操体は、自力自療であるから、本来第三者の介入がなくてもできる。
つまり、未病医学(健康な人が元気で過ごすための医学)としての
理念が根底にあるからだ。
しかし、何らかの理由で、息・食・動・想や環境のバランスが崩れると、ボディに形態的な変化、つまり歪みとなって現れる。
その人の健康度数が80%や60%であるなら、本人が操者の介助なしで操法を行い『間に合う』こともある。また、日々のメンテナンスにも役に立てることができる。
しかし、往々にして、操体を受けにいらっしゃる方は、『間に合っていない』場合が殆どである。症状、疾患を抱えてくるのだ。
そこで、第三者である操者がヘルプするわけだ。
操者は、視診(形態観察)、触診、加えて操体独自のボディの評価法(診断法)である、動診を通すという課程で操法に入っていく。
この時に、本人の気づかない歪み、あるいは愁訴、症状に全く関係ない場所に現れる形態的変化をキャッチして、動かして診る。そして、感覚の聞き分けを通すわけだが、この時に、抵抗、介助、補助(言葉での誘導を含めて)を与える。
これで、本人がより一層、動診に対して動きの安定感をはかる、充実感を味わう助けをする、連動を促す、感覚のききわけができるように手伝いをするわけだ。
慣れた場合、あるいはきちんと指示を守って操法を一人で行う場合や、指導者のもとで操法を行う場合も、勿論あるが、初心者で、操体に慣れていない場合、より快適感覚を味わうサポートとして、操者の介助、補助、あるいは抵抗(感)、動誘(動きを促す)が重要な役割を示す。更に、言葉の誘導によって、力みすぎや、早さなどの問題を解決することができる。
これが、操者が存在する理由だ。
もう一つ加えておくと、ある程度、間に合ったからだに回復するまでは、操者のヘルプがあったほうがいいということだ。
操体は本人が感覚を聞き分け、味わうものだから、一人で行おうと、操者がヘルプしようが、自力自療には変わりないが、人間はどうしても『アタマ』で考える癖がある。その癖を軌道修正して『からだにききわける』という習慣、学習をしていただくには、やはり最初は操者のヘルプがあったほうが有効であると思う。