操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

2022年11月(施術+ベーシック講習)予定

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

はやいもので、11月になりました。

 

11月の「施術+ベーシック」受付可能日です。

予定 | 操体法 TEI-ZAN操体医科学研究所

★2022年11月1日現在

★印は追加

11月1日(火)
11月4日(金)午後のみ

11月8日(火)
11月10日(木)
11月11日(金)
11月12日(土)午前開始のみ★

11月15日(火)
11月18日(金)

11月22日(火)
11月24日(木)
11月25日(金)
11月26日(土)★

11月29日(火)

 

数年前まで「ほぼ日手帳」を使っていたのですが、もう少し自由に手帳を使いたいなと思い「バレットジャーナル」を実践しています。

 

コツですが、最初は「どんなノートにするか」で悩む(絶対悩みます笑)ので、100均で売っているようなノートでやってみることをお勧めします。

「なるほど」と思ったら、高いノートを悩んで買って下さい。

 

私が便利だなと思うのは

・ペンホルダーがついている(便利)

・しおりひもが二本ついている(二本のほうが便利)

この二点です。あと、「これいいな」と思って買ったら、紙の質がイマイチで、書きづらく、やめたこともありました。

12色のペンがついてたり、ステンシルがついているのもありました。

 

実は今日から新しいノートを使います

いつも使っているノート、何故かお値段は2000円なのに、送料が7000円かかる(ナゾ)らしいので、断念。代わりにロディアのゴールブック、色は紫にしました。

 

 

 

 


 

 

自分で行う操体と、他者に行う操体は、難易度が全く違う。

昨日は「塾SOTAI」でした。

色々な話題が出ましたが、

操体って、セルフケアできるから、操体を他者に行う(臨床)も簡単じゃない、って、ナメてる人多いよね」と言う話になりました。

 

橋本敬三先生も、患者さんには「簡単ダヨ」とおっしゃっていましたが、弟子には「こんな大変なことによく足を突っ込んだなあ」とおっしゃっていたそうです。(一生愉しめるからな、と加えたとか)。

 

操体

1.自分でやるのは、やり方が間違っていがいなければ、自分でできます

2.他者に行う場合は、相手の「感覚」分野に介入するので、自分でやるとはくらべものにならないくらい、「操体指導者としての勉強」が必要になります。

 

本人にしかわからない「感覚」の分野に介入するということは、想像以上に勉強が必要です。

 

「一か月で整体をマスター」とか、短期間で学べるとうたっているのは、やり方しか教えないから。

 

しかし、他の手技療法で一万時間くらいキャリアが有れば別ですが、やり方を習っただけでは使えません。

 

 

膝の痛みを若い頃から操体の考え方で予防する方法

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

www.teizan.com

 

先程、靴を履き替えたところ、何だかひんやり??

足の裏を見ると、やってました。靴下に穴ぼこがあいてました。

 

自分で「やったね」とほめてあげたいのは「母趾球」のところに穴があいていたということ。つまり、母趾球をよく使ってたということです。

 

なお「靴下の穴」で思い出しましたが、仙台の方に聞いてみると(私は4人くらいに聞いた)「穴のあいた靴下」を「おはよう靴下」というんだそうです。

足の指が「おはよう!」って顔出すから??

 

母趾球は、操体においては、非常に大切なポイントです。

からだに軸を立てる時に必要だからです(この辺りは、第五分析の話になります)。

 

橋本敬三先生の本に「足心」という記載があります。「万病」の134ページに「つちふまずの前のほう、親指の付け根のちょっと内側のへこむところ」と書いてあります。

「足心」をつちふまずと書いてあるものもありますが、我々は橋本先生の説に従うことにしましょう。

 

そして、ここで示している場所は、母趾球のキワであるとも言えます。

つまり、橋本敬三先生がおっしゃっているのは、もろつちふまずではなく、もう少し前方の、母趾球のキワあたりになります。

これは、ほぼ母趾球と言っても良いでしょう。

 

操体で言うところの「手は小指、足は親指を運動力点作用点にする」という「足は親指」の「親指」っていうのは、もろ親指というよりは、↑このポイントだと言って良いでしょう。

 

図で1の縁のキワあたり。

 

