操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

染めよ色 写せよ姿 委ねよ羽衣

あなたの一番快適な色に、ご自身を染めてごらんなさい

一番、理想の姿を描いてごらんなさい

心から望むなら、香しい風にたなびく、羽衣にでもゆだねるように



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裸足でも足は冷たくない

指先はすぐに温まる

からだの感覚を問いかける時は、それは私に問いかけているのではなく、

「何か」問いかけているのだろうと思う。





1.世紀末



 世紀末、世紀の初めには何かが起こるという。

 歴史書を開いてみた。1897年(明治30年)、橋本敬三先生が生まれた年には、一体どんなことが起こったのだろうか。アメリカではヘンリー・ジェイムズ(米)の「ねじの回転」、ブラム・ストーカー(英)の「吸血鬼ドラキュラ」が発表され、日本では尾崎紅葉の「金色夜叉」が発表され、「ジャパンタイムズ」(英字新聞)が発行された。また、資生堂が化粧品販売を始めた年であり、東京京橋に日本初のビヤホールができた年である。一年遅れて、英国のヘンリーが犯罪者識別に指紋分類法を発表し、カルティエが店を開き、ルイ・ヴィトンが模倣を阻止するために、自社製品にイニシャル文字を入れ、ペプシ・コーラが製造された年である。また、日本では1998年に印紙税法ができている。更にアメリカではパーマーがカイロプラクティックの学校を設立し、キュリーがラジウム、ポロニウムを発見した年であった。前後するが、1996年は山一証券日本勧業銀行八幡製鉄所が創立され、ノーベル賞が設置された。

ベクレル(仏)によって放射能が発見され、トムソン(英)によって、電子が確認され、カール・ブラウン(独)によってブラウン管が発見された年でもある。現代人が常識的に知っていることが、次々に発見され、医学はもとより、西洋の文明、科学が花開いた年代だったようだ。長々と引用してみたが、筆者の意図は、ただ一つ、西洋の科学や医学が日本に入ってきて、そこであえて『温故知新』というコトバを掲げ、「日本は吹きだまりだから、ガラクタもあるが、宝の山だ」と、橋本先生がおっしゃったコトバを思い起こしているだけだ。また、目線を変えて、異なったスケールで観たほうが面白い事もある。



 宇野千代女史(作家)は、橋本先生と同じ、1897年生まれである。差はあれど、どちらも100歳近い天寿を全うされ、「呑気もの」というコトバにはとてもくくれないが、双方ともご自身の生き方が後輩たちに共感を受け、受け継がれている。機会があれば、両巨匠の年表を見ると面白いだろう。片や医師、片や「生まれてこのかた、頭痛肩こりの経験がない」という小説家。

 しかし、どちらにも共通点がある。『正体の歪みを正す』と『生きて行く私』を同時に読んでみるといい。



『空を飛んでいるカラスでも、地面を這っている虫でも、決して自分の飛びたくない空、自分の這って行きたくない字面の方には行かないで、自分の行きたいと思う方へ行くものです』(恋愛作法 宇野千代 集英社版257ページ)





2.症例(連動についての解説)



・腰痛(50代 男性)



 腰痛持ちが多い職業というのがあるようだ。お坊さんと歯医者さんだろうか。



急遽電話が入り、いらっしゃる。身体が逆くの字に曲がり、動くたびに痛みが走るという。

椅子に座るのは大丈夫だというので、椅子にかけさせ、後から見ると左の肩が下がっている。この方はどうしても「極限ぎりぎり」まで我慢するというのを知っていたので、

『ストレッチや運動じゃないですから、痛みや不快な感じがあったらやめてくださいね』と、伝える。



椅子にかけさせたままで、左手を外旋させる※1 。外旋させると、連動に従って左肩が一層下がってきた。不快感はないのだが、快適感覚はつかないようだ。顔を見ると、頑張って歯をくいしばっている。本人はそういう意識はないのだが、どうも過度に力んでしまうようだ。

「からだに聞き分けて」と言うと、「わからないよ」と、笑う。

最初は皆「?」という顔をするのだ。なので気にしない。

「どうですか」

「突っ張ってきた感じかな」

「突っ張るとか痛みがでるまでやらなくていいから。一番感じのいいところで脱力してかまいませんから」

「このくらいなら、大丈夫かな」

と、ゆっくり脱力する。肩高さの左右差はほとんどなくなったが、多少異和感があるという。

その前に「なんで腰が痛いのに、手を捻るんだろう?」というギモンが顔に書いてある。「今度は右のてのひらを、下に(私は、手のひらを下に向けて掌屈の動作を示す)向けてもらえますか。ゆっくりで構いませんから。右の肩があがってもかまいませんから」※2「まあ、痛くないからいいか」という表情が浮かぶ。

