操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

般若身経を習得する秘訣(編集しました)

★文章が重複していたので、少し手直ししました。

 

 4月29日(木)昭和の日、2021年春季東京操体フォーラムを、オンライン開催致します。

www.tokyo-sotai.com

 

今回も昨年秋に引き続き「セルフケア(特選)」ですが、この際なので、東京操体フォーラム実行委員や、受講生メンバーが「どんなセルフケアをしているのか」ということを、リサーチしてみました。

 

頻度。流石皆さん、毎日やる方が多いようです。

 

私もやりますが「ちょこちょこ」というのが正解に近いかな。
起床時と、入浴時にやることが多いです。

 

多分、歯磨きとか洗顔のように、生活の一部に組み込まれているのではないでしょうか。

 

「なんにもやってないですよ」という人に限って、生活の一部になっていて、苦労してやっている、という感じがない、というのが理想ですね。

 


般若身経:

からだの使い方、動かし方を、真理を説いたお経になぞらえて、操体界界隈ではこのように呼んでいます。操体界界隈では、有名ですし「般若身経にはじまり、般若身経におわる」と言ってもいいくらい、大事です。

 

「からだの使い方、動かし方のスタンダードであり、診断法であり、治療法でもある」という、セルフケアの真髄です。

 

これを習得するには、ちょっとした秘訣があります。

 

私は長年「般若身経」を一般の方やプロに教えていますが、やはり、指導する順番があるのです。

 

なお、操体を学んでいて、ご自身も「般若身経」を一般の方に指導する機会がある方に聞いたところ「感覚をききわけられないのが一番大変」だと言っていました。

 

実は、これが「ちょっとしたワナ」なんです。何がワナなのかというと、

 

この方は、身体能力がとても優れている方で、なおかつ感覚の聞き分けも抜群に良いのです。なので「感覚がききわけられない」ということが、多分「想定外」なのだと思います。

 

しかし、

 

般若身経の指導は、まず

型です。

 

操体を学ぶ過程では「感覚のききわけ」も大事ですが、それはプロセスの中にあります。

最初から「感覚がききわけられる人(とくに快)」は少ないとみていいです。

 

最初は、重心安定(手は小指、足は親指@母趾球)、重心移動(捻転する場合は、捻転する方の足の母趾球に重心が移動し、反対側の足のカカトは軽く浮くなど)を、足のみでしっかり形として覚えてもらいます。

 

手をつけると、皆さんほぼ100パーセント、手に意識が行くので、捻りすぎたり倒しすぎたりして、重心の移動があやふやになります。

 

手をつけるのは、足の「型」をしっかり覚えてからのほうが良いのです。

 

般若身経を指導すると、本などをしっかり読んでいて「きもちよさ」とか「感覚」という方もいらっしゃいますが、私の場合、最初は「感覚(痛いとか辛いとか、そういうのは別にして)のききわけ、快のききわけ」は、置いといてもらいます。

 

何故ならば「型」を覚える前に「感覚」とか「快をききわける」というのは、順番が逆だからです。

 

★実際に長年指導してきて、一番大変なのは、最初から「快」とか「感覚のききわけ」という「単語」のみが頭にインプットされていて、それにこだわって、執着すること。「快」後のお楽しみ、と言っているのに 今やりたい!と言っている場合です。

 

今は操体から離れていますが、一時フォーラムにもいらっしゃった元総合格闘家の方は、以前「やっとわかったんですよ」というので

「何がわかったの?」と聞いてみたところ

「自分が感じられることが、普通の人は感じられないことがわかった」と言うのです。

「般若身経とかやってると、全身が繋がるっていう感じがあるんですが、これを感じられない人がいることがわかった」というのです。

 

つまり「自分が感じることができるから、他の人もそうだと思っていたら、そうじゃなかった」という話です。

 

操体を勉強したいという人の中には、身体能力がものすごく優れている人が結構いるのですが、つまづきやすいのが、この点です。

身体能力の高い人達は、ここが通過点です。

 

自分が「ほら、こうやると、きもちいいでしょ?」とやってみせても、相手(クライアント)は「は?」ということもあるのです(私のクライアントから聞いた実話です)。

 

「自分ができることが、他者にもできるわけではない。特に相手は、症状疾患を抱えたり、トラブルを抱えたりしている」ことは忘れてはいけないのです。

 

