操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

2025年8月の総括

皆様こんにちわ。

 

TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

8月も暑い日が続いていましたね。

 

私は、師匠三浦寛先生の書籍の編集にかかっておりまして、なかなかこちらまで手が回らず、だったのですが、8月のご報告を。

 

6月は「国宝」と「ババンババンバンバンパイア」で終わり(吉沢亮祭)まして、7月は

「出禁のモグラ」(コミックと言えど、生きている人間と死者との間の繋がりや世界、あるいは機能不全家庭の話など、大変深い)がアニメでも始まり、もう一度コミックを読み返すと「これは深いわ」と、腕組みをしておりました。

 

また、コミックでは京極夏彦先生と江口先生の対談などもあったり「アリス編」では、父親に「気に食わないからそこから飛び降りて死ね」と言われ、自死したフユミちゃんの話は「飛び降りる前までは自分の体験」という話(機能不全家庭)があったり、親子人間関係についても深く考えさせられるところがありました。

 

 

そして行ってきました。

わたくし、江口さんは「鬼灯の冷徹」からのファンなので行ってきましたよ。

 

avex.jp

カラー原画も白黒の原画もまあ美しいこと。

もう、堪能しまくってきました。

 

 

そして、待ってました。

 

ジョン・ウィックも好きですが、好きな若手女優を三名挙げろと言われたら、

フローレンス・ピュー
アナ・デ・アルマス

ジェナ・オルテガ

を挙げる私なもんで、見てきました。

ballerina-jwmovie.jp

ジョンも結構でてくるし、お馴染みの皆さんも出てきます。ジョンとはまた違ったアクションがてんこ盛りです。

 

そして後で多分noteなどに書きますが、8月19日~21日まで、東京国際仏教塾系の研修で、小田原の大雄山最乗寺の夏期禅学会に行って来ました。

 

一言で言えば「アタマがクリアになる」ということです。

 

こちら、書院。山主老師様(ご住職)がお客様とお会いになる時などに使うところです。我々は作務でこちらを掃除しました。

 

そして8月31日日曜は「塾操体」。操体法東京研究会のメンバーや、東京操体フォーラム実行委員が集っての勉強会となりました。

 

 

 

 

操体も「願望実現・願望達成」の一つです。

操体の考え方の中に「息食動想」というのがあります。

 

簡単に言えば、この四は自分でコントロールできるのですが、これらの営みには、ルールがあります。

そのルールに違反すると、ボディに歪みが生じます。

操体は、何故ボディが歪むのか、ということを説明できるのです。

説明できれば、どうすれば良くなるかということも分かります。

 

タイトルの「願望実現・願望達成」も操体の一つである、ということですが、大抵「願望達成」というと「経済的な成功」「恋愛」などを考えますよね。

 

ただ、良く考えてみると「健康になりたい」「痛いところをどうにかしたい」というのも、願望実現や願望達成の一つではないでしょうか?

 

『人類悲願への達成』で、橋本敬三先生も『健康で幸せに生きたい』という人類の悲願について書いていらっしゃいますが、まさにこれは「願望」ではないですか。

 

操体を「健康で幸せに生きるための願望達成のメソッド」と考えることもできます。

私はむしろ最近そう感じています。

というのは、操体は「想」が関わっていますし「想」はかなり重要だと考えています。

 

ただ、操体には「がんばるな、いばるな、よくばるな、しばるな」というバルの戒めというものがあります。

ここから来たのかどうか謎なのですが「操体ではお金をもらっちゃいけない」という、

我々のような操体治療で生業を立てている者にとっては驚愕のセリフをおっしゃる方がいらっしゃることがあります(大抵は本業者ではなく、他にちゃんとした職をお持ちで操体臨床をやらなくても生きて行ける方々です)。

 

何と言うか「お金に対して欲張ってはいけない」というような空気が見えるのです。

 

しかし「健康になりたい」という欲も、かなり見えるのです。

 

「お金はダメで健康はいい」というのもおかしな話です。

どちらも「願望」という点では同じなのです。

 

そうやって考えると「健康で幸せに生きたい」というのは「願望実現・願望達成」の最たるものではないかと思うのです。

 

