです。

これは、仰臥位で、床にアタマをつけて、首を反らせて、というのをやると、ズレる可能性があります。

飛んじゃったりしたら、連れてきてくれた会社の人の首も飛びそうです。

その時は、腰掛け位で頭部に触れる箇所は、指先二箇所というテクニック(これをテクニックというのだと腹の底から思いました)を駆使し、何とか満足して頂きましたが、あの時は本当に焦りました。

今は、首に痛みがあっても、首に触れずに、ズラにも触れずに動診操法を行えますので、大丈夫です。