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某武術などは、母趾球を細かくいくつものエリアに分けて、そこで体をあやつるそうです。

 

さて、長くなりましたが、

O脚の方の足を観察します。

よく、O脚は股関節がどうのこうの、とか言いますが、その前に、立って頂いて、体重が足底のどこにかかるか、ということをチェックすると、間違いなく足底の小指側です。

 

私がよくクライアントに説明する際に使う話がありますので、聞いて下さいね。

 

  1. 人間の手って、肩から肘までは一本の骨で、肘から下、手首までは橈骨と尺骨という二本の骨になっています
  2. 本来「手は小指」というように、手は小指側を運動力点作用点として使うのですが、親指をメインに使ってしまうと、橈骨と尺骨がいわゆる「ねじれ」をおこします。
  3. そのねじれが、テニス肘の原因になります
  4. 足も同じで、股関節から膝までは骨が一本で、膝から下は、脛骨と腓骨という二本の骨になっていて、足首に繋がっています。
  5. 足も「足は親指」というように、親指(正確には母趾球)を運動力点作用点とすべきですが、小指側を運動力点作用点にすると、脛骨と腓骨が「ねじれ」をおこし、それが膝の痛みに繋がってきます

つまり、手は小指側側(こゆびそくがわ)、足は母趾球側を運動力点作用点にしないと、そこに連なる二本の骨(手なら尺骨と橈骨、足なら脛骨と腓骨)が、いわゆるねじれ現象を起こすので、テニス肘や膝の痛みが起こるというわけです。

 

私もテニスエルボーの方はかなり診ましたが、ラケットを持つときに、ついつい親指で力んでしまうという共通点はかなりありました。

腱鞘炎などでも、例えば美容師さんの腱鞘炎などは、ハサミを親指でぎゅっと握る癖があったとか、そういうことが多いです。

 

操体というのは「からだの使い方、動かし方を知ることによって、疲れにくく、故障しにくく、運動効率がよく、なおかつ動作が美しいことを目指す」という一面もあるのです。単なる治療法ではないんですよ。元は「未病医学」ですから。。

 

 

以前、ある女性三人(親と姉妹)の立ち姿を見て「おおっ」と思ったことがあります。

親子で姉妹なので、体型が似ているのは勿論なんですが、三人ともぺたんこの靴を履いているのですが、三人ともつま先が外側を向いている(90度くらい)のです。

そして、傍目にみても、体重は小指側に乗っているのです。

 

★ヒールが低いとか、スニーカーであっても、つま先が開いていて、足底の小指側に体重がかかっていると、膝に来ます。

 

これは、今から気をつけないと、中年以降に膝に問題が起こります。

パンプスを履いて、ゴリラっぽくなってしまう時も、ほぼ100パーセント小指側に体重がかかっています。

 

足の小指側に体重がかかるのをどうやって阻止、修正すれば良いか。

それは、操体法で調整すれば、自然と整ってきます。

 

★セルフメンテナンスもできます。

そんな操体のセルフケアについて、秋の東京操体フォーラムで、実行委員全員が語ります。

 

www.tokyo-sotai.com

 

2022年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

 

全身のバランスを整えることによって、部分のバランスも整うのです。

膝だけを狙ったり、股関節だけを狙ったり、足首だけを狙ったりはしません。

 

 

第38回全国操体バランス運動研究会(zoom参加)

昨日はzoomで「第38回全国操体バランス運動研究会」に参加しました。

 

シンポジウム『操体法における「脱力」の捉え方』というプログラムあり、パネリストの先生方が、色々発表していましたが、奈良の北村先生が「小学生男児に立位で瞬間急速脱力させたら、全身の力を抜いて床に倒れてしまった」というような話をされていました。

 

私もそれはそうだなと思ったので、以前(新潟大会で、新潟の皆さんがやっていた)般若身経を、瞬間脱力でやっており、後屈時に瞬間脱力をしていたのを見て、危険だなと思ったことをチャットでコメントしました。

 

なお、第一分析(対になった動きを比較対照し、楽な方に動かして瞬間急速脱力)であれば、瞬間脱力でもよいかもしれませんが、第二分析(一つ一つの動きに快適感覚を聞き分け、味わう。動診では比較対照しない)では、瞬間的には抜けません。

 

