操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

取る取らないはテメエの勝手 by 橋本敬三先生

昔、何かの席で、操体界の先輩に「取る取らないはテメエの勝手」という話を(当然ながら、前提として橋本敬三先生の本は読んでいるという設定)したら、

 

「それって、ひどいんじゃない」というようなことを言われた(汗)。

 

私は、橋本敬三先生の「からだの設計にミスはない」の74ページの話をネタにしたんですが??

もしや、読んでないとか(大汗)??

 

ちなみに、タイトルの意味は「どんなに素晴らしいものであっても、やるやらないは、結局は自分が決める」ということです。

 

操体法がどんなに素晴らしいものであっても「すぐ元に戻ってもいいから今すぐ痛みを取りたい」というものが欲しければ、そちらを取るでしょう。

 

また「痛い」刺激に慣れたりしていると、「快(きもちのよさ)」も、刺激的なものをもとめます。刺激が欲しい人は、より強い刺激を求めるので(からだは、求めていなくても、アタマが欲するのです)、操体で言うところの「億の快」「生命現象としての快」を、1度では満足できないかもしれません。

 

以前「操体ってきもちよくて失神するんですか」とか「至上体験ですか」とか、

 

「いやいやそんなことはありません」的な事を言う方もいらっしゃいましたが、それはあまりにも「刺激的」です。

で、意識飛びと失神は違うしね。。

 

刺激的で刹那的なモノを求めるのも(法律に違反したり、人に迷惑をかけない範囲でお願いします)、その人の勝手というか、選択です。

 

 それはさておき、

世の中には、色々なやり方があります。

 

私の友人が、1週間前から調子が悪く、整形で「頸椎神経症」という診断を受けたそうです。薬(ロキソニンムコスタ@胃薬)を飲んでいるとのこと。

首が痛くて、その痛みが全身に広がっている様な感じだそうです。

 

そこで、ちょっと仰臥位になってもらい、膝窩ひかがみを触診すると、やはり、左の膝窩に飛び上がるような圧痛硬結があります。

 

ここは、D1’(ディーワン・ダッシュ)を用いて、動診操法をとおしてみましたが、こちらの圧痛硬結は、解消。

 

操体あるあるですが(そもそもこの方は、私が操体のプロだということをあんまりしりません)、

「あれ?全然痛くない??」

 

その後、足趾の操法®を軽く(秘技満載笑)

 

きもちよくて、途中意識が飛んでいたそうです。

 

終わった後は、全身が緩んで、首の可動域が広がりました。

 

これも「操体あるある」ですが

「なんで首に触ってないのに、首が楽になるの???」という感じでした。

 

 

蓮とお盆の営業

こんにちは。畠山です。

 

お盆の期間も普通に営業しております。

TEI-ZAN操体医科学研究所 Sotai Practitioner TEI-ZAN

 

この前ブログを書いてから、結構日が経ってしまいました。

 

操体マンダラが終わってから、しばらくの間「蓮の撮影」にはまっておりまして、カメラを担いで駒場生研にある池や、不忍池、朝4時に起きて、横浜の三渓園に行ったりと、朝活をしておりました。

 

私は小学生時代を千葉市で過ごしたのですが、小三まで稲毛付近、その後は幕張あたりでした。千葉市の小学生が遠足に行くのは「園生貝塚」とか、検見川の東大グラウンドなのですが、子供の頃「大賀博士と古代の蓮」というような記事を読みました。

 

戦後、大賀博士という蓮の専門家が、千葉市の検見川の東大グラウンド(大昔、そこは船のたまり場だったそうです)で、発掘調査をしました。

元々は、花見川下に石炭が豊富だったようなので、戦時中から燃料調査をしていたようですが、その時、丸木舟と蓮のタネ三粒が見つかったんだそうです。

そのうち一つが翌年開花し、調べたところ、2000年前のものだということが判明したという話で、大賀博士(メガネの先生)が、蓮の花を育てるために奮闘する話でした。

 

ja.wikipedia.org

 

 

www.chibacity-ta.or.jp

 