般若身経初心者に、いきなり「きもちいいでしょ」とか(先方が言ってきた場合などは別ですが、相手が最初から「快」を求めていたりしたら要注意です)いうのは適切ではありません。

 

まず「型」です。

 

感覚云々はまず置いといて「型」を忠実に再現できるようになるのが先です。

そもそも、型ができていないのに、快適感覚のききわけもへったくれもないのです。

つま先とかかとは平行、とか、含胸抜背(背筋は軽く伸ばし、骨盤は反らせない)など、慣れないポジションをとるので、最初はきゅうくつなのは当然なのです。

 

いいですか。快適感覚のききわけは、まだですよ。

型ができてから。それを心得ておいてくださいね。

 

それも母趾球の重心移動から。足ができるようになったら、上肢の動きもつけていいでしょう。

 

「型」をやっている最中は「やりやすいか・やりにくいか」「どっちが動かしやすいか」というように「運動感覚差」や「ROM」でも構いません。

もう、この辺りは「第一分析」です。

 

この最初のステップで、色気?を出して「きもちよさ」とか入れちゃうので、話がややこしくなるのです(経験済み)。

 

そして、般若身経が上達したかどうかというのは、自分でも分かります。

鏡をみて実際にやってみて「美しく」見えれば上達しています。


この辺りまできて、充分型が練れてきたら「感覚のききわけ(それも快)」に行く、そんな感じです。

 

実は、我々もこうやって「型」や「完コピ」から入って、型ができたらその次、というように、学んできたのです。

 

最初から「きもちよさがバンバンききわけられる」とか「やれば必ずきもちよさが味わえる」ということは、まずありません。

 

しつこいようですが、きもちよさ、感覚のききわけは置いといて、まずは「型」です。

 

何事も最初は「型」。それは操体も同じです。

守破離」の「守」です。

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まずは「型」からね!

 

 

みんな一緒じゃなくてもいい。

その昔、私の本を読んだという方からお電話をいただいた(1999年のものなので、第1分析です。今見ると間違いもあったりしますが、それは私のサイトで修正しています)

三浦先生に師事する前の本ですね。

 

 

その方は、デイケアサービスっぽいところで、お年寄りにやってもらっているそうですが、なかなか良い手応えがあったそうです(そうなんです。第一分析でも手応えはあるんですよ。しかし、よりよい臨床のために、それ以上の分析診断法があるんです)。

 

その方が言うには「みんなで一緒に合わせてやるのが、なかなか大変でできません」とおっしゃるので(当時既に三浦先生に弟子入りしていた)私は、

 

「あ、みんな一緒に合わせてやらなくても、それぞれのペースでいいんですよ」

と伝えたところ、眼から鱗というか、

「ラジオ体操みたいなものは、みんなで揃って合わせてやらにゃあかん」と思っていたのだそうです。

(三浦先生が、フィットネス系やスタジオで不特定多数を口頭で指導する場合、それぞれのペースに合わせます。これ、操体の指導の中でもかなり難易度が高い指導法ですが)

 

 

 

「自力自療」の勘違い。

昨日、自力自療について書いてみましたが、もう少し掘り下げてみたいと思います。

以下は、私が講習で使う図です。

 

なお、下図には「自力自動」と書いてありますが、これは文字通り、自分で行うということで「自力自療」(自分の力で自らを癒す)とは、ニュアンスが少し違います。

 

操体、あるいは操体法をやりたい、という人は、大きく分けて3種類に分類できます。

1つは、自分のケアをしたい人(自力自動@自分で動いて行う)

2つめは、サークル、愛好会、フィットネスクラブなどでやりたい、指導したい人

3つめは、治療者、手技療法家として操体をやりたい人

 

図をみると、健康度の度合いが高ければ高いほど、操体は「自力自動」が可能です。

もう少し詳しく言うと、1と2は、比較的健康の度合いが高い人が多いのです。
サークルに来る人や、フィットネスクラブを利用する人は、まず、動けるでしょうし、日常的なトラブルは抱えているかもしれませんが「間に合っている」というからだの持ち主だと考えられます。

 

こういう方々には「未病医学」(健康な人が病気にならないための健康維持増進方法)としての操体法がとても役に立ちます。

 

