noteに投稿しました。
【雑談】本をオススメしても読んでもらえないその理由。|畠山裕美(Hiromi Hatakeyama) 操体プラクティショナー、操体エヴァンジェリスト
モノを拾う場合、右手で拾う場合は、左足を前に出し(左足に体重を乗せる)右手で拾う、というのは「万病を治せる妙療法」にも書いてあります。
そうすると、左利きの人はどうするんですか?とかなりの確率で聞かれます。
左利きの人、最近は多いですよね(昔のようにあまり厳しく矯正しないのかも)。
すぐできる、というのは、前知識があまりなくても「今の生活にすぐ応用できるもの」というヒントをご紹介しているからです。
大抵は↓のようなのが「操体法」だよね、と思うかもしれません。
ただ、この前に「立ち方」などの作法があるので、まずはそこからなんです。
これは「般若身経」の側屈ですが、これ、実は正しくやるのって結構難しいんですよ。
(実際、操体の会合などにいっても正しくやっていな事が多い)
また「ラジオ体操」とは、からだの操り方が全く違います。
そこを押さえずに、形だけ真似しても、という話です。
それ以前の話なのですが、日々の生活にすぐできて活かせるヒントを網羅しています。
↓ これが側屈になりますが「操体」っていうとどうもこういう印象があるみたいですが、実はそれ以前の大事なことがたくさんあります。
つまり「動いてみるにもルールがある」みたいな。
今すぐできる「操体法」をご紹介します|畠山裕美(Hiromi Hatakeyama) 操体プラクティショナー、操体エヴァンジェリスト
noteからです。
フォトマインのデータをみると、私が生まれて間もない頃の写真もありました。自分で言うのも何ですが、赤ん坊の時は「すごい無垢な笑顔」です。
フォトマイン:写真をスキャンして保存できるアプリです。
古い写真のデジタル化にも便利。
いや~、自分にもこんな時があったんだ。しみじみです。
昨日、仏様にあげる花を買おうとお店に立ち寄ったところ、濃いピンクの芍薬をみつけて連れて帰りました。
私は芍薬とかチューリップとか「赤とかピンクでわかりやすい花」が好きだよね、と自分でも思っているのですが、なんだか芍薬が好きなんです。
母も絵手紙のネタにと、芍薬を買ってきていました。
私は先の「中学の卒業式の写真」の他に、生まれたばかりの私を抱っこしている父(超若い)の写真も加工して拡大プリントしていました。
因みに父は30年程前に他界しています。
母が言うには、私が生まれた時、父が持ちきれない程の芍薬の花束を病院に持ってきたんだそうです(私は5月生まれです)。
お土産は、例えば「ミスドのドーナツを全種類」とか、何だか豪快な買い方をする人でしたが、とにかく大きな芍薬の花束だったんだそうです。
そこで脳裏に浮かんだのが
あ、私が芍薬好きなのはそのせいかも?
ということでした。
また、その芍薬は、出産後の疲れている母に、というよりも、私に持ってきたのだ、ということも。
父は数秘学やヌメロロジーで言うところの「8」なんですが、お花系などは、野に咲く可憐な花、というよりは、わかりやすくてゴージャスな花がすきであろうと推測できます。
多分、花を買おうと思って花屋に行ったのではなく、歩いていて、丁度今の季節、丁度芍薬の時期なので、店先で見つけたのでしょう。
そして、迷いなく、生まれたばかりの女の子のために
「あるだけ全部ください」と言って花束を抱えてきたのだろうということも。
「色々な面でご期待に添えずスマン!」としか言えませんが、私が芍薬好きな理由がなんだかわかりました。
そして最近、改めて「薬屋のひとりごと」の小説版を読んでいますが(もうすぐ16巻が出ます)、高順(すごい。ATOKで「がおしゅん」って入れたら候補が出て来た)っていますよね。
最初は壬氏(じんし)様のお付きの宦官(気遣いの人)として登場します。
主人公猫猫(まおまお)の事を最初「猫猫様」と呼んでいましたが、猫猫から、様はやめてくれと言われ「それなら『小猫』」(シャオマオ、つまりまおちゃん)という絶妙な返しを見せてくれる人です。
アニメでは、馬閃(ばせん)のお父さんだった!というのがわかってきていますが「好きで娘に嫌われる父親はいないと思ってください」という言葉がかなりイミシンです。