というわけで今回ご紹介するのはこの本です。完結編、とありますが確か全部で五冊くらいになっています。

共通しているのは、第1章で「考え方の基本」をインプットすることができるということ。どの本も第1章は同じです。これを手抜きとみる人は少し考えを改めた方がいいかもしれません。

 

大事なことは、繰り返しが必要です。

筋トレだって1回で筋肉が付くわけじゃないですし、美容も同じです。

 

忘れもしませんが、私が操体の基本セオリーの講義をしているとき、アシスタントで読んでいたヤツが暇そうにしていたので聞いてみたところ

「この話は前にも聞いてるからつまんないんです」という大胆というか(失礼なヤツですね笑)そういう答えが返って来ました。

 

これが「一度聞いたなら、私の代わりに講義できんのか?」とは行かないのです。

1回聞いただけなんですから。

 

★ちなみに私が操体の基礎的なことの講義ができるのは、長年師匠三浦寛先生の講習のお手伝いをしていたからでもあります。

 

 

これら、それぞれの本に「基本となる考え方」の第1章があるので、復習できるし読み返しができるのです。

 

ご紹介する理由ですが、著者Jegさんが書いていらっしゃることって、橋本敬三先生がおっしゃっている「想」にかなり近いところがあるからです。

 

まず「言葉が先で感情は後」ということ。これは「言葉は運命のハンドル」とおっしゃった橋本先生の言葉にも繋がってきます。

 

また「正しい・正しくない」「損か得か」よりも「快か不快か(好きか嫌いか)」が大事だよ、と普段から言っている私ですが、そこに通じることも書いていらっしゃるのと、

 

「願望の実現のためには、まず基本となる考えがあり、テクニックはその後」ということが書いてあります。

 

操体も、よくわからずに「体操みたいな感じ」でやったり受けたりするのと、基本となる考え方や、どうしてこうなるのかというセオリーが分かっていてからテクニック(操法)を行うのとでは、結果が違うのと同じです。

 

この場合、操体のプロがいれば基本となる考え方は『代わりに担当』してくれますが、操体を自分でやる場合は「考え方の土台と基本」を知らずに、操法だけやっても、効果を得にくいということです(考え方の基本と土台を知らないと、全く勘違いしたやり方をやっていたりします。これは本当にあるあるです)。

 

操体が本当の意味で「セルフケア可能」という状況が広まらないのは「考え方の基本と土台」をすっ飛ばして「操法」だけやるから(指導する方も)なんです。多分。

 

というわけで「健康に生きたい」というのも「願望実現・達成」の目標の一つである、と考えると、少し視界が変わってくるかもしれません。

 

 

 

操体は「きもちいい方に動く」のではありません。

今日も、操体実践者や操体の指導者向けに書いています。

 

一般の方は「前知識」などは不要です。

 

橋本敬三先生が、患者さんには「操体は簡単だよ」とおっしゃったのに、弟子には「よくこんな大変なことに足を突っ込んだな」とおっしゃったのは、操体の指導者は「大変なところを患者さんのかわりにカバーする義務」があるからです。

 

この「操体は簡単だよ」(対患者さん)という言葉を信用し、「操体って簡単に習得できるんですよね」と勘違いする手技系の方や、治療家志願の方がいらっしゃいますが、操体の指導者にとって、操体は「簡単」ではありません。

 

 

先日「操体ってきもちいい方に動けばいいんですよね」という質問をいただきました。

 

全部間違いではありませんし、この文言を使っている操体指導者の先生方も多数いらっしゃいます。

 

ただ、この言い方は、操体に対してあやまった認識を与えることになります。

 

正確には、

動いてみてきもちのよさがからだにききわけられたら(動診)、それを味わう(操法)。

 

操体は、いわゆる「慰安行為」ではなく、医師が現場で用いていたものです。

 

慰安行為(リラクゼーション)と、治療(施術あるいは手技療法)の一番の違いは何かと言うと、「診断(あるいは治療計画)・動診」があって、はじめて「治療・施術・操法」が成り立つということです。

 

これを忘れてはなりません。

 

そして、橋本敬三先生は「医師」でした。

 

医師が、診察をしないで、治療をする、なんていうことはあり得ませんよね。

 

 

慰安行為と治療の違いは「診察や診断をするか、治療計画を立てるかどうか」です。

 