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一方、三角形の一番上は、健康度の度合いが低い人達です(40以下)
自分では「自力自動(自分で動いてみて色々試す)」や、自力自療(の操体法)が、できない場合です。


例えば、寝違えたり、ぎっくり腰などの急性のものや、長びいている症状疾患や、慢性的なものなどがあります。

 

このような場合、自力自療が間に合っていない(自力自療ができるまで、健康の度合いが高くない)ので、我々のような専門家が、自力自療ができるレベルまで、健康の度合いを上げるサポートをするのです。

 

一方私自身が「う~ん」と思った経験があります。

あるセミナー(確かゴール○ジムでやった)に、脊椎狭窄症で動けないという方が、家人に支えられてやってきました。

 

ゴール○ジムですから、基本的に元気で動けるような人がメインです。

会場の後ろのほうで、辛そうに、横になってセミナーを聞いているのです。

 

この方は「操体法は、自分で治せるから」と思って来た、とのことでしたが、健康の度合いが「自分で治せる」レベルではありませんでした。

 

これが、もしも、例えば三浦先生の操体を定期的に受けるとか、操体のプロフェッショナルの操体施術を定期的に受けるなりして、自分でケアできるレベルまで回復したら、自力自動で操体を活かすことができたのでは、と思います。

 

このように「自力自療」ができるレベルではない方が「操体法は自分で治せる」という期待を持ってこられても、という話なのです。

 

ここで「操体」に対する期待が崩れるのも、我々プロにとっては辛いところですが、

「自分でできる」範囲と「自分でできない範囲」というがあることを、操体の指導者はクライアントにしっかり伝える必要があるのです。

 

そして、前にも書きました「操体で胆石は治せないの?」と聞かれて「へ?」と思ったことがありました。私の知りあいは「ふのり」で尿結石を溶かして排出したというすごい人がいましたが。

 

三浦先生に聞いてみたところ「胆石もどうにかなるんじゃない」とのことでしたが、

誤解してほしくないのは、これは「操体の専門家(操体臨床50年以上で、世界で一番操体臨床に詳しい人)が、

「発作時などはさておき、ある程度の時間をかけて、継続的に操体を受ければ、全身のバランスと軸の不正が正され、その結果胆石も改善するのでは」という話しです。

 

一般の人が、本を読んだりちょっと習って、胆石が治るとかそんな簡単な問題ではありません。

 

 

長くなりましたが、操体法には

「自分で対応できるエリア」

「プロに自分で対応できるまでフォローしてもらう必要があるエリア」

があるということです。

 

ちなみに、操体法創始者橋本敬三先生も「外科医と歯医者は必要だ」とおっしゃっていたそうです。

 

これも補足しておきますが、

操体法で骨は接げません(柔道接骨師とか外科医の仕事です)。

しかし、その後のリハビリや、免疫力(快の力です)のアップなど「からだ自身のもっているちからを、発動するお手伝い」というのは得意です。

 

なお、聞いた話ですが、末期のがんの方で、痛みがあるのですが、操体を受けている時だけは、痛みが薄れるということで、亡くなる少し前まで、操体を受けていた、という方や、ホスピスで足趾の操法をやっていた、という方もいらっしゃいました。

 

 

 

 

 

操体・操体法は何故それほどポピュラーではないか

ということを、真面目に考えてみました。

まず

 

  • 専門家が少ない

ということでしょう。つまり「ちょっと知ってる」とか「教えてもらった」という人や、学校でちょっと習ったという人(鍼灸学校のテキストにも載っている)は多いのですが、操体操体法を専門にやってる人が少ないのは事実です。

 

そしてそれは何故か。

 

今まで習ったことをクリアにしてリセットする必要があるからかもしれません。

後でも出てきますが「操体の常識は世間の非常識」なのです。

 

  • 自力自療と「自分でできる」を混同している

操体法の特徴に「自力自療」という言葉があります。

自力自療とは、

「健康な人が病気にならないための健康維持増進としてのセルフケア」と考えます。

あるいは、からだが自分で自分を治すちから、治癒力の発動です。

 

これがもし、「自力自療がかなわないくらい症状疾患を抱えている」という場合、自力自療が間に合わないのですから、自力自療できるくらいまで、プロが持って行ってあげなければなりません。

 