というのは、「きもちよさ」を味わっている時は、瞬間的には脱力できない(すんごくキモチよさを味わっている時に、瞬間的に抜けませんよね)んです。

 

さてここで補足です。橋本敬三先生は「きもちいいほうに動かして」とはおっしゃっていますが、「比較対照する」とは言ってないんです。

 

・楽な動き(二つの動きを楽か辛いか、スムースかひっかかるかなどで比較対照し、楽な方、スムースな方を選択する場合、第一分析)は、瞬間的に抜いてもいいんですが「楽な動き」は、何度やっても「快」にはなりません。

★なので「楽と快は違う」ってクチを酸っぱくして言ってるわけです。

★「楽な方に気持ちよく」っていうのがダメなのは、こういう理由です。何度も言いますが、他の治療法や健康体操や養生法ならば「楽な方にきもちよく動く(整える)」って言ってもいいですが、「操体」「操体法」としてやるのであれば、それはペケです。

操体操体法をやっているとうたうのであれば、ちゃんと患者様を診ているとか、操体で臨床をやってるのであれば「楽(動き)」と「快(的感覚)」は、区別し、楽を通すなら、第一分析のやり方、快を通すのであれば第二分析のやり方(この二つは全く違います)をやる必要があります。

何故でしょう。この二つを曖昧にして

×「楽な方にきもちよく動いて」(楽な方がキモチイイとは限らない。むしろ楽でなんともない方が多い。快は比較してもわかりにくい。快は相対的ではなく絶対値ではかるほうがわかりやすいのです。また可動域が大きいのが快だとも限りません。これは操者の決めつけになってしまいます)

×「どちらがきもちいいですか」

 

というと、被験者(患者様)が迷ってしまい「わからない」ということになり「私には操体を受ける才能がないのか」など、ネガティブな気持ちを誘発してしまうからです。

 

○「どちらが楽ですか、つらいですか」(第一分析)

○「これ(一つ一つの動き)に、きもちのよさがききわけられますか?からだにききわけて、教えてください」(第二分析)

 

橋本敬三先生ご自身も「万病を治せる妙療法」の時代は、確かに「楽と快の違い」が明確にはなっていないような感じがありますが、82歳の時には三浦先生に、90歳、卒寿の祝いの席では弟子達に「楽と快は違う」呼吸は自然呼吸でいい(呼吸に意識を置きすぎると、感覚がおろそかになるから)」とおっしゃっています。

 

創始者が言ってるんだから「楽と快は違う」っていうことを、もうちょっと真面目に考えて欲しいですね(操体をやっていて、まだ曖昧にやってる人)。

 

×操体を長年やってる人でもありがちなパターンが

操者「どちらがきもちいいですか」

患者「う〜ん。わかりません」

操者「それじゃ、きもちよさを探して〜(色々動いてみて)」

(この場合、探してもわからないか、痛くなくてなところはわかる。きもちいいところは見つかりません)

患者「う〜ん。わかりません」

臨床玉砕。

 

また、私が聞いた話ですが、センセイがしつこく聞いてくるので、面倒くさいので「こっちです」と、適当に答えたという人も。

 

操者:患者さんがきもちいいって言ってくれない、動いてくれない(こう言う場合、大抵「操体のせい」にする)

操体のカミサマ:それは操体が悪いんじゃなくて、オマエの指導の仕方が悪いんじゃ〜!

 

となります。

 

話を戻しましょう。

 

その後は、加藤平八郎先生の講義でした。橋本敬三先生とは、会津中学(旧制中学。現高校)の大先輩と後輩の関係である加藤先生は、会津中学(高校)の同窓会にお供したことがあるそうですが、その時のエピソードなども伺うことができました。

 

私は三浦先生と一緒にzoomで参加していたのですが、三浦先生によると、橋本先生から「会津の話」は聞いた事がなかったそうです。加藤先生には、会津の後輩ということもあり、その辺りの話をされたのかな、と思います。

 

会津はご存知のように、明治維新後、逆賊として扱われました。会津中学(高校)も国からお金が出たわけではなく、地元の篤志家からの寄付で建てられたそうですし、私自身(これは戯言だと聞いていただければいいのですが)前世は『戊辰戦争で死んだ会津の坊さん(か、尼さん)』だったらしいので、色々あるわけです。