「ココが凝っているから揉んでください」と言われて、その通りにするのが、リラクゼーションや慰安行為です(コースが決まっていたりしますよね)。

 

「きもちいい方に動く」という前に

「その方向への動きは、快なのか、不快なのか。それとも楽でなんともないのか」

という動診が必要だからです。

 

★きもちいい方に動く、という言い方は、私も操体以外なら何も言いませんが、操体を指導している方が、この書き方をするのはちょっと考えてほしいと思っています。

 

考えてもわからないという方は、楽と快の違いを勉強してください。

わかっていないのに「きもちいい方に動いて」というのは、無責任です(汗)。

 

「きもちいい方に動く」というのは100パーセント間違いではありませんが、

この言葉は、クライアントや一般の方には誤解を与えることがあります。

 

この誤解が、かなり問題です。

一方「きもちよさには関係ない、つまり『楽か辛いか』の第一分析」を提供している場合でも「きもちいい」という言葉は使いたいのです。

何故なら「きもちいい」というのはインパクトがあり、注意を惹く言葉だからです。

 

そして「操体ってきもちいいんだってさ」と受けに行って、「きもちよさって何だかわかりませんでした」という方が、私のところや、フォーラム実行委員のところにいらっしゃる、というサークルがある程度完成しているわけです(完成してほしくないんですけどね)。            

 

1.動いてみないときもちいいかどうかはわからないのに「きもちいい方に動いて」とか言われるので、クライアントが不安になる(かなり多い実話)。

 

★これについては、私もかなりしつこく言っていますので、少しは浸透してきたのかな、と思います。

 

★また、身体能力が高い人は「動いただけで気持ちいい」とか、我々のように連動や新しい理論をマスターしていれば、それもあるかもしれませんが、操体を受けたいというクライアントは、どこか調子が悪い場合が多く「動いただけできもちいい」ということが当てはまらないことが殆どです。

実際、こういう「能力がたかい」 人に聞いてみると「なんでわかんないの?」という話になります。

つまり、能力が高い故に、人の痛みがわからないのです。

 

ここは「人の痛みがわかんのがプロよ」(By 橋本敬三医師)と心得ましょう。

 

★さらにこれもかなりしつこく言っていますが、ぎっくり腰とか首が回らない方や、帯状疱疹の後遺症で全身が痛いような方や、リウマチの方に「きもちいい方に動いて」というのは、横暴とし言えません。

 

私がぎっくり腰になって「いたたた」というときに「きもちいい方に動いて」と言われたら「はぁ?」とか「オイコラ!」ってなります。

 

2,「動けば必ず気持ちいいにちがいない」という誤解です。

 

私自身も「操体では必ずきもちよさが味わえる」と、信じている人に多数遭遇しました。

 

しかし、操体では「必ずきもちよさが味わえる」ということは、ありません。

 

 

 


この図のように「バランスがとれていて快も不快もない」という場合もあるからです。

 

そういう時「必ず動けばきもちよさがあるに違いない」と思い込んでいる方が起こす行動が「きもちよさを探して色々動く」ということです。

 

私はこういう人をかなりの数で見ています。

聞いてみると「きもちよさが絶対味わえるはず」と思っていらっしゃるのです。

 

そして何故かこの考え方を強固に変えず「やっぱりきもちよさを探してしまいます」とおっしゃいます(見つからないのです。ずっと)。

 

また「きもちいい方に動く」という言葉の主語は何でしょう?

 

私、ではなく「からだ」になるのです。

 

私が気持ちいい、のではなくゆっくり、「からだに」感覚をききわけながら、その動きの中に「きもちのよさがききわけられるのかどうか」を確認します。

 

さらに、第二分析の特徴として「末端関節から動きを表現」します。

何故かと言うと、末端関節(手関節、足関節)に介助や補助があるので、全身形態の連動が促され「快」につながる運動充実感が生まれるからです。

 

たまに、逆連動として、体の中心腰から、というのもやりますが、第一分析は、ほぼ体幹か、その部分(首なら首、肩なら肩)のみ動かすものが多いものです。

 

これが、いわゆる第二分析の「動診」です。

 

そして、きもちよさがききわけられたら(これが、診断です)、そのきもちよさを味わう。これが「操法(治療)」にあたります。

 