小説が進んでくると、高順の年上妻、娘(麻美)、長男(馬良)、長男の嫁(雀)、次男(馬閃)など、濃いのがたくさん出てきますが、娘の麻美(マーメイ)にはかなり嫌われまくっているらしく「最近手を洗えばやっと孫に触らせてもらえるようになった」などと言っています。
なお、娘が年頃になって「パパなんて嫌い」とか言い出すのは、自然の成り行きです。
年頃、つまり生殖可能な年齢になってくると、遺伝子的に「父親を嫌いになる」という指令が発動されます。
身内同士、近親婚を避けるためなのです。
なお、私の知りあいで「デキ婚」をした人がいました。
今は「さずかり婚」ともいうそうですね。
生まれたのは女の子で、とっても可愛がっていました。
意地悪な私はついつい
「この子が大人になって、できちゃった婚したらどうする?」
と聞いてみたところ
「そりゃ許さん」と、自分のことはどこかに置いて言っていました。
世の中、こうやって回ってるんだな、と思いました。
世の中のお父さん。
年頃の娘に「パパなんて嫌い」「洗濯物は別ね」と言われても、それは遺伝子のなせるワザです。
20年くらい前、どうにもうずうずするので、それまで「絶対ハマるからあえ
てやめておこう」とずっと封印してきた「一眼レフ」に、手を出しました。
沼ります。
撮りたかったのは、操体の講習の写真。
手関節、足関節への介助法・補助法や操者のポジションなどを記録したかったことです。
また、受講生の中からも「写真を撮ってもいいですか」という声が上がっていたのですが、そこには1つ問題点がありました。
というのは「よくわかっていない受講生が写真を撮ると、あやまった場面などの写真を撮る」とか「肝心要のところが抜けている」ことが多いのと、写真撮って覚えたり会得したつもりになってしまうことがかなり多かったので、それなら分かっている人間が撮ればいいじゃない、ということになりました。
問題解決です。
お陰様で、今でも操体の現場とか、仏教塾の取材とかにはカメラを担いで行ってます
。
で、カメラの話になると、長くなるのでこの辺でやめておきます(汗)。
先日、母が古い一枚の写真を見つけてきました。
なんでも中学の卒業写真だそうです。袴姿の女学生五人と、担任の先生が映っています。
後で気がついたのですが、私が子供のころ、よく遊びに行ったり来たりしていたご一家の奥様が、この先生だったんですね。
その先生は、書道の先生でもあったので、私は長らく「お習字の先生」だと思っていたのですが、母の中学の担任の先生だったということです。
卒業後、母は上京、担任だったA先生も結婚して上京。
中学の教え子が近くにいれば(そして父も母と同郷)ならば、行き来があるのはなるほどです。
再来週、母は同窓会で宮城に向かうということで、母の日のプレゼントも兼ねて、その写真をデジタル化して、AIで色をつけ、写真アプリで調整して、引き伸ばしてフォトペーパーに印刷しました。
私が古い写真のデジタル化に使っているのは『Photomyne(フォトマイン)』というアプリです。
古い写真を撮影すると、きれいにスキャンして補正、保存してくれます。一枚一枚撮る必要はありますが、写真のデジタル化には便利です。
今回も、元々は小さいサイズ(L判の半分くらい)でした。
用紙も長いこと保存されていたので少し痛んでいました。
この他にも母が子供の頃に、姉達と撮った写真(姉三人は和服ですが、多分2歳の母はワンピース姿で、白い帽子を被っている)もあります。
元々は白黒ですが、ワンピースは水色になっていて、この辺りAIってすごいな、と思います。
ほんの25年くらい前まで、写真っていうのはお店に持っていってプリント、というのが当たり前だったので、どこの家にも大事な写真はあるはず。
デジタル化しておくといいかもしれません。
こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。
4月29日の「2025年春季東京操体フォーラム」で、操体の指導者の皆さんに「般若身経を患者さんやクライアントに指導するとき、困ることなどはあるか?」という質問をなげかけてみました。
この場合の「指導」は、例えばフィットネスクラブや体操教室(そもそも般若身経は、体操ではないのですが)などで、不特定多数に対し、一度に面倒をみる(つまり参加者一人一人の細かい動作チェックなどは不可能)な場合を除きます。
パーソナルレッスン、あるいはそれに近いような細かい指導、または、操体の臨床の後に、セルフメンテナンスの一つとして覚えてもらうような場合を指します。