 

(おまけ)

なお、私は日本史が好きなんですが、何故か以前から「明治維新」が全く頭に入らなかったのですが、ある時「それはオマエが『戊辰戦争で死んだ会津の坊さんだったからだ」ということを知りました。それから、維新あたりのことが頭に入ってくるようになったんです。

 

そしてゲストで「正心調息法」の先生がお二人(姉妹らしい)で講義を。

私自身「正心調息法」って名前は聞いた事あるけど、よく知りませんでした。

 

「ポジティブに」「感謝」「グチを言わない」(すいません、サマライズしてます)という心の持ちようと、呼吸法を組み合わせたものです。

 

「ポジティブ」「感謝」「グチ言わない」っていうのは、操体の「想」にも通じますね。

 

正心調息法の創案者、塩谷信男先生は、橋本敬三先生より少し年下ですが、やはりお医者さんであり、橋本敬三先生も96歳のご長寿を全うされましたが、塩谷先生は、106歳のちょっと前に亡くなられたとか、いわゆる「手当治療」をして東大から追い出されたとか、松下松藏(ググってください)さんから「治すちから」を頂いたとか、90歳越してから本を書きまくったとか、かなりな人だったようです。

 

私も早速昨日まずはAmazonのアンリミテッドで関連書籍を数冊読んでみましたが、なんだか本当にぶっ飛んだ人だということが分かりました。

 

私自身、橋本敬三先生は結構ぶっ飛んでいると思っていたのですが、塩谷先生もかなりすごい人なんだなと思いました。

 

そして、早速数冊密林でポチってみました。

 

うちの師匠(三浦寛先生)も、かなりぶっ飛んでいますが、世の中にはまだまだ面白い人がいるもんです。

 

操体・操体法における「きもちのよさ」は名詞形で考えるとわかりやすい

操体における「楽」と「快」の違いを明確に示すことは、私の操体ライフワークの一つだと思っています。

 

★世間一般の事項や愛や人生におけることではなく「操体において」です。

これを混同して「世の中の事象全て」を「快」で考えてしまうと、ドツボにはまるので、やめてくださいね。今までも何人かドツボにはまった人を救出してきましたが、ここ、大事です。

 

というのは、私も最初操体を習った時(三浦先生ではない)、当時は当たり前だったのですが「楽と快」が混同されていました。

 

テキストを見ると「快方向に動かして脱力」と書いてあるわけです。

 

また、足趾の操法の趾廻しも、当時は二方向に回してみて「快方向を選択する」と書かれていました。

 

当然そのようにクライアントにもやってみるわけですが(実際やってみるとよくわかります)、

「どちらがきもちいいですか?」と聞くと、「う~ん」と、頭をヒネる人が多かったのです。

 

それが、ツキモノが落ちるように解消したのが、三浦先生(当時はまだ弟子入りしていなかった)に、趾廻しを体験していただき、当時の超無知な私(今思うと穴があったら入りたいくらい)は、よりによって三浦寛先生に「外回しと内廻し、どちらがきもちいいですか?」なんていうアホな質問をしてしまったわけです(はずかし~)。

 

三浦先生は、駆け出しの操体臨床家のアホ女がかわいそうだとおもったのか

「どっちもきもちいいよ」とおっしゃったわけです。

 

その時、私の中で「あ、どっちもきもちいいって、アリなんだ」と、スイッチが入りました。

 

 

話を戻しましょう。

 

「快は二者択一でなくともよい」と分かったのです。

 

それから、三浦先生に入門したわけです。

 

当時私は開業していましたし、講習もやっていたので、周囲からは反対されましたが、

その辺りは全部片付けて、身辺整理をして、三浦先生のところに入門したのでした。

 

そして、もう少し勉強すると「楽≠快」であること、可動域が広い、動きやすいことイコール快ではないことが分かってきました。

 

そしてさらに、「楽」な動きを問いかける動診操法(第一分析)と、「快」をききわけ味わう動診操法(第二分析)の違いを学びました。

 

この二つは、アプローチ法が全く違います。

 

そして、第二分析は『三密」じゃないですが、所作、言葉の誘導、意識、連動などを一度に使うので、本を読んだとか動画を見ただけでは、マスター不可能です。

 

