先日、武道の心得のあるA氏がいらっしゃった。
空手、八甲流、少林寺等々をされている。
操体の一番基礎の講習を受けに来られた。
その中で、印象に残った事柄を示しておこう。
彼の場合は、「動」に興味があるということで、メインに
「動」を持ってきた。
まず、基本の基本であるが「自力自療」あるいは「自力自動」の
意味を説明する。
・操体は、感覚をききわけ(診断)、味わう(治療)というのが基本で ある。
・感覚は本人にしかわからない。つまり快なのか、不快なのかというこ とだ。
・操体を「きもちいい方向に動く」と書いてある場合があるが、これ は、ある動きを試してみて(動診)、きもちよさが聞き分けられた場 合に適用
される。
・「きもちいい方向を捜して色々動いてみる」というのは間違いであ る。操体にはそのような概念はない。
色々動いてみるのは、有意識の動きである。
・逃避反応
(圧痛、硬結に触れられて、痛みから逃げるために出る動き)
は、無意識の動きである。痛みから逃げる(無意識の動き)と、きも ちいいほうを捜して
色々動いてみる(有意識の動き)は、区別するべきである。
・「楽」というのは「楽な動き」を指す。正体術から、以前は「楽なほうに、辛くないほうに」と、動きを二者択一で選択していた。
・途中で、「きもちよさ」という概念が入ってきたが、「楽な動き」と「きもちよさ(快適感覚)」を混同したため、左右比較対照の動診をした場合、可動域の大きな方、楽な動きの方を「きもちいい動き」と、操者が決めつけている場合があった。
(現在でもこの混同と決めつけが行われている場合がある)
・「どちらがきもちいいですか?」という問いには答えにくいが
・「この動きにきもちのよさがありますか?」という答えには答えやすい。
どっちが楽な動きですか、どちらが辛くないですか?という問いに対しては比較的分かりやすい。
・どちらも楽な場合は、バランスがとれていると見る。