つまり、第二分析という「快をききわけ、あじわう」という動診と操法を行うには

「きもちいい方に動く」という表現では足りないし、第一分析では「楽な方、スムースに動く方」なので「きもちいい方」というのは、ある意味言葉の詐欺になります。

 

というのは、動いても「きもちよさ、快適感覚」が起こりえない状態で「きもちいい方に動きましょう」と言っても、受け手は実のところ「きもちいいかどうかわからないけど」やってみる、という状態だそうです。

 

これは、数年前に、大阪で行った三浦先生のセミナーで、先生が関西の操体実践者の方々に「楽か辛いかは分かる人」と聞いたところ、ほぼ全員が挙手しましたが、

「それじゃ、きもちよさが分かる人」と聞いた時、挙手したのは指導者クラスの方二人くらいでした。

 

つまり「きもちよさ」と言っているのですが、わかっていない人の方が多いのです。

 

因みに、奈良の北村先生は、私とニュアンスは多少違いますが「無の操体」ということをおっしゃっていました。

これは「楽でなんともない」ということに通じるのでしょう。

 

というのは、私が上記の表を思いついたのは、北村先生の「無の操体」についてのお話を聞いたからです。

 

実際に、操体の臨床をやっていれば「楽でなんともない」という壁にぶつかるのは全く普通のことです。

 

 

操体指導の初学者は、きもちよさには手を出すな

こちらは、操体を受けたい人向けではなく、操体の施術者や、実践者、手技療法家向けに書いています。

 

操体が「簡単」と橋本先生がおっしゃったのは

面倒なところは、指導者や施術者が肩代わりしてくれるから」

ということでもあります。

 

施術者、操者、指導者が「ヘルプしてくれる」から、安心なのです。

 

そして「1人でやる」ことも可能ですが、その際は、勉強が必要です。

1人でも自分でもできますが、結果が出せるかどうかは別問題です。

 

これが「ひとりでできる、自分でできる」のワナとも言えましょう。

 

受ける人の難易度を書いてみると

 

難易度高 自分でセルフケアする

難易度低 操体のプロの指導で操体を受ける

 

ことになります。

 

逆に言うと、

やる方(施術者側)だと

 

難易度高 初学者の被験者に手を触れず、口頭のみで操体を指導する(不特定多数可)

難易度高 初学者の被験者に手を触れて、操体を指導する

難易度中 ある程度慣れている被験者に手を触れず口頭で指導

難易度中 ある程度慣れている被験者に、手を触れての操体指導

になります。

つまり、施術者側だと「難易度が低い」というのはない、ということです。

 

****

 

初学者は「きもちよさ」には手を出すな

この投稿は、操体実践者、指導者にむけて書いています。

一般の方は「プロの操体指導者は、わかっているから安心して任せろ」です。何もわからなくても大丈夫。
操体のプロは、そのために勉強しているのです。

逆に、一般の方は、操体の指導者を探す際に、
「楽な方にきもちよく動く」とか「きもちよさを探して動く」

と、言っている人がいたら
「あ、楽と快の区別がついていないんだ」というチェック項目にもなります。

 

HPなどに「楽な方にきもちよく動いてからだを整える」と書いてあったりしたら、それは「楽と快の区別がついていない(つまり勉強してない)」ことになります。

 

操体ってよくわからない」というお話をよく聞きます。よく伺ってみると、わからない、というのは、どこか他で操体を受けたとか習ったのだけれど「快」というものが体感できなかったというのが殆どです。

 

操体の臨床家でなければ、私も「楽と快の区別」についてうるさくは言いませんが

曲がりなりにも「操体」という名前を使うのであれば、プロアマを問わず「楽と快」は違う、ということを分かっていないと、お話になりません。

 

 

楽と快の区別をつけるのが、操体の臨床です


『楽な方にきもちよく動いてからだを整える』と、ある操体の本に書いてありましたが、楽な方が果たしてきもちいいのか?という疑問を感じない人は、実際に患者さんを見ていないとか、机上の理論のみでアタマで考えているだけの人です。

 

また、急性期の痛みで痛がっている人に「きもちよく動いて」なんて言ったら、普通怒られます。

 

というか、操体のプロを名乗る方が『楽な方にきもちよく動いてからだを整える』というのが間違いです。

 