操体でセルフケアしたい」という方の中には「自力自療が間に合っていない」状況なのに(本当は、自力自療がかなうレベルまでの治療者の助けが必要)、自分でなんとかしようとしますが、何とかならない。

自分ではかなわないレベルなのに、それにトライして「やっぱりダメだ」とあきらめる方もいますが、我々操体のプロは、

「自力自療がかなうレベルのからだになるまで、お手伝いをして」

「その後は、健康維持増進のために、自力自療のセルフケアしてね」

「お肌の手入れ、自分でもできるけど、ある程度の年齢になったら、たまには、プロ(エステ、美容医療など)に任せてね」

というサイクルを考えています。

 

っていうか、自力自療がかなわないような症状疾患が、自分で簡単に治せたら、「操体法」というのは、全世界で超メジャーになっているはずです。よね??

 

そうではないのは

・自力自療がかなわないレベルの人が

・自分で治せる、自分でできる、という期待を持って操体に臨む(自分でやることに固執する)

・自力自療がかなわないのだから、なかなか効果が出ない

・あきらめる

ということになっているからでは、と考えています。

 

自力自療がかなわないレベルの症状疾患は、やはりはじめは「プロ」に任せ、自力自療が可能なレベルまで復活してから「自分でできる」ことにシフトするのが、本来です。

 

なので、我々のようなプロがいるわけですね

何度も書いていますが「操体は自力自療なんだから、プロはいらない」「生活の中で生かせるんだから、プロはいらない」という暴言を吐く人もいますが、自力自療以前の問題を扱っているのが、我々プロなのです。

 

  • 操体の常識は世間の非常識

これはよく感じることですが、操体の常識をいくつか挙げると

動きと感覚を区別している

左をやったら右も同じだけ、という左右同じという考えがない

症状疾患にとらわれない(○○疾患に効く操体法、という考え方がない。というのは、ボディの歪みと軸を正すことによって、二次的に症状疾患を解消することを目的としているから)

「からだ」「本人」「操者」という三位一体で臨床を行う(普通は「本人」と「治療者」の二対一)

 

などということを考えてみました。

 

この辺りを引き続き地道に広めていきたいと考えています。

 

「知る人ぞ知る」。いいですね。

 

 

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読書@スピリチュアル・カウンセラーとは。

 こちら、私もよく存知あげている、ミスカトニック先生の著書です。

 

私は何度もミスカトニック先生のセミナーとか参加したり、先生もフォーラムにいらっしゃったりと交流があります。

 

発売日に着いたので、読んでみました。

 

おお~。ここまで公開しちゃってくれましたか。

「対人」で何かやっている方(治療家も含む)は、読んで下さい。

大事なヒントが沢山載っています。

 

実際、どのようにして成功して豊かになったか、かなり具体的に書かれています。

 

これは結構お腹いっぱいになりますので、何度も何度も読んで反芻して勉強してください。さらさらっと読み流せない深い内容がこれでもか!これでもか!と、ミスカトニック先生の愛情?のように、行間から溢れています。

 

操体の臨床家の皆さんにも、役に立つはずです。何故なら、操体臨床家も「想」を相手にしているから。

 

これは、中堅どころの占い師にとっては非常に良い勉強になるでしょう。

中堅どころが、いままで「直感的にやってきた」ことを、ミスカトニック先生は、文章にしっかり落としてくれているのです。

 

カウンセラー。

 

ちなみに、日本では、アメリカとかほどカウンセラーに相談する、ということがポピュラーではありません。

「ルシファー」とか見ていても、ルシファー(悪魔)が、ドクター・リンダのカウンセリングを受けたりしています。何か心に悩みがあったら、カウンセラーに相談する、というのが、普通なのです。

 

日本の場合は「それって、カウンセラーに相談したら?」というようなことが、持ち込まれるのが「占い師」のところなのです。

 

 

ここにも書かれていますが、占い相談にくるクライアントは、「占い師」と「スピリチュアル・カウンセラー」を区別していないのです。

 

しかし、ミスカトニック先生は「占い」と「スピリチュアル・カウンセリング」をちゃんと分けています。

 

分けるとどうなるか。それぞれの役割が明確になり、それぞれの強みを活かすことができるのです。

 

スピリチュアル・カウンセラーが占いと違う所は、よりクライアントの「自己実現」に重点を置くことです。

 