というわけで、蓮を撮りまくっていたのです。

仕事の合間に蓮を撮っていたので、なかなかブログを書いている暇がなかったという次第です。。。

 

なお、三渓園で撮った写真を、TEI-ZANのトップページスライドに貼りました。

是非ご覧下さいね。

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三渓園の蓮。

 

www.teizan.com

TEI-ZAN操体医科学研究所 Sotai Practitioner TEI-ZAN

毎日来なさい、とは言いません(操体@第二分析以降は「長持ち」します)

暑くなりましたね。

私は暑いのが少し苦手なので、今年は「清暑益気湯」(いつもは「補中益気湯」を飲んでます)を処方してもらいました。空咳も少し出る(冷房のせいでしょう)ので「麦門冬湯」も。

日々の養生だけでは間に合わない場合は、漢方のお世話にもなります。

 

こんなお問い合わせがありました。

「首を寝違えて、一ヶ月近く、近くの整体院に一日おきに通っているのですが、なかなか治らないので、他の施術を受けていいかと聞いたら、受けていた整体に体が慣れているから、10日くらい間をあけてください、と言われました。操体をなるべく早く受けたいのですが、10日間をあけたほうがいいですか」

 

う〜ん。

そもそも「近所の整体院」と「操体専門」のところでは、スタンスが違います。

「近所の整体院」は、近所にあって、思い立ったらすぐ行けますよね。


しかし、どこもそうだと思いますが「操体専門」のところは、大抵「一人」でやっていますし、ベッドをいくつも置いて、何人もの施術者が、なんていうわけにはいきません。従って、私の知っている操体専門施設は、完全予約制ばかりです。

 

これは操体のデメリットでもありますが、一人一人じっくり診せていただくので、効率や回転率はよくありません(受けるほうにとっては、メリットだと思います。一人一人に寄り添った、丁寧な臨床を受けられるからです)。

 

当研究所(TEI-ZAN操体医科学研究所)もそうですし、私の師匠、三浦先生のところもそうですが、近所の方は殆ど来ません。
いらしゃるのは「操体を受けたい方」なんです。

 

★ぎっくり腰とか、寝違えとか、あるいは遠方から泊まりで東京に来ており、集中的に受けたいという方はいらっしゃいます。


殆どは、一度受けて頂いたら、超早くて翌週、普通は2週間後、その後はメンテナンスに月イチという感じです。

 

何故そんなに間をあけていいの?と聞かれます。

 

それは、他力的外力で無理矢理矯正しているのではないからです。

他力的に矯正するものは、確かに早く結果(矯正結果)が出ます。

しかし、他力的に無理矢理やっているので、戻るのも早いのです。

 

操体は、よく例えに出しますが、イソップ童話の『北風と太陽』の太陽のようなアプローチだと思って下さい。

 

旅人から外的他力的に強風で上着を吹っ飛ばすのが、北風です(北風が全部わるいわけではありません。必要なこともあります)。

一方、温かい光を旅人に浴びせ、自ら上着を脱がせるのが、太陽です。

(我々も、緊急事態には北風を吹かせますけど、普段はやりません)

 

風に飛ばされた上着は、また着込まれますが、温かくて脱いだ上着は、また寒くなるまで(長持ち。そうです。長持ちするんです)着ません。

 

つまり、他力的外力的なアプローチではないので、すぐ戻ったりしにくいのです。

 

>受けていた整体に体が慣れているから、10日くらい間をあけてください

 

というのは、私の推測ですが、被験者のからだをかなり痛めつけている、つまり、筋骨格系レベルで相当いじっている(炎症を起こさせているとか)ので、それがおさまるまで10日くらい間をあけてください、ということなのかもしれません。

 

また、我々(操体法東京研究会操体を学んだ者)は、痛いところや気になるところには、あまり触れません。

「遠いところから、アプローチ」します。

例えば骨折後や怪我したところは触れられませんが、我々は別の方面からアプローチを試みます。

 

結論を言えば「10日開けなくても大丈夫」です。

痛いところには触れないからです。

 

