この本は何度も読んでいる。操体の師匠に並び、精神のメンターとして
長年愛読している内藤景代先生の本。
橋本敬三先生の本も、師匠の本もそうだが、何度も読んでいるのに、ある時ふと開いた
ページにヒントが書いてあることが多い。
というのも操体の指導者を養成するにあたって、最近はどうしても簡単に早く勉強したい
というケースが多い。また、一発勝負ではないが、からだの動きを理解しないままに、
皮膚に触れる操法をやりたいという方もいらっしゃる。
連動や身体運動の法則を理解しないで、単にやり方だけ覚えたいというのは、一時しのぎ
や、付け焼き刃にはなるだろうが、それでは操体を勉強するにあたって勿体ないのでは
ないだろうか。
なんていう事を考えていたのだ。
また、最近私の師匠がよく言われるのが
『操体は教養でなければならない』
『作法を身につけよ』
ということなのだが、操体を治療法の一つとして考えるのではなく(実際、治療では
ないと思うんだが)、教養として考えると何となくわかる。
ちなみに、野口体操の野口三千三先生は、朝日カルチャーセンターで、野口体操のクラス
を持っていらっしゃった時『教養』の部門じゃなきゃだめだ、と言われたそうだ。
(今、操体のクラスもあるが、やはり教養部門である)
どなたか、野口整体を指導されている方も『整体は学問である』と言われていた。
以下は引用
◎段階的な成長をめざす
「型から、入って、型から、出よ」
と、鋳型の必要性を武術では説いています。
出るなら、はじめから入らなければ、いいじゃないか、と初心者は、つい、
考えます。「同じ」ではないか、とか。
そこが、「ちがう」のです。入門して、基礎の技術をひととおり、身につ
けることを、「型」から入るといいます。いわば、碁や将棋の定石、麻
雀のすじ、しごとのマニュアルを、習得することです。
次に、その「型」を土台にして、自分で工夫しながら稽古し、だんだん、
自分独自の「型」をつくります。
自分の「型」ができてくると、器に水がいっぱいになって、自然に、外へ
水があふれ出てくるように、「教わった型」からはみ出るようになりますが
基本の型を身につけたら<型から出なさいよ>、そして自由におやんなさい、というのが
武道の段階的・成長論です。
(略)
逆に、型を無視して、型を学ばず、はじめから自由に、独自にやろうとしても、
自己流では、かえって回り道になり、時間の無駄です。
なぜなら、その流派の「型」というのは、師匠や先輩たちの体験の結晶です。
こうするとこうなるから、こうしたほうがいい、またはわるい、という、いわば
体験科学です。
(略)
わたしという個人は、生まれてから死ぬまでの持ち時間しか、ない、のですから、
ありがたく、すなおにまずは型を学んだ方が早道でしょう。
時代に合わないとか、かっこわるいとかの批評精神は「型」を出て、
<自分独自の型を創る>時のために、とっておけばいいと思います。
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何故この一文が目に入ったかというと、ここに付箋が貼ってあり、線が引かれて
いたからだ。
1993年の出版だが、オンタイムで買っているはずなので、13年前の私もやはり
ここを読んで付箋を貼り、線を引いたに違いない。
自分のおもむくままに、好き勝手にやってすごい事ができる天才もいるかもしれない。
しかし、殆どの人間は「型から入って、型から出でよ」なのだと思う。