まず「自然体立位」が意外とできない場合が多い
そうなんです。私もこれは常々思っていました。
皆さん「立つなら簡単じゃん」と思っているようなんですが、
・足は腰幅
・つま先と踵は平行に
・背筋は軽く伸ばし
・目線は正面の一点に据える
・膝の力は「ほっ」と抜く
→ すると、母趾球に体重が乗る
が、自然体立位です(今はもっと進化版をやっていますが、まずはこちらを)
というのが押さえるべき事項です。
また、腰が反っていたり(骨盤が後弯曲)すると、つま先が開き気味になったり、最初はつま先とかかとを平行に保てても、動作を行うと、つま先が開いてしまったり、自然体立位自体の難易度が高いのです。
一方、参加者は「立つのなんてどうでもいいから、早く体操っぽいのとか、仰向けに寝て膝を倒すヤツを教えてほしい」と思っています。
どこか痛いとか、今かかえている症状疾患をどうにかしたいのであれば、当然です。
致し方ありませんが、大抵そうです。
しかし、般若身経や動診操法の前に、操体の基本知識として、これは押さえてほしいな、ということで「今すぐできる操体法」というのを書きました。
「般若身経」はしっかり指導すると意外とハードルが高いので、それ以前のお話です。
今すぐできる「操体法」をご紹介します|畠山裕美(Hiromi Hatakeyama)
https://note.com/purplecloud/n/n3a034a5e0fbb
ただ、般若身経(からだの使い方、動かし方のルールを真理を説いた短いお経になぞらえたもの、私はSotai Body Sutra と呼んでいます)は、本当にからだの使い方、動かし方の基礎が入っています。
連動についても、本を読んでもなかなか分かりにくいですが「般若身経」が頭に入っていれば、理解しやすいのです。
もう一つ、実行委員から聞いたのが、患者さんに「これ、何に効くの?」と聞かれたという話です。
患者さんにしてみれば、もっともな質問です。
さて、何に効くのでしょう?(ここでは答えませんが、勿論答えはあります)
何に効くか、どんな役に立つのか分からずに指導したりというのは現実的ではありませんよね。
その他、いくつか間違えやすい点を説明しました。
足腰幅、ってどれくらい?
ある本には、男性は骨盤の幅、女性は肩幅と書いてありましたが、操体法東京研究会では「骨盤が足の間に入るくらいの幅」としています。
男性は骨盤の幅、女性は肩幅 と書いてあるのは、昭和の時代に書かれた本です。
また、面白いことに「腰幅を意識して足の幅を決める」のと「肩を意識して足の幅を決める」とでは、感覚する位置などが変わってきてしまうのです。
これは、左足を半歩前に出すという動作と、右足を半歩後ろに引く動作、結果は同じじゃん!と思うかもしれませんが、実際には違うんです。
「どこを意識するかによって、変わる」んです。
また、橋本先生時代の「般若身経」は、腰から動きが起こると書いてあるものも多いのですが、捻転だけは、腰から動かすと、体重の移動が逆になってしまいます。
これを考えると、前屈も後屈も捻転も側屈も、末端から動きを起こしたほうが整合性が取れるのでは、という感じもあります。
この他、側屈しても「足のポジション」は、つま先とかかとは平行を保ちますが、中には、踵が浮いた方の足の踵を内側に回す(見た目?)人を何人も見たことがありますし、右側屈の場合、いきなり右の踵を上げて(浮かすのではなく上げていた)それから腰を左にスライドさせるというのも見たことがあります(某フィットネスクラブです)。
これらは「色々なやり方があっていい」と言ってしまえばそれで終わりですが、
いかんせん、原理原則と、何故般若身経をやるのか?という目的から離れているのではと思います。
また、動作に手をつけると、手の動きや、捻転の場合は上体を捻りすぎるとか、側屈の場合は上体を倒しすぎるとか、本来の「母趾球の間での体重移動」を忘れてしまうことが
そんなことを話しつつ、現在私が「ミリしら」(操体を一ミリも知らない人)に指導するやり方を紹介しました。
一番いけないのは「できる人、習得している人」が「自分がわかっているからといってぱぱっと」済ませることです。
もしくは自分も「般若身経」をあまり深掘りしていないので「何故やるんですか」とか「どんな効果があるんですか」と聞かれるのを避けることですね。