妙な話ですが、怪我なども早く回復します。

この辺りは、操体法東京研究会のメンバーが、カラダを張って実証しています。

 

東京大学 宮崎徹教授による猫の腎臓病治療薬に関する研究について

数日前からネットでも話題になっていますが、愛猫家として、また、東大にちょこっと籍を置いているものとして、改めてシェアしたいと思います。

 

猫の腎臓病の薬、愛猫家の悲願です。時間はまだまだかかると思いますが、研究が再開し、少しでも早く薬ができることを応援したいと思います。

 

最初に、寄付はこちらから。少額でも大丈夫です。クレジットカードでも、ペイジーでもATMのペイジーでも、コンビニ決済でも銀行振込でもできます。

 

★私も少しばかり寄付しました。

 

payment.utf.u-tokyo.ac.jp

★寄付目的「宮崎徹教授の猫の腎臓病治療薬研究」設定されていることをご確認ください。

 

www.jiji.com

 

私自身は、東大の「淡青」(東大の広報誌)の「猫と東大」という2018年のもので、宮﨑先生の研究は知っていましたが、何せ畑が違うもので「早く猫の腎臓病の薬ができるといいなあ」と思っていました。

www.u-tokyo.ac.jp

 

そこで、7月11日のジジ.comニュースです。

コロナ禍で企業からの研究費が減り(私が所属しているところもコロナ禍で研究費が大幅削減になりました)、研究が一旦止まっているということ。

 

その後、五日間で7千万円、昨日私がニュースで見たところ、一億円を超えていました。

 

猫の腎臓病の薬、というのは、日本の愛猫家、いえ、世界の愛猫家の悲願でもあります。

これができると、猫の寿命は30歳まで延びるそうですが、そうなったら、今度は高齢猫が増えるという問題も起こりますが、それは今から想定できること。

長い目で応援したいと思います。

 

www.u-tokyo.ac.jp

 

そしてこちらは宮﨑教授からのコメントです。

今まで、一般の方には寄付を募っていらっしゃらなかったそうです。時間がかかるとか、色々な理由があったそうですが、この記事に詳細が載っていますので、是非ご一読を。

 

呼吸について。

私がからだと呼吸について真面目に考えたのは、12歳の時でした。

(内藤景代先生のヨガの本「こんにちわ、私のヨガ」)

内藤先生は、橋本敬三先生とも交流があった、沖正弘先生にも師事しておられ、沖先生が朝カルで講座を持っていた時、カバン持ちをされたそうです。そういえば私も三浦先生が朝カルで講座をやったときはカバン持ちをしましたっけ。

 

最近のヨガは色々あるみたいでよくわかりませんが、私が記憶しているのは、息を吐きながら動くポーズ(静止)が多かったということです。

イメージ的には、吐きながら動くと可動域が広がるとか、邪気的なものが出るみたいな感じです。

また「万病を治せる妙療法」に「ハラのすわった男になるために」のような、寝る前などに行う腹式呼吸が書かれています。ヨガっぽいですね。

橋本敬三先生の著書にも、赤門(鍼灸柔整)で教えていた時に、学生が持ってきた沖先生の「ヨガの楽園」が出てきて「沖先生のハードヨガで、自分のはソフトヨガ」的なこともおっしゃっています。

 

操体で息を吐きながらというのは、ほぼ沖先生の影響なんだろうなと思います。

ちなみに、ヨガで「息を吸う」というのがあまりないのは(あっても鼻から糸のように吸うとかそんな感じです)、ヨガ発祥のインドが、暑くて乾燥していて、息を思い切り吸ったら、呼吸器を痛めるからでしょう。

 

それはさておき、三浦先生の本にも書いてありますが、例えばぎっくり腰で痛みがある場合などに操体で「腹式深呼吸をさせながら動きをとらせる」というのは、酷です。

だって、痛いんですよ。痛い時って、お分かりだと思いますが、深い呼吸なんてやってられないのが本当のところです。

 

★ギックリ腰や寝違えで「あたたた」と言ってる人に「きもちよく動いて~」なんて癒えませんよね。そもそも怒られちゃいますよ。

 

こっちは痛いんだぞ~って(きもちよくなんて言ってる場合じゃないだろ)!

