以前にも書いたことがあるが、操体には主に3つの場がある。
操者が存在し、視診、触診、動診を、介助補助、抵抗、言葉の誘導を含めて、受け手がよりよく快適感覚を味わえるようにヘルプする場合。勿論、この場合も、快適感覚をききわけ、味わうのは本人なので自力自療には変わりない。
次は、個人が自ら動診(動かして診る)し、快適感覚をききわけ、味わうというもの。これはある程度、連動や感覚のききわけに慣れている必要がある。また、一人でやるから一人操体というわけではない。
一人でやろうが二人でやろうが、百人でやろうが、感覚は本人にしかわからないのだから。これも自力自療。
更には、指導者(操者)が、口頭でからだの動き、あるいは感覚のききわけを誘導し(勿論一人の場合もあるし、不特定多数の場合もある)個人個人が快適感覚をききわけ、味わうというものがある。
ケースは色々あれど、自力自療である。
操体では「想」の部分に含まれるのだが『言葉は運命のハンドル』という金言がある。
これは最近の神経言語プログラミングとか、脳関係の研究でもわかってきたらしいが、言葉を口に出す、ということは自律神経系までも司ってしまうらしい。
『ヒトを呪わば穴二つ』という言葉があるが、
これはもともと、誰かを丑の刻参りで呪い殺そうとした場合、それと同じ位のパワーの呪いが本人に戻ってくるため、誰かを呪い殺した場合、呪ったヒトも死んでしまうので『穴二つ』(墓穴二つ)
という意味らしい。
先の自律神経系の話によると、誰かの悪口を言うと、
脳は『誰かに言った言葉』『自分に言っている言葉』の区別が出来ず、結局は自分で自分の悪口を言っているように解釈するらしい。
なるほど。言葉は運命のハンドルだ。
誰かの批判、悪口を言っている時は自分にもふりかかってくるのだそうだ。
(はっきり伝えるべき事実は伝えるべきだし、我慢せよといっているわけではない)
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というわけで、今日、面白い実験に立ち会った。
男女二名が仰臥位膝二分の一屈曲位をとり、
膝の傾倒(倒す)を行うのだが、
膝を倒すと腰が捻転してくる。
そうすると、骨盤が捻転する方向に腰と背中が反ってくる。
更に腿の内側が伸びてくる。
ここでお腹を意識させるために
『へそを伸ばすように表現して』と、
『おへそを伸ばすように表現して』という言葉の誘導をかけて
比べてみたところ、『へそ』よりも『おへそ』のほうが、動きが
マイルドで柔らかい感じになったという。
これも言葉のちからというか、言葉は運命のハンドルでもあるが
動診における言葉の誘導のハンドルでもあったのだ。
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受け手が、いかに操者の言葉の誘導で受ける操法の印象、感覚が変わってくるか。