左の膝裏(ひかがみ)に張りつめたような硬結がある。頑固な硬結で、中指で膝の外側から探ると膝を右に捻る。逃避反応である。膝をゆっくり右に倒すよう指示する。

膝が右に倒れ、腰も右に捻転してくるが、首も一緒に右に捻れている。「どうですか」と聞くと、肩が少し辛いという。「それでは、首を反対側、左にゆっくり向けてみましょうか。これは大丈夫ですか」首を左にゆっくり捻転すると肩の辛さは薄らいだという。

※3



今回は「楽」を通すしかなかった。「快」に導くまでの道のりはまだ遠い。が、後ろ姿がしゃっきりしている。腰もだいぶ楽になったという。



 次の日、「昨日よりは全然調子がいい」といらっしゃる。

一番安楽なポジションをとらせると、伏臥位で顔を左に向けている。右下肢の伸展を試してみる。不快ではないようなので操法を通す。快適感覚というのがよくわからない、と言う。しかし、腰の痛みは確実にとれていると言う。

が、左の肩甲骨に触れると、縦に固まったような筋が触れる。そこに軽く指を当てていると、2分ほどで眠りに入る。呼吸が深くなり、リズミカルな寝息が聞こえてくる。指先が宙を舞うように微妙に動いている。10分位たっただろうか。触れている肩甲骨に脈動を感じた。今まで止まっていた血流が一気に流れ出したようだ。指先はまだ動いている。

『このまま、くつろいでいてくださいね』と告げ、指をそっと離す。



「あれ?私は夢でも見ていたんですかね。さっき、『くつろいでいてくださいね』という声が遠くで聞こえたみたいだけど。何だかすごく長い時間、眠っていたような気がします。きもちよさの質、というのが何となく分かったかもしれない」



『からだが、癒しをつけて来るんです』と、ココロの中で呟く。



眠りをつけてくるようなきもちよさを味わってしまうと、筋肉が伸びたとか縮んだとか、筋骨格系の気持ちよさではなくて、より、質の高いきもちよさをカラダが求めるようだ。

このきもちよさは治癒力にかかせないからだ自身の特効薬なのだ。依存症になるわけではなく、中毒になるわけでもなく、味わいが深いからといって、その分「減る」わけではない。ありがたいことだ。



※1左上肢を外旋させると、連動に従って左の肩が下がり、右臀部に重心がかかり、首 は左に傾倒する。

※2右手掌を掌屈させると、右肩が上がり、右臀部に重心がかかり、首は左に傾倒する。

※3膝二分の一屈曲位で膝を右に傾倒する場合、自然な連動であれば、膝を右に傾倒する場合、腰も伴って腰は右に傾倒する。さらに首は腰とは反対の左捻転を示すのが自然な連動であるが、受け手は膝と腰が同方向に傾倒するという不自然なポジションをとって、辛いというので、自然な連動を指示したところ、辛さが解消した。



3.熱中



 私は昔から何かに熱中するという癖があった。

幼稚園の時は、魚類図鑑と人体図鑑を飽きずに眺め、子供むけの百科事典でも好きなのは「からだのしくみ」だったらしい。からだのしくみ、というのは未だに勉強中だが。



 両親はそれをいたく怖れて、私が熱をあげるものを捨てたり、隠したりするのだった。



 とにかく、夢中になりすぎ、というのが脅威だったらしい。おまけに、私は本好きで、3歳くらいから児童図書館に通っているような子だった。勿論、両親はそれを心配した。

本を読むのを禁じたのである。本の読み過ぎで目が悪くなった、というのが理由だったらしいが。それでも読みたければ読む。そして私は暗い部屋で、ほのかな灯りの下で本をせっせと読んでいたのである(現在では、近視はほとんど遺伝ということが分かっている。念のため)。



よく覚えているのが小学校2年の時。植物図鑑で、どの花は種をいつまいて、いつ咲くのだ、という小さな本があった。その本はお気に入りで、私は毎日それを読んでいた。種が砂のように細かい花、もう少し大きくて指先でつまめる花の種。私は植物が大好きだった。

ある時、その大事な本がなくなった。私があまりに植物図鑑に入れこんでいるので、両親が隠して、捨てたのだ。

 それから暫く、植物をみるのが辛かった。小学2年の頃の話しである。



「お前は熱中しすぎる」と、今だに言われる。

何かに熱中して、それを追い求めるのが何故、おかしいのだろう。 端から見ると、相当ヘンに見えるらしい。



しかし、私は趣味道楽で操体を学んでいるわけではない。

自分のライフワーク(レーベンス・テーマ)である操体(とはなんぞや、という問いかけ)に対して敬意をはらい、心から望んで学んでいるのだ。

まだ「操体で遊ぶ」という「粋(すい)」、にはまだ10年は早いようだが。



VisionS 第2号掲載 2004年3月