占い師にとって、「それって、占いの範疇じゃないよね」ということは、多々あるのです。

日本の占い師は、占いの技法だけではなく、スピリチュアル・カウンセラーとしての手腕も求められているのです。

 

スピリチュアル・カウンセラーになって豊かに成功する教科書

スピリチュアル・カウンセラーになって豊かに成功する教科書

 

 

 

 

 

 

思いこみ。

操体の講習をやっていて、一年近く通っている方から、質問がありました。

 

「第1分析と連動って、どう関係あるんですか」という質問です。

 

かなり、マニアックな質問ですが、答えました。

 

まず、この方は「三浦先生の本を読んで色々やってみました」という方です。

しかし、私が

操体においてきもちよさは探すものではない」

操体においてきもちよさは求めるものではない」

操体において、きもちよさは比較対称するものではない」

という話を毎回しているのですが、なぜか、

「きもちよさを探す」と「どちらがきもちいいか」という話になります。

 

これはどうしたものだろう、と改めて聞いてみると

「実は佐藤武氏の操体法の本を読んだ」と言うのです。

 

大変残念ではありますが、これらの本には、

「きもちよさを探す」(さがしません)
「きもちよさを比較対称する」(比較対称しません)

「両方やってみて、楽な方ときもちいい方があったら、楽な方をやる」

操体の場合は、楽よりきもちよさを選択します)

「両手合掌で右回旋した場合、右足に体重が乗って、右に傾く」(本来は、両手合掌で右回旋した場合は、左足に体重が乗る側屈になります)

その他、連動に関しても「??」というところがかなりあります。

まだあるのですが、このように、操体の理念から外れたことが書いてあるのです。

 

特に「両手合掌して右回旋の場合」ですが、これは般若身経の側屈と同じです。

私がこれを指摘した際「いろんな先生がいて、いろんなやり方がある」という意見もありましたが、操体法の基本、側屈を間違えるというのは、原理原則をねじ曲げているということで、色んなやり方がある、というのは言い訳にもなりません。

 

残念ながら、ご本人が、逝去なさっている今、今更修正などはしないと聞いています。

 

この方は「きもちよさを探す」と「きもちよさを比較対称する」というのを、この本から得てしまったのです。

 

(三浦先生の本には「きもちよさを探す」「きもちよさを比較対称する」とは書かれていません)

 

 

この本が出たのは、20年位前のことです。長年操体の本を読んで頂いているのはありがたいのですが「きもちよさを探す」「きもちよさを比較対称する」という「迷走分析」が刷り込まれていたわけです。

 

私が毎回毎回「きもちよさは比較しません」「きもちよさは探しません」「きもちよさは、からだにききわけるもの(主語は、からだ)」と言っていたのですが、長年読み続け、アタマに叩き込んでいた「きもちよさを探す」「きもちよさを比較対称する」のほうが強いのかもしれません。

 

一方「第1分析と連動」です。

第一分析(橋本敬三先生時代)も「全身形態は連動する」という言葉はありました。しかし、それは

 

全運動系は中枢神経を介して連動装置になっている。体の一部分を、ある目的に向かって動かすと、全系が協力的に動く。手足の指趾を単独に動かすことも出来るが、動かぬようにおさえつけておいて動かせば、連接関節が次々と協調して動き、全系に拡がることは、実験すれば一目瞭然である。(からだの設計にミスはない P206)

 

これくらいの記載のみで、どこをどう動かせば、全身がどう動く、ということは確立されていませんでした。

 

ただし、皆さん経験的に、膝二分の一屈曲位で、膝を左右に倒すと、首は膝と反対のほうに倒れる、というのは知っていたようです。が、これくらいです。

 

実際に、三浦先生が、手関節、足関節からの連動のシステムを明確にしたのは、2003年のことです。

 

また、この時ですが、多くの操体関係者が何と言ったかというと

「患者の動きは色々あって、パターンはない」と言ったのです。

しかし、実際は、

 

本来、人間のからだは(歪みがなければ)自然な連動が起こる。

しかし、歪みがあるため、自然な連動は起こらない(歪みがなくなれば、連動は「自然な連動」に戻る)。

症状疾患をかかえた(ボディに歪みを抱えた)患者の動きが、自然な連動にはならず、

傍目には「患者の連動は色々ある」ように見えるのです。

操体法入門 足関節からのアプローチ

操体法入門 足関節からのアプローチ

  • 作者:三浦 寛
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本
 

 というわけで、久々に連動についてのレクチャーをしました。

たまにはいいものですね。

 