 

(言葉は、クライアントの状態によって使い分けます。ギックリ腰の方には、もっと寄り添った言い方をします。もし、第二分析を行うなら「この動きに、きもちのよさがききわけられますか?からだにききわけて、おしえてください」という「からだ」を主語にした問いかけを行います)

 

なので再度言いますが「すきなようにきもちよく動いて~」なんて指導している人は、実際にどこか悪い人とか痛めた方を診ているわけではなく、多分おそらくメイビーパハップス、健康体操とか健康維持増進のための養生をやっているのです。これは、操体の臨床とはかなり違います。

 

元気で健康で動ける人が、健康維持増進のために操体をセルフケアでやるのであれば、それでも構いませんが、

 

橋本敬三先生ご自身が、90歳の時に「呼吸は自然呼吸でいい」「呼吸を意識しすぎると感覚のききわけができなくなる」とおっしゃっています。

 

なので、我々は「自然呼吸」をメインにずっとやってきました。

 

しかし、しかしですよ、今の人間のからだは、自然呼吸でも間に合わなくなってきているんです。

 

ちょっと前までは「からだがつけてくる呼吸に合わせる」で良かったのですが、ここ数年は、からだと心のストレスが大きい(マスク生活もあると思いますが)ので、なんだか間に合わなくなってきたのです。

 

特に、コロナ禍に入ってから、人々の「呼吸」が変わってきました。

 

操体の歴史を見ても「楽か辛いかの二者択一(第一分析)」では間に合わなくなってきた(環境と人間の生活とからだが変わった。つまり、昭和40年代から50年代の農村などで通用したものが通用しなくなった)→ 「一つ一つの動きに、快適感覚の有無をといかける(第二分析)」(でも、パーキンソンとか動けない人はどうするの?動けない人に対して、操体は何もできないの??)→ 「橋本敬三先生は、皮膚も運動系に入れている。皮膚も8方向に動くじゃん!(第三分析@渦状波)」→ 触れなくても診断分析を通せる方法はないか(第四分析@息診息法)→ 今までの操体の常識を覆す(第五分析)と、進んできているわけです。

 

私の場合ですが、自然呼吸と、第五分析の呼吸を使い分けています。

 

臨床を行う場合は、柔軟な姿勢が必要です。

これじゃなきゃダメだという決めつけを外さなければならない時があります。

 

 

へえ。。

ある調査によると、サブスク動画配信サービスが、去年に比べて58%の伸びなんだそうです。

そういえば私も、Disney+とNetflixと、Amazonプライム入ってます。

あれ、コマーシャルが入らないのもいいですね。

 

 

来週は、毎年海の日に開催している「操体マンダラ」がありますので、zoomホスト担当&事務局の私は準備にかかっています。

 

これは「三浦先生が、一年の集大成を発表する」「弟子が師匠孝行をする」イベントなのですが、ゲストの方も濃ゆい方が多く、毎回「知的好奇心を満たす」また「アートと操体の接点を考える」ような、濃厚な一日になります。

今年も去年に引き続き、会場とオンラインでの開催です。

 

さて

 

「イサキ」という操体関係の小冊子があり、私も購読しています。

 

こちらは『万病を治せる妙療法』、つまりは第一分析時代の操体法をメインに指導普及をしています。

一般に広めるという視点では、大事なことだと思います。

 

逆に言えば「第二分析以降」は対照ではありませんし、第五分析の手法などは、ただでさえ「操体の常識は世間の非常識」なのに、さらに操体の常識よりも非常識」になっているので、全く別枠だと考えて頂いたほうがよさそうです(しかし、現代の、21世紀に生きる人間の生活様式などにも対応しているので、臨床的には非常に納得できるものになっています)。

 

しかし、目線とか、「連動のしくみ」とか「楽ときもちのよさはちがう」とか、皮膚とか、その昔は「三浦先生は何言ってるんですか~」と、コンサバな方々に言われていたことが、数年後には「操体界の常識」になぜかなっている、という歴史的事実を見据えると、あと10年くらいしたら、多分「操体の常識」になるんだろうなと思います。