何故ならば、操体創始者橋本敬三先生ご自身が、卒寿の席で
「楽と快は違う」
と、おっしゃっているんですよ。


三浦先生やは私が言ったのではなく、創始者橋本敬三先生がおっしゃっているんです。三浦先生には個人的に85歳の時におっしゃったそうです。

 

何で橋本先生のおっしゃっていることを聞かないのか。


三浦先生も私も、橋本敬三先生が「楽と快は違う」とおっしゃっているから、そのように学んでいるんです。

 

ちなみに「何でも気持ちいいことは操体」というような人もいますが、それは暴論ですし、普通の人は混乱します。

 

操体臨床における快」と考えてください。

「快楽殺人」や「性的な快感」もそうなんですか?というアホがいましたが快楽殺人は犯罪です。橋本先生も「人に迷惑をかけないこと」とおっしゃっていますので、これは大迷惑です。

「性的な快感」については、人に迷惑をかけなければいいのですが、自分のからだに迷惑をかけるとか、腎虚になるまでやるのは違うかと思います。

 

操体の臨床では、かなり多くの引き出しがあります。

第一分析 橋本敬三先生時代(楽な動きを比較対照する)。相対的
からだの使い方を誤って壊した場合は結構有効。

迷走分析 第二分析を学んでいない人が、言葉だけ「きもちいい」を使い(つまり楽と快の区別がついていない)被験者が迷う。
「楽な方にきもちよく動く」と言っているのはこれに当たる。また「きもちよさを探して」というのもこれにあたる。

第二分析 ひとつひとつの動きに快適感覚の有無をききわける。比較対照、相対的ではなく、絶対的な快を問いかける。第一分析とは、動診のことばかけ、行程、脱力の方法など全て異なる。言葉の誘導なども独自のメソッドがある。

第三分析 刺激にならない皮膚へのアプローチ。渦状波®
第四分析 息診・息法
足趾の操法®
連動理論

新重心理論(これから公表予定)
今までの操体の常識をひっくり返すようなメソッド。
実際に検証を重ねているが、今までの操体の弱点を解消できる。

Coming Soon! 


★第二分析以降は、操体法東京研究会の定例講習で習得可能。
★逆に言えば、操体法東京研究会で学んでいない人が「第二分析」とか言うのはかなり謎ということになります。
三浦寛先生の著書を愛読しているという専門家(つまり私淑)が上京した際、実際に本を読んでどのようなことをやっているか、見せてもらったことがあるが「やはり実際に実技を学ばないと」と思った次第。
書籍は、実際に習った人が、復習のために参考にするのはアリだと思うが、初学者がそれを読んで、著者の意向を正しくくみ取れるかはかなり謎。というのは操体は「手技」なので、力加減や言葉のかけ方、触れ方、スピードなど、五感で体感し、納得の上での体感が必要なためです。

 

 

 

膝の痛みを考える 膝痛さんいらっしゃい

note.com

私は専門が「操体」「操体法」ですが、スポーツプログラマー(運動指導ができる。元気な人に運動指導できる。文科省系)と、健康運動指導士(メタボ指導ができる。病後やトラブルのある人にも運動指導やアドバイスができる。厚労省系)の資格も持っております♪

最近のネット広告は、その人の嗜好や検索の傾向履歴などから自動的に出てくるそうです(このブログもそうなんですが)、最近「膝の痛み」に関する広告をよく見ます。実際、膝が痛いという人は多いですよね。

膝というと「コンドロイチン」とですね。テレビでも元力士のあの方がCMしてたりします。
ちなみに、サプリメントというのは、薬品ではなくて、栄養食品です。

つまり効果があっては困るし、医学的に証明されているわけではないのです(その昔、サプリメントの輸入販売をする会社にいた)。

しかしながら、漢方や古い医学では「同じ部位を食べる」ことによって何らかの効果がある、と言われてきたのも事実です。

これは、栄養のバランスを整えて、全身によい影響があり、結果的に痛みなどがおさまる、というような気長な話です。
気長な話なんですよ。コンドロイチン1回飲んで膝が治った!なんてことはありません。

