操体の創始者、橋本敬三先生は「野次馬根性が大切だ」と言われたそうだ。
橋本先生の言葉は割と端的で短い。
なので、受け取る人によって都合がいい解釈になる場合もあるようだ。
それは「取る取らネェはテメエの勝手」
(つまり、どんないいこと、有効なことを教えてもそれを実行したり生活に活かしたりしないこと)であり、その人の取りようが現れて面白い。
良く例えに出すが「自分は組織の長にはならないよ」と言われたのがいつの間にか「組織を作るな」にすり替わっていたりする。
(だから組織を作っちゃいけない、という)
話しはそれるが、昔、橋本先生がタバコを吸っているのを評して(その人は嫌煙家である)、「あれは、自分が吸っていないとタバコを吸わない人が肩身が狭いだろうとに、吸っているふり、ふかしていただけだ」と言った人がいた。
んなアホな。
無理してタバコふかしてる人が、灰皿を探そうとして(90歳で)
転んで骨折をするだろうか。
話は戻って「野次馬」
やじ‐うま【弥次馬・野次馬】
#馴らしにくい馬。強い悍馬かんば。また、老馬。一説に、「おやじうま」の略で、老いた雄馬ともいう。
#自分に関係のない事を人の後についてわけもなく騒ぎ回ること。また、そういう人。花暦八笑人「ヱヱ又―が出るヨ」。「―が集まる」
→#―‐こんじょう【弥次馬根性・野次馬根性】‥ジヤウ
[広辞苑第五版]
とある。
先日、ある人が
『橋本先生が野次馬どんどんしろ、と言われたそうなので、何をやってもいいんです』と言った。(治るんだったら何をやってもいい、というニュアンスが感じられた)
野次馬なら何をやってもいいのか???
まあ、ヘンなことをしてもバチが当たるのは自分だし、色々暴れてみて、ぶつけたりへこんだりするのも自分だ。
責任取るのは本人なんだから、何に首をつっこんでもいいのだという愛情こもった一種のスパルタ教育(?)でもあるのかもしれない。
もしくは「なんでもやってみろ!」というのは優しそうに見えて、
実は可愛い弟子(可愛い子には旅をさせろ)に色々な試練を与えている親心なのかもしれない。
ちなみに、師匠に話を聞くと、ちょっと違う。
『野次馬するなら、ずるい野次馬になれ』と、言われたのだという。
『ずるい野次馬』とは?
この場合の「ズルイ」というのは決して悪い意味ではないと思う。
野次馬するにしても一流の野次馬になれ、と言われたのではないだろうかと思う。
どうせなら『ズルいヤジウマ』になりたいもの。