私個人の意見ですが、第二分析をマスターすることが、最も難易度が高いのではないでしょうか。特に第二分析は「言葉の誘導」を用いたり、からだのさばき方や介助補助法をやるので、武術の修行と役者の修行をしているような感じです(私は好きでしたけどね)。

 

動診操法の前に、操体的なからだの使い方や、操体的な言葉の操り方や、操体哲学をみっちり学ぶわけです。2年3年はかかります。

 

なので「講習に1年参加すれば、開業してプロになれますか」なんていう甘い人は、脱落します。

 

つまり、第二分析(快をききわけ、味わう動診と操法)は、操体法東京研究会でなければ、学べないのです(卒業生以外が「第二分析」とか言ってたら、本を読んだとかそんな程度です)。

 

なお、楽と快の違いをわかりやすく説明しましょう。

「快不快」「楽か辛いか」という二者択一ではなく、「快と、楽と、不快」の三点で考えてみるのです。

 

以前、奈良の北村先生が「無の操体」という話をされていましたが、私は「無」というのは「楽でなんともない」「バランスがとれていてニュートラルである」とか「痛くない」「スムース」と考えてよいと思います。

 

ちなみに「痛くない」は「きもちのよさ」でしょうか。

痛くない、は痛くない、痛みがないだけであって「快」ではありませんよね。

 

それを「痛くない」=「快」って考えるのは、おかしいんじゃない?って言ってるんです。

 

また、操体臨床をやっていると「不快じゃないけど、きもちのよさと言われるとわからない」という感想は、よく聞くはずです。

 

ここで素人?は「あわわわ。患者さんがきもちいいって言ってくれないあわわわ」となるわけですが、プロは「そのクライアントが、第一分析でいけるのか、それとも第二分析で行けるのか」切り分けしながら臨床を進めていきます。

なぜなら、感覚は人によって違うから。

 

そして、ここで素人?がやるのが「きもちいいですか」といきなり聞いちゃうとか、「きもちよさの押し売り」です。

 

これを書くと毎回男性にドン引きされるんですが(笑)

「ヘタクソな愛撫を受けて、きもちいいかと繰り返し聞かれるような苦痛」

ですよこれは。

きもちよくも何とも無いのに「きもちいいか」と聞かれるのは、苦痛なんです。

繰り返し書きますが、

きもちよくないのに、きもちいいかって、聞かれるのは、苦痛なんです。
わからないのに聞かれるのも苦痛なんです。

 

★よく「他で操体を受けたら『どちらがきもちいいか』って聞かれたけど、わからなかった」「わからないので、自分は操体をやる才能がないのかと思った」という方は結構いらっしゃいます。操者・指導者の不適切な問いかけで、患者様、クライアントの自信を削いでしまい、操体に対する不安感を募らせてしまう場合もあるのです。

 

 

また、我々は、いきなり「きもちいいですか」とは聞きません。

この言葉の使い方は、相手の心に土足で踏み込むような聞き方です。

ちょ~失礼な聞き方です。

家族や恋人ならともかく、赤の他人に「きもちいいですか」と聞かれてホイホイ答えられますか?

「快」というのは、とてもプライベートな感覚なのです。

 

この場合ですが

「オマエがきもちいいか」と聞くのではなく、

「からだ」にといかけるのです。

 

なので「きもちのよさ」という名詞形を使うのです。

 

からだにききわけて。きもちのよさが、ききわけられますか?」

というようにです。

 

「オマエがきもちいいか?」じゃなくて「オマエのからだは、きもちのよさをききわけているか?」というように、間接的にからだに問いかけているのです。

 

そう、からだが主語なんです。

秋のフォーラムのテーマは

「自力自療で伝わるもの からだが主語になるための工夫」です。

セルフケアです。

 

私は用語解説と、操体概論的なことをちょこちょこ入れますよ。

www.tokyo-sotai.com

2022年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

 

 

 

快・楽・不快という三点セットで考える

 

 

 

 

21世紀の操体は「楽な方にきもちよく」ではない

某出版社から、私と師匠のところに「操体のムックを出すから広告を出さないか」という案内が来た。厳密にはフォーラムと一般社団法人日本操体指導者協会宛だ。。

 