しかし、病院や接骨院に行くのは面倒だし、行けば行ったで「もっと体重減らせ」とか「もっと運動しろ」と言われる。それは分かっているので言われたくない。

わかっていることを言われることほど、イヤなことはないですよね。
それが正論だと、尚更ですよね。

25年くらい前は、昭和の香りがするクライアントも多く「体重は減らすのが面倒だけど膝の痛みは治して欲しい」というような方や「操体を一度受けたらそれから二度と症状疾患は起こらない」(そんなのあるわけない)という方もいました。

なんなら「O脚が一度で治る」(一度では難しいです)とか。

操体は、近所にやっているところ(操体の専門)は、ほとんどないし、自分でやってみようと思って本を買ったけど、よくわからないので、放置。動画を見てもさっぱりわからない。

と、ネット広告で「膝の痛みに効く」というサプリが初回限定1000円。

となったら、サプリをポチってしまいますよね。

先年の紅麹を使ったサプリメントでの健康被害問題ですが、考えてみると、コレステロールの値改善ならば、多分医療機関で血液検査をして、値の異常がわかったから改善にトライしたのだと思います。

このような場合、本来は医療機関に行って、薬なり生活習慣の改善をすべきだったのですが、近所のドラッグストアに売っているし、小林製薬だから安心だし、お手軽でいいじゃん、ということで購入したのだと思います。

ごくごく普通の購買行動です。
病院に行った方がいいと分かっているけれど、やっぱり面倒だし(待つし、多分食生活を叱られるし、お酒止めろって言われるかもしれないし、運動不足って言われそうだし)、サプリ試そう!ってなりますよ。

さて、操体では膝の痛みをどのように考えるかご紹介しますね。

膝の痛みって

・筋肉量が少ない
・運動量が少ない

からですよね、という方もいらっしゃいますが、例えば太極拳をやっている方々のかなりのお悩みは、膝の痛みです。
太極拳の大会などがあると「膝の痛みにはどんな治療がいいか」「お勧め接骨院」などの話で盛り上がるそうです。

なので、運動している場合も膝の痛みは起こります。
男子中学生高校生で多いのは、膝関係のトラブルです。大抵はスポーツ障害ですね。

操体ではどう考えるかというと、

日常的なからだの使い方、動かし方の間違いから、ボディに歪みが生じ、その結果、一番症状が出やすいところ(膝の場合は膝、腰の場合は腰)に現象(痛みなど)が起こります。

私の場合ですが、まず立位で足底のどのあたりに体重がかかるのかチェックしますし、その他日常的な動作を確認します。
スポーツをやっている場合は、動作のチェックも行います。

今の季節、暑いので大人の男性でも半ズボンにビーサンというスタイルを見かけますが、ガニ股になっていなくても、足先が開いており、動作を見ても体重が足底の小指側にかかっているケースをかなり見ます。

ビーサンを履いて、歩行時にもつま先が合計90度以上の開きという状態が続くと、これは、かなりの確率でゆくゆく膝の痛みが発生します。

私の知りあいで親子(母と娘2人)の3人の立ち姿を見た時、ギョッとしたことがあります。親子なので姿形が似ているのですが、3人ともフラットな履きやすそうな靴をはいているのですが、普通に立っている時も、歩いている時もつま先が90度以上開いているんです。

揃ってスラリとしてスタイルのいい皆さんなんですが、足底のどこに体重がかかるか注視すると、やはり足底の小指側や外側にかかっています。

このまま行くと、数十年後には、間違いなく膝痛さん誕生です。

ただ、一言多いとかうるさいとか言われそうなのと、多分私の話は聞かないだろうと思い、黙っています(以前経験あり)。

なぜ、足底の小指側に体重が乗ると膝に故障が起こるのかというのは、全身のバランスの問題です。

立って、踵を付けてつま先を90度くらいに開いてみてください。
足底の小指側や、足の外側に体重がかかりませんか?

