操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体における快適感覚とは

快適感覚とは?



快適感覚、きもちのよさを定義するなら、

「からだにききわけて(このサブジェクトは後述)」

「味わってみたい要求があるのかないのか」と広義で定義するとわかりやすいと思う。「カイカンの極まりで爆発するような」ものを求めなくても、ゆっくり、ゆっくりからだを操ると、ピアノ線1本ほどの細さであるが、「ああ、このまま味わってみたいな」ということがある。それがその人にとっての「気持ちよさ」なのである。



私がいままで味わった操体におけるきもちよさで、一番印象に残っているのが、膝二分の一屈曲位にとっていて、足の裏はもちろん床についているのだが、足の裏の地面がなくなってしまった時だろうか。なんだか踏んでも踏んでも地面につかないぞ?

そんな不思議な感じだった。



ここで「じゃあ、SMとか快楽殺人はどうするんだ」という過激な

コメントは出ないと思うが、橋本先生は「後味が悪いこと」はするなと書かれている。つまり、いくら気持ちよくてもやりすぎはいかんということだ。以前気持ちいいなら快楽殺人はどうよ、という人がいた。その人にとって快楽でも、殺された人や、関係者はどうなるのか、一目瞭然だろうと思う。

また、世の中にはいろんな趣向の人がいる。私はそれでいいと思っている。しかし、自分の趣味を他者に押しつけ、後味がわるいようなことは良くないと思う。





以前、操体をされている方から「きもちよさ」というと、どうも「アレ」なので、「心地よさ」という言葉を使っているんです」という話を聞いたことがある。

どうも、「きもちよさ」というと、セクシャルなニュアンスを感じるらしい。

考えすぎではなかろうか(笑)