 

帯状疱疹体験

皆様

お久しぶりです。

実は、2月の後半に帯状疱疹になりまして、少し休養しておりました。

 

帯状疱疹は、子どもの頃水ぼうそうにかかると、そのウイルスが神経の根っこのあたりに静かに潜伏していて、40年位経つと、加齢やストレスなどにより、目覚めて暴れる(からだの片方だけに発疹が出る)という病気です。

 

また、コロナ禍でのストレスの増加もあり、増えているのだそうです。

40代以上がかかりやすいと言われていますが、最近は若い人の発症も増えているようなので「怪しい」と思ったら、すぐ病院へ行って下さいね。

早めに抗ウイルス薬を飲めば、帯状疱疹後神経痛になる確率は下がるそうです。

 

お陰様で、普段から自分の皮膚やからだの状態には気をつけていたので「皮膚のサワサワ感」と「何だか痛い発疹」で、早めに病院に行って薬を飲んだので、思ったよりは早く良くなりました。

 

最初にお伝えしておきますと

「皮膚のサワサワ感」とか「下着が当たって何だかピリピリするな」というのと、筋肉痛や打撲などの痛みとは違うような、皮膚感覚の異常を伴うものがあり、発疹が「からだの片方」に出たりしたら、迷わずに病院に行って下さい。

 

ちなみに、顔や眼に関わるところにでると、重くなると言われているので、顔に出たら即病院です。

 

私はかかりつけのクリニックに行ったのですが、先生から「良く気がついたねぇ」と言われました。年配の方などは、皮膚にトラブルがあったり、痛みを抱えていたりするので、気がつかず、初期の治療が遅れることがあるんだそうです。

 

治療法は、とにかく最初の1週間は、抗ウイルス薬を飲み続けること。私の場合、痛みがひどかったので、鎮痛剤も出してもらいました。

 

私の場合は、左臀部から左骨盤前部、左そけい部あたりに発疹が出て、それが水疱になって、瘡蓋になりました。

 

しかし、帯状疱疹で1番怖いのは、帯状疱疹後神経痛です。
よく、洋服が当たっても痛い、と言う話を聞きますが、あれは「帯状疱疹の時の痛み」ではなく「帯状疱疹後神経痛」のことなんですね。

 

また、やっかいなことに、帯状疱疹の痛みと、帯状疱疹後神経痛は、治療法も異なってくるんだそうです。

 

私の場合、発疹が出ていなかった左の側腹部や、左肋骨下、左大腿上部や左の膝辺りに、ピリピリ感がまだ残っています。


開業したばかりの頃、帯状疱疹で(今考えると、帯状疱疹後神経痛)、ワイシャツの下のアンダーシャツを着ても、皮膚が擦れて痛い、という方が見えたことを思い出しました。

 

当時やっていたのは「第一分析」でしたが、かなり痛みが減ったことを覚えています。

 

なお、私が帯状疱疹だと確信する前は、お腹の調子がおかしいのかな?とか(胃腸科に行って腹診とレントゲンを撮ったが異常なし)思いました。

 

また、この時も何だか痛かったので、鎮痛剤(イブ)を飲んだら痛みが消えたのですが、翌日は飲んでも効きませんでした(汗)。

 

丁度同門の弟弟子達と仕事をしていたので、足趾の操法をやってもらったのですが、その時「何だかいつもの足趾とは感覚が違う」と思ったのです。

あれは、上手い人がやると、脳天に突き抜けるようなきもちよさを味わうことができるのですが、何だか薄皮を被ったような感じでした。弟弟子達は、私が大事に育てた優秀者足趾の操法の操者ですし、やっていることはいつもと変わりません。

つまり「私の感覚が何だか妙」なことになっていたということです。何と言うか、皮膚と操者の指の間に、何か一枚はさまっているような感じでした。

 

その夜に、左臀部の「サワサワ感」と「下着がピリピリ」というのが強くなり、痛みに変わり、左臀部に赤い発疹が確認できたので「帯状疱疹だな」と。

 

夜は痛みを我慢して、翌朝行きつけのクリニックに行ったという次第です。