一方、大腿骨は一本の太い骨ですが、膝から下は、脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)という二本の骨に分かれます。脛骨は、真ん中にある太い骨で、腓骨は外側にある細めの骨です。膝から下の骨が二本になっているお陰で、人間は膝から下の細かい動きが可能になっています。

そして足首に繋がるわけですね。足首から下の骨はとっても複雑です。
簡単に言うと、足底の小指側、外側に体重が乗るというのは、人体にとっては不自然な使い方になります。
本来は、内側(母趾球側に)体重が乗るのが、自然な使い方なのです。

不自然な使い方をすると、どういうわけか、足首に歪みが生じ、頸骨と腓骨に微細なネジレが生じます。頸骨と腓骨は膝蓋骨や、膝近辺の軟骨や筋肉や腱とも繋がっていますので、膝に負荷がかかり、結果的に痛みが起こります。

こうなるには、少なからず時間がかかっています。

また、スピリチュアル業界では、女性の場合は右膝が自分、左が配偶者や恋人。男性の場合は、自分が左膝で右膝が配偶者や恋人への不満?が現れると言われています。

女性で右膝が痛む→自分に対する不満
女性で左膝が痛む→夫や恋人に対する不満

当てはまるかな?というところもありますが、やはりからだの使い方、動かし方が影響するのが一番です。
但し、私の様に、数年に一度、朝起きるといきなり膝が腫れ上がっていた、などというような、妙なことが起こった場合は、そっちの筋を考えることもあります。

そして、からだに傷をつけずに、優しく安全に元に戻すには、

悪くするのにかかった時間<治療施術に要する時間

と考えて間違いありませんが、その時間をなるべく短くするというのも臨床家の腕次第です。

からだを傷つける(例えば外科的な手術)場合は、もう少し早いかもしれませんが、傷つけるリスクと、傷が治るまでの時間、リハビリも考える必要があります。手術の時間は一日かもしれませんが、結局は傷が治るまでとか、リハビリも必要なのです。

それならば、多少時間がかかっても、からだにやさしいやり方を選ぶという手もあるのです。それが操体です。

一方、転んで膝を捻ったとか、突発的に腫れて痛む、と言う場合は、わりとすぐ改善したりします。

ブログにも何回か書いた記憶がありますが、私はもともと膝の半月板が半月じゃなくてもう少し太った月の形をしています。そのせいもあるのか、子供の頃はよく膝がガクッとなりました。転んだりもしました(今はない)。
そのせいかどうか全く謎ですが、数年に一度、朝起きると膝が腫れていて曲げられない、ということが起こります。

これは、私自身対処法を知っているので、わりと簡単に解決できたりします(自分で治せる操体法。ただし、ワザが必要)。

治る時間は、悪くするのにかかった時間とおなじくらい。

これ、法則です。

結構多いのは、色々な治療を試して、操体もやってみよう、といらっしゃるのですが、1回で終わりにしてしまうというケースです。

確かに操体を専門でやっているところは少ないですし、操体は保険治療が効きません(接骨院など、保険が使えるところでも、操体は自費治療でやっているケースが殆ど)。

私も「あと3回くらいは診せてほしい」と思っても、遠いとか面倒くさいとか、一番は「驚くような変化が起こらない」(じわじわと変わり、気がついたら治っていた?ということが多いのが操体です。

また、操体の「ワザ」の中で、膝の痛みに奏功するのが、足趾の操法®です。
これは、何故なのかよくわからないのですが、ある人曰く、膝の軟骨や腱などが緩むから、あるいは、あるべき位置に自然に戻るからでは?とのことでした。

実際ですが、

足趾の操法で、膝を緩める
操体の診断分析と実際の操法
日常的な動作のチェック
からだの法則に沿った、使い方、動かし方の実行
日常生活の中でのチェック

こんなことを何度か繰り返していきます。

からだの法則に沿った使い方、ですが、指導直後は皆さん
覚えていらっしゃるのです。
ただ、その動作が「カラダにしみ込む」(小脳パッケージ化@黒川伊保子さん曰く)がくらいやらないとダメです。
一度や二度「般若身経(心経ではない。操体独自のメソッド)」をやったからといって、治ったりはしません。
やはり、多少の継続は必要です。

また、放置しておいても治るモノもあります。ただ、長いこと痛んだりするのはイヤだと思うので、早く良くなるお手伝いをします。

そして、応急処置でなんとかなっても、からだの使い方、動かし方のクセやで、また元に戻ることもあります。その場合は、からだの使い方、動かし方や、その他諸々を覚えて体得していただく必要があります。
これ、面倒くさそうですが、一度体得してしまえば、一生涯使えるのですから、長い目でみてください。

ちなみに、8月19日~21日までは坐禅合宿に行っておりお休みしますが、それ以外はお盆もやっております。
完全予約制です。