 

それはさておき、こちらの最新号を読んでいたら、

見たことのある名前がありました。

 

その昔(2012年くらい)、操体法東京研究会で(私も足趾の操法とか指導したし、渦状波とか第二分析も指導した)操体を習っていたのですが、破門(確たる理由があり、私もその場に居合わせました)された方が、外国の方のインタビュー記事を寄稿していました。

 

世渡りが上手い人っているよね(苦笑苦笑苦笑)と思いました。

 

 

ま、いいけど。

 

ちなみにこの時期(多分星回りもあったのでしょう)、不思議なことに、この方を中心に、破門出奔が続きました。

また、不思議なのは、その時の「破門出奔」者達は、ほぼ「同じエリア」の人でしたね。

で、もっと不思議だったのは、この方が破門された原因を作った方(本来ならば、自分が破門になった原因を作った人とは相対すると思うんですが)と、その後、破門された同士、仲良くつるんでいるというのも不思議でした。

 

ま、いいけど。

 

まあ、とりとめもありませんが。。。

 

 

 

おまけ。

最近見た映画を記録しておきます。

HOKUSAI

wwws.warnerbros.co.jp

るろ剣」は、The Final も The Biginning も、観ました。

www.peterrabbit-movie.jp

パディントンといい、ピーターラビットといい、英国産のもふもふ系の映画は「英国的ジョーク」が効いているのです。

marvel.disney.co.jp

そして『Disney+』に入っていますが、これはやっぱりIMAXで観たい!ということで、IMAXレーザーで観てきました。

スカヨハは勿論、以前から「この若手いいよね」と目を付けていた、フローレンス・ピューが妹役で登場、姉妹でタッグを組んで殺したはずの宿敵に挑みます。

これを最後に、ブラック・ウィドウはマーベル映画には登場しないという噂ですが(残念)妹エレーナ(フローレンス・ピュー)は、次作「ホークアイ」に出るそうです。って、エンディングにヴァレンチーナ(ヴァル)と、ホークアイの写真が出てくるし・・。

あ、すいません。アベンジャーズ好きなんです。

 

 

 

 

「きもちのよさ」でジャッジしないこと

操体法の指導をしていると、たまに

「ちょっとしかきもちよくない」という言い方をする人がいます。

 

ちょっとしか、というのは、快適感覚が多いからいい、少ないから悪いとか、きもちのよさがあるのが○で、ないのは×であるという解釈の仕方です。

 

しかし、操体ではそういうふうには考えません。

 

実は「快」という言葉に囚われてしまうと

「ちょっとしかきもちよくない」発言が聞かれることがあります。

 

下記の図をみてください。

 

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この図をみると「楽な方にきもちよく」という指導は適当ではない(楽と快を混同している)ことがわかります。



快と不快と楽でなんともない、というものを図示したものです。

昔の操体(第一分析時代)は、楽と不快という二元論で成り立っていました。
第二分析、つまり「快を問いかける」という段になってきますが、未だに「楽と快」を一緒に混同している操体実践者は数多く見られます。

 

快・不快の法則というのは、ボディに歪みがある場合、動診などを行って感覚分析を行うと「快か不快を感じる」のです。つまり、どこかにアンバランスがあるからです。

凝った肩を揉んで貰うときもちいいのもそうですし、動かして痛い(不快)なのは、実は「アンバランスであり、動かしてみたり感覚分析を行うと、快か不快を感じる」のです。

 

一方、バランスがとれていて「楽でなんともない」というところもあります。

このエリアは、ニュートラルな状態なので、快・不快はありません。

なので、楽でスムースなのに、きもちいいですか、と聞かれてもわからないのです。

 

ここまで読んでいただければお分かりかと思いますが

「少ししかきもちよくない」というのは「きもちよさが沢山あったほうがいい」という損得勘定です。

確かに質の高い快適感覚を味わうのが、第2分析以降ですが、きもちのよさの多い少ない(これは、被験者自身の損得勘定です)ではなく「からだが、その快適感覚を味わいたいと言う要求があるかどうか」で判断します。