まず、著者の先生。私も存じ上げているし、フォーラムにも参加していただいたことがある。

三浦先生の講習にも参加していた方だ。

 

広告担当者が知らないんだと思うが、三浦先生が、自分の元受講生が出す本に、何で有料で広告を出さなきゃならんのだ。

 

本来なら三浦先生に監修くらい依頼してもいいんじゃないかと思う。

 

そして「楽な方にきもちよく動かして整える」とある

ああ、楽と快を一緒くたにしちゃってるんだ。

 

あ、三浦先生、混同している時点で。。。

 

これだけで、本を作った方々が「楽と快の違いをわかっていないことがわかる。

 

以前この出版社の担当者に「お宅で出してる操体法の本は、橋本敬三が『快』って言う前の本だけど、操体におけるきもちのよさってわかるのか」と、聞いたら「実はわかりません」と言っていた。

 

それなら、今度実際受けてみませんか、と言ったら「本で勉強します」と言っていた。

 

本じゃわからんよ。。

 

他の若手社員にきいてみたら、その会社は、入社時の社員研修で操体をやるらしい。

「きもちのよさ、ってわかった?」と、聞いたら「わかりませんでした」といっていた。

 

出している本には「楽な方に動かして瞬間急速脱力」という第一分析しか載ってないのに、言葉だけ「快」とか「きもちよく」とか、わかっていないことを書いているから「楽な方にきもちよく動いて」とか、楽と快を混同したことをやっちゃう。

 

橋本敬三も、晩年「楽と快は違う」って言ってるんだからさあ。

 

 

私のところには「気持ちよくって言われたけど分からない」とか「操体法の実際」を読んだけど、さっぱりわからないという人がたくさん来る。

 

橋本敬三も「万病を治せる妙療法」の元ネタを連載していた時は、楽と快の区別が明確じゃなかったところはある、

でも、82歳の時三浦先生に、90歳の時卒寿の席で「楽と快は違う」って言ってるのだ。

 

創始者が言ってるんだから、聞いたら?

 

21世紀の操体は、楽は楽を通す第一分析、快を聞き分け味わう第二分析、皮膚へのアプローチ、第三分析、第四分析と、進化している。今は、第五分析が我々のトレンドだ。我々は実際に操体の臨床(施術・治療)を行なっているし、検証も重ねている。

 

そしてもう一つ。

環境が変わり、昭和の時代の第一分析では、間に合わなくなっているのだ。

 

昭和の時代だったら効果があったかもしれないが、今は違う。また、20年以上三浦寛先生や私や東京操体フォーラムのメンバーが「楽と快は違う」と言い続けているので、一般にも「楽と快は違うし、体験するとわかる」という認識が広まっている。

 

そんな令和の時代に昭和の「楽な方にきもちよく動く」ってなセオリーを打ち出すとは。。

 

 

みなさん。

操体以外の療法や健康体操なら「楽な方に気持ちよくうごいて」と言っても、私は何の文句も言いませんが、操体なら、ダメだと言います。

 

何でかというと、結果が出せないから。

本人が味わったことがないものを、人(患者様やクライアント)に押しつけてもダメです。

 

「楽」の第一分析しか勉強してないなら「楽」に特化して、「快」には手を出さないのが賢明です。

 

「楽な方にきもちよく」こんなことを言うのは、操体で、患者様やクライアントの臨床(治療)を、やっていない人です。

 

 

 

 

 

 

操体では「楽」と「きもちよさ」は、区別する。

操体指導者で「楽な方にきもちよく」と言ってる人がいたら「操体のセオリーをちゃんと勉強してないな」か、体操や健康体操の先生で、臨床(治療)はやってない人です。

 

あー、これって20年以上言ってるけど、まだ「楽」と「快」を一緒にしてる指導者がいるなんてねえ。

 

楽も快も存在しますが、この二つを区別できるのがプロです。

 

操体をやってるという人で「楽な方にきもちよく」って言ってる人がいたら、インチキです。

 

操体創始者橋本敬三先生ご自身が、卒寿のお祝いの席や、その8年前に三浦先生に「楽と快は違う」っておっしゃってるんです。

 

あー、まだこんな勘違いというか不勉強の人がいるんだな。