 

「アナタ」ではなく「からだ」です。

ここを理解しないと「ちょっとしかきもちよくない」ということになるのです。

 

また、先日セルフケアをやっている方から「動かしてみて、刺激(きもちよさが)がその部分にたくさんあったほうが治るんですか」と聞かれましたが、それは、ノーです。

 

操体はストレッチではありません。

ストレッチやヨガ的なものなら「背中のストレッチ」とか、脇腹のストレッチ、というように、ある特定の箇所を伸ばしたり刺激を与えたりしますが、操体は、ストレッチでも刺激でもありません。

 

敢えていえば、緩やかな連動が全身に行き渡り、柔らかいテンションがかかる、と言った具合でしょうか。

 

「オレをホワホワさせんじゃねぇ!」(byいのすけ)みたいな(笑)

 

よく聞くのは、温泉に入った後みたい、とか、ぐっすり寝た後みたい(個人差あり)とか。

 

なんともないのは「バランスがとれている」のです。

 

「楽でなんともない」というのも、あるのです。

かといって、楽でなんともないのに「きもちいいですか」と聞かれてもわからないのです(これは操者に問題があります)。

 

また「動かせば必ずきもちよさがある」という勘違いをしていることも多々あります。

 

「楽で何とも無く、ニュートラル」というエリアもあるので、動けば必ずきもちのよさを聞き分けられるということはありません。また、この場合、操者の介助補助や、言葉の誘導が甘いか、または「快・不快の法則」などを理解していないか、そもそも楽と快の違いがわかっておらず、言葉の上だけで「きもちよさ」を使っている場合が殆どです。

 

大昔(大昔の話ばかりですいません)、三浦先生の講習で、私を嫌っていた三浦先生の大ファンのおばちゃまがいたんですが(結構いじめられました笑)、この方と組んで練習した時、その人が

「あんたにやってもらってもちっともきもちよくないわ!」と、私に吐き捨てるように言ったことがあります。その人にとっては、それが私に対する最高の反発だったんだと思います(私は別に平気でしたけど)。

 

私はその時「あ、この人は、きもちよさの多い少ない、あるなしで操体を理解しているんだな(ちゃんと理解してないんだ)」と思いました。

そして「快でジャッジすると道をあやまることがある」と気がついたのです。

 

きもちのよさを聞き分けられて、それが質が高くて、それを味わうことができればベストですが、バランスがとれていれば、楽でなんともないこともあるんです。

 

また「きもちよけりゃなんでもいい」という極端なことを言う人もいますが、それもちょっとちがいます。

 

操体で言う「快」とは、「動診あるいは分析」の中において、からだがききわける「快適感覚」のこと。世の中の森羅万象の「快」のことではありません。

こうなってくると「快はなんでも操体だ」とか言う怪しい人も出てきますので、そうではないことを書いておきます。

 

補足:

なぜ「ジャッジしないのか」というと、本来は「快適感覚があるかどうかをからだにききわける」というプロセス(これは客観的な姿勢です)が、「あるといい。ないと悪い」という、判断・判定にすり替わってしまうのは、避けたいからです。

 

これを書いていると、

  • 被験者がきもちよさを味わってくれないとか、感覚のききわけができないとがっかりしてしまう
  • タロットで逆位置(リバース)がでるとがっかりしてしまう
  • 易で良くない卦がでるとがっかりしてしまう

 といった「がっかりした」話を思い出しますが、世の中、そんなに単純ではありませんし、この3つの「がっかり」には「感情」が含まれています。

 

操体の臨床家には「客観的にみること」が要求されます。

  • きもちよさを味わうことができない(と、客観的にみる)
  • リバースが悪いのではない(客観的にみる)
  • 易は変化するものであり、四大難卦にせよ、変化する(と、客観的にみる)

よく言うのですが

「股関節が曲がらないから、股関節が悪い」のではありません。
「股関節の可動域が少ない」と、客観的に見るのが、操体の臨床家です。